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初めてムラづくりをやってみて思うこと②(いきなり総括2023【改善編】)

改めて昨シーズンを振り返ってみると様々な改善策が見えてきた。
今回の記事ではその改善策を具体的に書いていこうと思う。
昨シーズンの「反省編」(総括①)はコチラ↓

もうちょっと具体的に考察してみる

初夏の家族3人
初夏の朝 家族でコーヒータイム

❶ いち核家族が作り出せる豊さの限界を知る

当初の僕は、自給自足的な暮らしを営む「我が家:うちみる」を軸として、我が家が持っている有効資源(空き地や畑、ノウハウなど)を活用しながら規模を徐々に拡大していければイイかなと思っていた。

だけど実際には、「かよいムラビト」はコミュニティのイベントにすれば、都合がつく限り来てくれるが、そこをアテにするわけにはできない。
「わがやムラビト」は常に関わってくれるが、知識や経験、技術が備わっていなかったりするから作業レクチャーがまずあるし、ある程度の金銭収入もケアしなければいけないから外貨を稼ぐことにも大半の時間が割かれてしまう。
思うように暮らしの豊さを拡張できないのだけど、人が増えればその分、水も飲むし、野菜も肉も食べる。それまでの資源量だと足りなくなってしまうのは当然のことだった。

特に農作物は種まきから収穫までかかる時間というのはなかなかに長い。わがやムラビトにはそれぞれの畑スペースも持ってもらい、好きな作物を育ててもらったけど、彼らの卒業間際になってから収穫のピークを迎えた(笑)。
これがあと1年、2年と続けていって、畑の広さも少しずつ拡張していけたらなかなかに豊かなムラビト菜園となったかと思うけど、これに限っては半年ポッキリの研修用、期間限定のお試し菜園となった。

そんなわけで昨シーズンの大半は我が家が身を切るようなカタチでこの企画は進んでいったんだけど、前回も言っている通り、このやり方でウマいことやるには我が家の豊さが足りていなかった。いきなり家族が増えてコストが2倍以上になったわけだから無理もない。その分、こなせる作業も2倍以上になったけど、今思えば本来は不要な作業(御用聞き仕事や技術レクチャー目的の建築)も多かった。

これまで夫婦二人三脚、交代で子守りをしながら作り出せる豊さはまさに等身大のサイズだった。なんだかんだで丁度よくなるように世の中ができているものだ。ひとつの核家族が作り出せる豊さの限界を知った。

うちみるフォーラム2023
毎年10月に開催する「うちみるフォーラム」・ぬか釜の実演

❷ 研修生なのか、仲間なのか、家族なのか

我が家ではこのムラづくりを始める前から実施している「研修生」プラン(2024年2月現在、受け入れ休止中)というものがある。それは簡単に言えば、滞在型の自給自足生活お試しプラン。一日あたり4時間以上の暮らしのお手伝いを体験研修としてやってくれれば、寝食(寝るスペース=車中泊orテント泊、晩ご飯のみ)を提供。ネットからの事前予約が必要で1週間を上限として無料で参加可能。旅人さんなどで資金調達もしたいという人はタイミングにもよるけど御用聞き仕事もアルバイトとして体験もできるというもの。

今回、わがやムラビトにもこの設定をそのまま適用した。言い換えれば、長期滞在の研修生ということにもなる。線引きが難しいのだけど、強調したいところとして、ムラビトは暮らしを可能な範囲で共有して共に生きていく仲間みたいなもの。研修生は自給自足暮らしの実際を労働を伴うカタチで体験学習する一期一会の関係性。…っていう感じなんだけど、わがやムラビトは微妙に両者を混ぜ合わせたようなところに位置付いてしまった(笑)。さらに基本的に朝から晩まで一緒にいて、ときには畑に、御用聞き仕事に汗を流し、ときにはお互いの悩みを相談してみたり、研修生以上 家族未満の暮らしを続けていき、あるとき卒業して世に羽ばたいていくわけだ。
このなんともファジー(曖昧)な関係が案外ストレスやコスト増につながったようにも思う。

