今演劇へ考えてる事(序文)

はじめまして。内田啓太と言います。note始めました。

東京で正社員しながら、役者活動をちょいちょいやる人です。いわゆる「社会人役者」という括りになる人だと思います。だから何だって話ですが。

キャリアは大学で5年、社会人で4年てところでしょうか。間に5年以上のブランク有。

大体年5~6本くらい出ます。たまーーーに脚本演出もします。いずれもっとしたい。

簡単な自己紹介はこの位に、こんな人が全然コロナと関係なく、演劇に関して昔思っていた事、今思ってる事、それをどっちも混ぜてどう向き合うか、ボワッと感じてる事を文章化してちゃんと目の前に出そうと思います。Twitterもやってますが、Twitterだとその辺をはっきりさせようというのがどうも弱い。プロセスも殆ど見えない

今回は、どうしてそんな事を思い立ったのかを書いていきます。

先日、両親と演劇に関する会話になった。両親は、

・演劇はレミゼとか、みんな通りそうな大作しか観ない

・映画は良く観る

・小劇場とか当然分からない。が、私の出る作品はたまに観る。通算で1~2割くらい

とまあ、割と演劇とは縁のない一般人的な感覚の2人だと思う。普段演劇の話など殆どしないのだけど、食事中、父の大学時代の思い出話(父はサッカー部で、H大学サッカー部黄金時代のメンバー)になって、その流れでちょっと私の演劇の話にもなった。

その時母が言った事が、今回、改めて演劇というハードとどう付き合おうかと考えるきっかけになった。

その言葉は、「啓太が創ったあの仮面ライダーのやつ、あれは最高だったね。啓太の好きなもの全部詰め込んで滅茶苦茶やって。あとの奴はわけわかんない。」(そしてそれを聞きうんうんと頷く父)

その言葉を聞いて、私はフーンと飄々としていたけど、心の中はあーそういう感覚ちょっと薄くなってたかもな、とザワザワしていた(嬉しいとは思ってない)

この作品のタイトルは【JUNAN~私のお父さん~】

そしてこれは私が大学生3年生の時に創った処女戯曲であり、長編演劇作品を初演出した作品だった。話の内容は到ってシンプルであらすじは以下の通り。

架空の昭和っぽい世界。仮面ライダー(作品中では別の名前)っぽいものが存在する世界。そんな世界のある家族、柴田家の長女、純は中学生なのに父親の仕事に関する作文を書け、という課題を出される。ところが父親の仕事に関して余り良く分かっておらず書けない。お父さんはお父さんよ大好き!と父を信じまくるノーテンキな母、直接聞いても変なテンションでのらくら交わす父、一方、ショッカーっぽい存在の大首領は仮面ライダーとの闘いに決着を付けようと大攻勢に出る。それに比例して様子がおかしくなる父。耐えていた母は父の浮気を疑い錯乱。遂には探偵まで雇い父の事情を確かめようとするが…

このあらすじだけでも「仮面ライダー的なもののパロディを創ろう」としていたのが伺えるだろう。劇中のBGMも殆どが仮面ライダーからの引用だった。

そして娘の名前、柴田純。そして探偵。これは全て大好きな松田優作のジーパン刑事の本名、柴田純と、探偵物語からの引用。探偵も工藤俊作に憧れる「「工藤ちゃん」と周りに呼ばせ、コスプレまでしている」探偵で私が終始モノマネし続けた。作中の小ネタも、どうせ殆ど知らないだろうけど、我が物顔で多数入れた。

↑まんま同じ服着てました↑

その他、特撮のメタフィクション、本当にヒーローのスーツを創る、プロレスのテーブル葬など、兎に角密度高く小ネタを盛り込み、その根っこに流れる「Always~3丁目の夕日~」的な温かさや、自分の家族観。そして世のお父さん頑張れ!という応援歌。これが何かいい具合に交わって何でもアリな雰囲気と共に、とても熱量の高い作品になった。

実際にお客さん、参加者からの評判はすこぶる良く、これが初めての演劇だったという1年生を演劇沼に何人か沈めてしまった。

…という作品だった。DVDが残っているのでたまーに観るが、確かに今観ても面白い所はある。一方でこんな勢いに任せた、深みもあるんだか無いんだか良く分からない作品を今でも創れるのか、いや、多分創れるけど、今最高に創りたいものとして創れるかというと、どうなのかなあと感じる。演劇の愛し方も見方も変わってしまった自覚がある。それに当時は若くて勢いもあったし、X JAPAN好きになりたてで概念とか全部ぶっ壊すと益々尖ってたし、何か信じられないくらいモテてたしモテてたしモテて(略 まとめて状況が全然違う。

でも、何にせよ母だけではなく、父もこれが一番だと言った。因みにこの後、私が「途中までと、やりたいことは個人的に最高傑作」の作品を創るのだけど、それはあんまりだったようだし、多分面白いんじゃないかなあと思って誘ってみた作品も「若い人は良くわかんないもの創るんだな」程度にしか見えていないらしい。

そういった観点から、このJUNANを肯定的に捉え、あの頃考えていた事、今考えている事、じゃあ双方の良い点を生かしつつどうこれから付き合うか、演劇に何が出来るのか、ダラダラ話ながら、最終的にセグメント論に行く未来が何となく予想出来てしまったのだけど、そっちに行かないかもなという可能性にワクワクしながら、結論ありきで書かないようにしていこうかなと思います。

駄文ですし、たかだか1人の最下層演劇人が考えている事ですが、ご興味ありましたら今後お付き合い下さい。

うちだ

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