54. ”生きる”と”生かされている”
早くも満開になっている桜を見て、春を全身で感じている内田です。
春っていいですよね。
僕が世界一周に行こうと考えていたとき、一つの言葉が僕の中に浮かんでいた。
「人生は長くて有限」
長いと思って惰性の日々を過ごせば、人生はいつか味気なく終わってしまう。
有限だと思って大切に生きれば、充実した時間を選び取ったり、大きな何かを成し遂げることができる。
その為の十分な時間が僕らにはある。
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コーチとして傾聴のスキルを高めていく中で、今までよりも多くの”声”が聴こえるようになってきた感覚がある。
それは、人々の喉以外から発せられる声のようなもの。
その人が、本当にその人の在り方を尊重し、その人らしく生きようとしているのか。
それとも、常識や周囲に流されたり染まってしまい、どこか無理していたり、自分を押さえ込んでいるのか。
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前者は、正に自分で自分の人生を意図的に生きている。
後者は、ただ生かされている。
大きく区別すると、そんな風に言えるかもしれない。
これには、「人生は長くて有限」にも通ずるものがありそうだ。
同じ地球の上で、客観的には同じように生きているように見えるけど、本人の主観としての生きる実感には大きな差があるのではないだろうか。
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僕が以前勤めていた港区六本木の外資系商社は、業績も良く羽振りも良い会社だった。
だけど、そこは周囲を蹴落とし、多くの嘘があるような世界だった。
当時はそれなりのお給料をもらっていたけれど、正しく生きている感覚がある今の方が、僕はずっと深い幸福を感じている。
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周囲の目や数字を判断基準として人生を選んでいたら、きっと本当に充実した”自ら生きる”という道は選ばれにくいだろう。
そうじゃなくて、自分は何を大切にしたいのか。自分はどんな存在なのか、どんな風に生きていきたいのか。
自分の外側ではなく、内側の願いとも呼べる声に耳を傾けて生きていくことが、豊かな人生に繋がるのだと僕は思う。
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この人生は一度切りです。
そして、これは誰のものでもないあなたの人生です。
あなたにとって、後悔の少ない充実した人生とは、どんなものでしょうか?
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