関わる人にもよるかもしれないけど、こういう部分は節度という意味でもしっかり区分した方が良かったかも。

ブラジルからのゲストと菊芋掘り
菊芋掘り(ブラジルからのゲストさんと)

❸ それぞれの人が自立できてこそのコミュニティ

先述のことを少し引きずってしまうが、研修生は身一つでやってきて手ほどきを受けながら体験学習に汗を流して同じ釜の飯を食べるっていう設定にしていたんだけど、それが長期化すると依存生活になってしまう。何かしらの知識やスキルは向上しても自立力というか、その人らしい暮らしの強さみたいなのが育まれないわけだ。そうなってくるとヒエラルキー(階層構造・上下関係)が生まれてくる可能性もあるわけで、最悪の場合、コミュニティそのものがブラック企業のようなものになってしまう。今回、わがやムラビトは半年ほどの滞在期間だったから、さほど深い溝もできずにサラリと幕が閉じたように思う。

さて、そこで自立とはどういうことか?ってことになってくるわけなんだけど、僕は「暮らしに必要な空間」と「エネルギー源」、そして「お金を得る手段」を自分で持つってことかなと感じている。

暮らしに必要な空間っていうのは、テントなり車なり家なり、くつろぐことができて安眠できる場所を指す。これってまずは自分の楽園があるってこと。プライバシーがちゃんとあって、さらに自分らしく在ることができる場所。まず、これがあれば暮らしの基軸となって、どんなに疲れてクタクタになってもそこに戻ればリセット完了。清々しい朝を迎えることができる。

エネルギー源は、電気・ガス・水道などのインフラはもちろんのこと、自分の肉体を動かすのに必要なカロリー(食料)も含まれる。それら全てを自分で手に入れるには至難の業だけど、意固地にならず仲間と協力し合ったり、後述するお金があれば何とでもなっちゃうだろう。

今の世の中というものは大まかに言えば、経済で社会が形成されている。昔のように税をお米で納めたり、生活に必要なものを物々交換したりとはいかない。お金は大なり小なり必要になる。どこかに就職するのも日雇いのバイトをするのもいいけど、大概の場合はそこにヒエラルキーがあるわけで、重責やストレスを背負うこともしばしばかと思う。会社組織に依存することなくお金を得ることができればベストだけど、ひとまずは形式にこだわらずに自分で外貨(公的価値)を必要最低限でいいから稼げる(または充分な貯蓄がある)ってことが大事なことだと感じている。

「みんなでシェアしよう」という言葉は都合よく解釈される場合もあるけど、自らを律する力が無いと「みんなで誰か(何か)に依存しよう」ってことになりかねない。相互扶助・助け合いの精神はどんな場合でも必要だけど、安易に仲間に頼りすぎては負荷のバランスが偏る。「今回は助けてもらうけど、次は自分が助ける番だ!」くらいの気概がないと成長もできないし、信頼も築けないだろう。
理想は「Give & Give」(与え合い=愛の循環)、そこまでいかずとも「Give & Take」(等価交換=フラットな循環)、やりたくないし、いずれ破綻してしまうのが「Take & Take」(もらうだけ=奪い合いの悪循環)。このへんになってくると、関わる人の精神性が大きく左右されるだろう。

わがやムラビト三人衆
わがやムラビト3人衆

❹ メリトクラシーの問題

メリトクラシーとは「能力格差」を指す言葉。人が集まると当然ながら「できる人」と「うまくできない人」がいるもの。組織の場合はそれがそのままヒエラルキーにもつながるわけだけど、コミュニティのような比較的ユルい関係性でもこの格差は生まれやすい。学術的にもメリトクラシーは、最後まで残り続ける人間社会の格差 とまで言われていて、やはりムラビト間でもそれは生じたように感じている。

ある人はなんでもテキパキとこなし、物覚えも早い。だけど、ある人は動きがゆっくりで、何度教えてもミスをしてしまう。この両者に対して等しく接するのはスゴく難しい。できている人には GOOD!と、できてない人には NO GOOD…と評価をしてしまう。

