『醜聞 (スキャンダル) 』 ひたすら面白い映画に会いたくて 〜91本目〜
4月からマスメディア業界で働く友達への餞別の品として本作をセレクト。これは面白いし、スキャンダルを題材に日本の法廷にメスを入れている話なので、喜んでもらえるんじゃないかな。個人的にはお気に入りの1作である。黒澤明がマスメディアに対して皮肉を利かせた1作として自らの海馬に刻んでおこう。
『醜聞(スキャンダル)』(1950年)
脚本 : 菊島隆三、黒澤明
監督 : 黒澤明
「すべては一枚の写真から」
物語の概要
絵描きの青江二郎 (三船敏郎) が有名な声楽家と宿屋で一緒の部屋にいるところを写真に撮られ、それを熱愛スクープとしてスキャンダルとして記事を捏造することから物語は始まる。これに腹を立てた青江は、アムール社に乗り込み、社長を殴りに行く。そして、これもまた記事にされてとうとう裁判沙汰へと発展していく。
本作の魅力
黒澤明監督の作品は、セリフ回しが面白くかつテンポも良いので登場人物たちの会話劇で笑うことも多い。本作の蛭田 (志村喬)の台詞には所々黒澤明監督の日本の法律に関する批判が垣間見れて非常に興味深かった。蛭田という弁護士を通して日本の法廷にメスを入れている社会派の名作である。その辺りが実に面白かった。
こんなにも昔から芸能人のスキャンダル問題があったのかと驚いたものだ。本作を観ていると、アムール社が「FRIDAY」に見えてしょうがない。有名人は写真一つ撮られてしまったら、根も葉もないことを好き勝手に書かれてしまうリスクを常に抱えていることが、本作を観ていたらよくわかる。
また、この頃の三船敏郎は本当にカッコよくて惚れ惚れしてしまう。冒頭の三船敏郎がオートバイに乗って走るシーンからもう引き込まれてしまう。絵描きにしては、大きなオートバイに乗ってイケメンすぎる三船敏郎も悪くない。最初から最後まで本当に優しくて良い奴であった。若い頃の三船敏郎は好青年役が本当によく似合うなあ。
志村喬演じる蛭田の魅力について
弁護士の志村喬が意外にもポップな存在で面白かった。いかにも胡散臭いオーラ全開の危なっかしい人物を演じていて、この人の演技の幅に驚いたものだ。どんな人物でも演じることができるのではないかと思うばかりだ。
正子の存在が本作の物語の鍵を握る。お星様のような子。青江が「きっと神様が機嫌の良い時に作ったんだな」と褒めるほどとっても良い子である。父親もこの娘の綺麗な目を直視することがいつのまにかできなくなってしまっていた。すっかり、薄汚い悪党に成り下がってしまっていたのだ。
志村喬が背中を丸めて落ち込んでいる姿が本作では多い。彼ほどこのショットが似合う俳優はいないのではないだろうか。これだけ哀愁漂う後ろ姿を演じることができる俳優を彼以外に私は知らない。戦後を代表する本当に素晴らしい役者の1人である。
好きな場面
クリスマスに、キャバレーで蛭田が皆さんも一緒に唄ってくださいとお願いして「蛍の光」を各々自分たちの過ごしてきた1年間のことを反芻しながら合唱するシーンが印象的だ。これからお店や図書館などで「蛍の光」が流れた時は、本作のことを思い出すことだろう。「蛍の光」がよく似合うシーンであったことよ。志村喬の酔っ払いおじさん演技が上手すぎて笑ってしまうほどであった。
最後に
青江は、黒澤明監督の化身であったのだろう。彼の自伝である『蝦蟇の油』に青江のような気分になったことがあるという体験談を語っていた。「言論の自由ではなく、言葉の暴力だ、と思った」と。この傾向を今のうちに叩きつぶしておきたい。そんな思いで本作の製作に踏み切ったそうだ。しかし、それは微力に終わった。『醜聞』は甘すぎたらしい。理由は、悪徳弁護士蛭田の存在だ。彼というキャラクターが、生き物のように勝手に動き出し、物語の方向性を変えてしまった。これは黒澤明監督にとっても初めての体験であったそうである。
蛭田という人物は、黒澤明作品の中でも一際印象に残る登場人物の1人であると言ってもいいだろう。それほどまでに観たものに強烈なインパクトを与えた存在であった。彼が主役の青江を喰ってしまい、いつの間にか物語の主人公へと躍り出てしまったのだ。不思議なこともあるもんだ。
また、蛭田には実在のモデルがいたというのが驚きである。蛭田のような人物に一度会ったら脳裏に焼き付いて離れないであろう。黒澤明監督は、本作の脚本を書き出すまで忘れていたみたいであるけれど。笑
参考文献
黒澤明 (2001) 『蝦蟇の油 : 自伝のようなもの』岩波現代文庫