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砂の女(映画 勅使河原宏監督・1964年/原作・脚本 安部公房)

オープニングの異様なかっこよさでいきなり度肝を抜かれました。
砂漠が映りはじめてからは、シュヴァンクマイエルなの?! と思うような画面で、2時間半の長い映画なのに食い入るように見つめてしまいました。
これを映像化できちゃうのか!!!という単純な感動がまずドーンときて、想像以上の芸術性に驚きました。

しかも本を読んだ自分の解釈を補完してくれるところが随所にあって、脚本と原作者が同じ映画って、いいですね。
小説を読んだときに、認めてもらいたい男が主人公だったことまでは記憶していたけれど、わたしのはそこから男女の同居のあれこれに注意が向いてしまっていて、女性が自分自身をどう捉えているかという視点がすっかり抜け落ちていました。

   不自由があるから、かまってもらえている


こんな趣旨のことをセリフで言う『砂の女』の姿を見たときに、こういう話だったのか! と、いまさらながら気がつきました。
発見・発明することで認めてもらいたいと男と、不自由さに甘んじ従順さを発揮することで認めらえると考える女。
自由というのは多くの人の努力の賜物によるもの、奇跡のバランスのようなもの。
自由との交換条件にものすごい要求をしてくる部落民のなかに女性も含まれているあたりに、妙なリアリティを感じます。


ヨーガの思想の隣にあるサーンキヤの思想では、苦しみは3つあると冒頭で説かれます。

・自然災害など人知の及ばないもの
・自分以外の生き物によってもたらされるもの
・きっと○○に違いない、などの心配

『砂の女』の世界はこれらが全部乗せであるにも関わらず、不思議と暗くありません。身体を使って働く姿が美しいから。
生きかたについて、この世界で重要なことをわたしは心得ているもんね、と密かに誇っているみたい。

砂場生活のノウハウを淡々と説明しつつ、相手の思い込みにもいちおう付き合いながら相槌を打ったり打たなかったりする、ブレないようで時々ブレる女。この会話の微妙な噛み合わなさも、日常が輝く瞬間そのもの。
友人がこの映画を観て「丁寧な暮らしぶりがうかがえる」と言っていて、ほんとうにそうだなと思いつつ、それにしても音楽も含めて芸術性がすごすぎ。
これ海外で絶対評価されてるでしょ!と思って確認したら、やはりカンヌで特別賞を受賞されていました。


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