音楽や絵を描くみたいに自己表現という観点なら僕が偉そうに評価なんてできないけど、自給自足的な暮らしということになればそうはいかない。間違ったやり方をすれば怪我や事故、面倒な後処理に見舞われたり、時間や資材のロスにもつながったりする。何かと未経験で知識が不足していたムラビトとの生活・作業はハラハラドキドキ。クスッと笑えることから、ヒヤリとしたことまで思い起こせばキリがない(笑)。壊れたり、不調をきたした調度品や仕事道具もまぁまぁある。

できる人、できない人、早い人、遅い人、しっかりした人、やらかしちゃう人…
老若男女、十人十色のバックグラウンドもあるわけだから違いがあって当然なんだけど、「これはミスって欲しくない」っていう重要な仕事はできる人にお願いしちゃうし、できない人にはリスクが少ない雑用仕事を振ってしまう。

できるAさんは「私はできる!やったぜ!」と自己肯定感が増すけど、一方のできないBさんは「私はダメだなぁ…つまんないなぁ」と自己否定をしがち。AさんがBさんに対してマウントを取るようになってくると、このメリトクラシーはヒエラルキーにも発展する。どこかの調べによると、この能力格差と階層・上下構造によってウツが発症しやすくなるらしい。うーん、危ない。

さぁこれをどう改善できるか、策を練る

庭先養鶏の卵
庭先養鶏 毎日の卵が嬉しい

① 豊さをシェアするということを再定義
旧「我が家から作り出す豊さをシェア」

新「シェアできるものをいろんなところに持ち寄る」

さてここからは次を見据えた明るい話を展開していこう。

昨シーズンの主な敗因は、まだシェアできるかどうかわからないものをシェアしようとしたことかなと思っている。なんとなく人が集まって毎日汗流せば、きっと豊かな世界が作れるでしょ!と不確定要素満載で意気込んでしまった(笑)。我が家で余している土地や廃材、田舎の耕作放棄地を使えば、あとはマンパワーでなんとかなると思っていたけどそうは甘くなかった。豊さっていうのは半年そこらじゃ作り出せるもんじゃないって思い知った。

よくよく考えたら、僕は2009年から今の土地で自給自足フィールドを作ろうと蜂起してセコセコと首を傾げながら自然農をやり、廃材を集め始めた。お金も多少必要だったからフリーランスでグラフィック・WEBデザイン、動画編集を主として色々な仕事をして様々な知識やスキルを身に付けた。2016年に嫁さんが来てくれて、家がやっと完成して畑も開墾しなおした。子どもが生まれてからは鈍行だったけど、電気・ガス・水道のインフラ整備をおこない、新居建築にも着手。徐々に畑も豊かになって、ここ3〜4年でやっと家族3人がちょうど良い感じで暮らせるようになった。

おいおい、15年もかかっているじゃないか(笑)。試行錯誤したり、外貨を稼ぐために働いたりした時間をすっ飛ばしたとしても、5年はかかるよね。多額の資金を投入すればもっと短縮可能だけど、それじゃ肝心の知識や経験技術は身につかないわけで…そこは悩ましいところ。

と、前置きが長くなってしまったけど、そんなわけでこのムラづくり…

我が家を軸にするのはやめます。

それじゃ、どこが起点、キーポイントになるの?ってなると思うけど…

特定の場所を決めるのもやめます。

人が集まるところというのは、パワーも集まるけど負荷もかかるってことを実感したから。これは、うちに集まっちゃダメってことではなく、パワーも負荷も適度に分散させた方が多分イイっていうこと。

集まる場所はどこだってイイし、自給自足とかにこだわらず、どんな人が集まってもイイ。そこに自分が持ち得ている豊さの余剰分を持ち寄ればイイ。リアルでもオンラインでも、食べ物でもアイテムでも、労働力でも余興でもOK。もちろん、何か困ったときや大変なとき、みんなでドンチャン騒ぎたいときはネットワークをフル活用で声がけをして、相互扶助・結(ゆい)の気持ちはやはり大切にしていこうと思う。

