見出し画像

「自分にマルを付ける」ができなくても、何とかなる方法

「生きづらいって具体的にどういうこと?」と聞かれても日常すぎてうまく答えられない内木ブレーキと申します。こんにちは。

私は自己肯定感が低いのだ!この辛さの一部分の原因はそれだ!!と気づいてから、たくさん関連書籍やネット記事などを読み、ずっと「自分に丸をつけないといけない」「まず自分を好きにならないと物事は良くならない」と思ってきました。

それは正しいと今でも思っているし、自己肯定感が高いほうが生きやすいのだということは、同居人(自己肯定感って何それ??というくらい生きることに悩みがない人です)を見ているとひしひしと感じます。。

でも、どうしても自分にマルが付けられない。自分を好きだと思えない。人を見てはうらやましくなり、なんで周りができていることが出来ないんだろうと布団の中で泣く。マルを付けられないことで更に自分が嫌になる日々でした。

画像2

当時はものすごく深刻だったけど、今考えるとなかなかアホらしい。苦しさをなくしたくて、かえって自分で自分を痛めつけているのだから。

ふと、今はそういうこと考えなくなったなーと気づきました。考えることを放棄したというと聞こえは悪いけど、ようは自分にバツを付けなければいいんじゃないだろうか。マルはつけられなくても、何もしないことならできるんじゃないかと。

マルをつけるって、何かしないと出来ない気がするんですよ。俗に成功体験といわれているやつ。「今日は〇〇できた」と自分にマルをつける。それも一つの良き方法だとおもうんだけど、そこにすらたどり着けない私が編み出した「何もしない」作戦です。

画像1

しんどい時は、マルとかバツとか、そもそも自分を評価しないようにする。意識を自分に向けない。海とか、山とか、自然を見る。宇宙の映像を見る。何億年単位の世界では、自分の30年とか、今朝起きれなかった事とか、失敗とか、どうでもよくなってくる。別に何か残したいわけじゃないし、何かのために生まれてきたわけじゃないし、役に立たなくていい、何もしなくっていい。苦しみは少ないほうがいい。バツをつけるなんて無駄だからやめとこう。

もちろん、すぐ落ち込むので、いつもこの状態でいられるわけじゃないけど、「マルがつけられない自分なんて・・・」と思うことは少なくともなくなりました。

マルつけにとらわれないで。意識低い系で今日も生活しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?