そんなことを無理なく自然発生的にやっていければと思う。たとえ何も起こらなかったとしても休息や独りの時間を愉しむだろうし、誰も来てくれなかったり、助けてくれなかったりしても、基本は自分のことは自分でなんとかするっていうのが「自立」(言い換えれば自給自足)だから、そんなことで恨んだり嫉妬したりしたらまだまだ甘えん坊さんってもんだろう。

この上なくユルいんだけど、みんなバラバラなようで繋がっていて安心できるっていう感じだろうか。おそらくムラとかコミュニティというのは組織ではなくてネットワーク、またそこで生み出される豊さっていうのは食料などの物資よりも関係性の豊さの方がスバらしい財産になるんだろう。

なんかもうね、名前も無くていいんじゃないだろうか(笑)

「うちみるコミューン」と冠を作ってみたけど、名前をつけることでチームや組織っぽくなって変な枠組みが作られる。(団体っぽくするとテンションは上がるけどね)それじゃ関係性の豊さも制限されてしまうように思う。みんなが自由自在、それぞれの暮らしを大事にしていく。それが良い世の中になっていくように感じる。僕らはきっと地球という核を中心に楽しそうにグルグル回る自由電子みたいな存在なんだろう。
こんな名前も形式もないようなものを果たしてムラとかコミュニティとか言うのかちょっと疑問ではあるけど、このなんとも「空」(くう)な状態が妙にしっくりきている。

うちみるフォーラム2023
うちみるフォーラム2023 家庭菜園の説明案内

② 学びたい・伝えたい、協力して何かをやりたい、単純にただ暮らしたい を明確化する

これまで書いた内容だと、「みんなどうぞご勝手に」的な放置プレイみたいに感じるかもしれない。それはそれで勿論いいんだけど、生きる上で必要だったり、便利だったりする知識やスキル、物資をシェアするっていうのは関係全体の暮らし向上や認識を広めることにつながる。

我が家はこれまで数年に渡り、短期的な研修生の受け入れ、年に一度のフォーラムイベントを開催してきて、この暮らしに本気で興味がある人には惜しみなく自給自足のノウハウを伝えてきた。毎年のように日本各地から参加者が集まってくれて、短いながらも有意義な時間を通じて良縁を繋げることができている。

これは是非今後も続けていきたいし、それとはまた別に有志のみんなで小屋の棟上げや田植え、御用聞き仕事も一緒にやりたい。そして、我が家3人での何気ない暮らしのリズムも大事にしたい。

昨シーズンのわがやムラビト3人との暮らしで大変に感じたのはこれらの要素を全部詰め込んでしまったことだった。うーん、これはムラづくり元年のスタートで欲張っちゃった(笑)。
がっつりレクチャー、体験研修、協働作業、お客さんありきのお仕事、そして家族時間、これらはちゃんと区別した方がいいと実感した。

うちの息子の家庭菜園
4歳児の家庭菜園

③ 自立できない人も内包したい

「自立」といっても、そうはいかない人もいる。未成年はもちろんのこと、様々な事情で大人になっても自立できない人もいるだろう。そういった人も内包できるコミュニティにしたい。支援できないことには無理せずにNOを言えるような気を遣わない関係性の構築、どこか or 誰かに大きな負荷がかからないようなコミュニティ全体からの自立支援。現時点ではあくまで理想でしかないけど、そんなことができればいいなぁと思い描いている。子どもやお年寄りも、羽化する前の蝶のサナギ状態の大人も、みんながこの世界には必要な存在。名前も形式もないようなコミュニティだけど、いろんな要素を内包していきたい。空(くう)なだけにキャパシティは無限大。これは地球丸ごと、全世界の人々も内包可能じゃないか(笑)。

そんな宇宙規模の可能性を秘めたこのコミュニティ。とてもじゃないけどリーダーなんて誰も務められない。だからその都度、何かアクションを起こす「言い出しっぺ」がいるのみ。なんてことない、SNSでちょっと投稿するみたいに小さなこと。だけどそれがときとしてビッグウェーブになるわけで、「いいね」でも「リツイート」でも「メンション」でも、とにかくそこに何かしらポジティブな関係が生まれることが大事なことなんだ。ヒエラルキーが存在しない、上下関係も階層もない、縦横無尽な自由な関係性を作っていこう。

ムラビトと小屋づくり
ムラビト衆との小屋づくり

④ メリトクラシーを乗り越えるには

人間社会で最後まで残ると言われる、この能力格差をどう乗り越えるか。正直、僕もこれを書きながら答えを探っているところ(笑)。ただ何でもそうだと思うけど、気にしてしまうとそこにこだわりやストレスなどの歪みが生まれる。能力差についても多分気にしちゃうから気になっちゃう。難しいことだけど意識しなければいい。お金や時間みたいに数値化をせず、相手に過度な期待をしないようにする。言い換えると、相手の能力に依存しないで自立するってこと。こればかりはホント関わる人それぞれが精神的に成長するほかに解決を見ることはないだろう。

これだけ人類の歴史を積み上げてきたのに、いまだ戦争したり、競争したりしているのは、文明がいくら発達しても精神的な成長がほとんどなかったということ。そんなことをしていては周りのみんなが敵に見えてしまう。むしろ、逆に周囲がすべて味方に感じれるような安心できる社会を目指そう。1万年も続いたとされる縄文時代はきっと悠久の時間が流れていたんだろう。

リアルでもSNSでも他者と比べない、期待しない、あくまで関係性だけを重視して付き合っていければと思う。

うちみるフォーラム2023
うちみるフォーラム2023 パーマカルチャー映画の上映会

【まとめ】いつでも、どこでも、だれでも、ご自由にどうぞ! 新しいムラのカタチ、それは…

そんなわけで机上の空論に近いようなことまでもツラツラと書き連ねてしまった(笑)。だけど、昨シーズンを終えてモンモンとした負荷みたいなものが書くほどに軽くなっていってスッキリしている。
結論としては、時間も場所も人も色々と自由に関係していきましょうってこと。そうすることで僕自身も自由になれるから。

昨シーズン、ムラビト募集には〆切を設けた。その理由は、いよいよ田畑だ御用聞き仕事だと忙しくなってしまう前に、ある程度の足並みを揃えてスタートを切りたかったから。だけど〆切を設けることで関係人数を狭めてしまっただろうし、応募したけど何もアクションがなかった人たちの中にはおそらく、〆切があったために行き先も見ずに駆け込み乗車をしてしまったって人もいるだろう。(あの時は全世界が不安定だったから焦ってしまう気持ちも分かります)
場所も我が家を軸にしてしまったからそこに負荷が集中してしまった。
メンバーも自給自足に興味がある人にほぼ限定してしまったから多様性も制限された。
良かれと思って設定したものが裏目に出てしまったことも多い。

だからそれらを取っ払ってみる2024年。新しいムラのカタチ、それはこれだ〜!

ザ・MURA!(ムラ)

名前はいらないとか言いながら、命名してしまった(これが人の性=サガ)。しかも、「ザ・ビデオ屋」みたいでちょっとダサい(これは青森県民限定のネタ)。

しかし、ちゃんとした定義っぽいものもあるゾ!

  • M = Making of(進歩の手段/要素)

  • U = Universal(普遍的な/万人の)

  • R = Relationships (関係性/結びつき)

  • A = in the Air(宙にある)

SNSやLINEなどのシステムサービスを使おうとすると、そこはやっぱり名前が必要なわけでありまして、やむを得ず名称を決めました。人にもそれぞれ名前があるし、ある日突然「僕は何者でもない!」なんて言い出したら、高尚な変人として周囲から距離を置かれてしまう。そんなわけでして分かりやすくも、NBAとかOPECみたいに特定のイメージを持たないソリッドなネームであります。

そんなわけで次の記事には心機一転の「ザ・MURA」がどんな感じになっていくのかを書こうと思います。

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