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26. 吐き出し〜劣等感について〜

低いステージの上で、カントリーミュージックのバンドマンが演奏する。
客との間に隔たりはなく、演者と客とスタッフがその空間を共に作っている。シナジーと呼べる何かがそこにはあった。
演奏はもちろんとても上手いけど、それ以上に彼ら自身が演奏を楽しみ、自分自身を自由に表現している姿が眩しかった。
@アメリカ、ナッシュビル




僕は大体毎週、自分の内側をそのままPCに書き連ねることで、気持ちを整理している。
何かモヤモヤしている時にそれを突き止めようとすることもあるし、アイデア出しをすることもある。特に思い当たることがなくてもとにかく書き出してみて、感じ取れていなかった心の奥のモヤモヤ・キラキラ予備軍に触れる機会にすることもある。
自分の気持ちという目に見えない不確かなものを、手探りで目に見える形にしていく。そんな作業。

いつもは誰にも公開していないそんな「吐き出し」を、今日はnoteに書いてみたいと思う。
もちろん、書いてみるまでゴールがどんなものなのか、わからずに書き始める。



今日考えてみたいのは、劣等感やそれに伴う緊張について。

最近はかなり自然体で心地よくいられるけど、たまに自分の硬さを感じることがある。
先日、久しぶりにその状態になった。

それは、自分の少し先を歩いているコーチと会った時。
彼とは初めて会ったけど、会う前は純粋にワクワクしているつもりだった。
自分と似た考え方を持っているし、自分の描く将来像に近く、その上で自分より少し先を歩んでいるから、学べることが多いと思って、自分から飲みに誘った。

それなりに下調べをして、どんな話を聞こうか/しようかリストアップして、待ち合わせ時間にかなり余裕を持って現地に到着した。
彼は時間ちょうどに来た。
何の問題もない光景のはずだったけど、どういう訳か彼が来た途端に、何だか緊張モードになっている自分がいた。


こういうことって、たまにある。

社会人2年目くらいの時に高校の友達が誘ってくれたBBQ。
その友達以外は初対面だった。全部で8人くらいだったかな。
彼らは東大やら早慶卒だったり、楽天に勤めていたりと、少なくとも肩書きは所謂エリートの部類の人たちだった。

この時も、自分らしくいられなかった。
劣等感というか、「自分も本当はできるはずだ!」という気持ちがあったのかもしれない。
それを、どうにか証明したくて無意識の内に取り繕って自分を良く見せようとしていた気がする。
それを裏返すと、「そのままの自分では彼らには追い付いていない」と自認しているということだと思う。

今でも一流企業勤めの人を前にすると同じような感覚になることがある。(相手が自信満々だったりすると特に)
昨年、京大卒の友達にコーチングをさせてもらった時も、何だか全然上手くいかなかった。
自分が提供しているものが彼のレベルに満たなかったら、今後低い評価を下されてしまう、という恐怖心に似たもの無意識下にあったと思う。


こうやって思い返してみると、自分の恐怖心やちっぽけな自尊心に意識のベクトルが向いている時におかしな状態になってしまうように感じる。
もっと曝け出すと、僕は人を評価しているんだと思う。だから、「この人には自分を良く見せたい」とか「この人に認められることで同等レベルであると思って欲しい(自分が思いたい)」とか、無意識に感じているんだと思う。

一方で、僕は自然体の自分が好きだ。
心地良いし、きっと良い空気を作ることができるし、相手や周囲にベクトルが向いてる。
そうやって、相手や周囲と同じ空気を胸いっぱいに吸い込んで、どこか柔らかく細い綱で結ばれているような感覚になるのが好きだ。
そして、相手や周囲にとっても、それは(そうではない状態の僕であるよりも)良いことだと思う。


ではこれからどうしていくのが良いか。
まず一つは、こういう自分がいるということを認めるということ。緊張する相手がどういうタイプの人かは、意識すれば察することができる。
だから、無意識の内にそういう人に対して自分が自分を良く見せようとしてしまうことがある、と認識する。
これが最初のステップ。

二つ目は、選ぶことだ。
「自分を認めてほしい」という意識先行で、自分のあり方が選ばれていくのか、
それとも「自然体の自分」というあり方をまず自ら選び取っていくのか。そして、結果には執着をしない。

ただ、結果に執着しない、と言葉だけで言うのは簡単。だから、執着しないメリットを考えてみる。
合う人は合うし、合わない人は合わない。合わないならそれがわかった方が、お互いにとってもハッピーでしょ、ってことかな。
しかも、「自然体の自分」の方が良い結果に繋がりやすいこともわかってるし、何より自分が楽しい。(自然体ではない時はつまらないし、自己否定が生まれるし、後から振り返っても心地よい記憶にはなりにくい)

相手の人は全く悪くないのに、自分で一人相撲して緊張状態になってお互いにアンハッピーになるような場を作っていたんだろうな。


正直、学歴にも職歴にもコンプレックスがある。
輝かしい道を歩んでいる人を羨む気持ちもある。それは認める。
それでも、僕は自分の人生を肯定しているし、これからも周囲からどう見えるかではなく、自分が本当に良いと思える人生を選び取っていきたいと思う。

それは、家族との時間だったり、自分に正直であることだったり、自分の描く道を歩むことだったり、未知に積極的に触れてみることだったり。

エリートを前にした時にはこう思うように心掛ける。
自分なんて大したことないかもしれないけど、別にそれでいいじゃん。と。



これで今日の吐き出しはおしまい。
これがセルフコーチングなのかどうかはよくわからないし、別にわかる必要もない。
だけど、言葉ではなく自分の内側のモヤモヤした感覚に焦点を当てて、その感覚に違和感のないような文章を自分の内側から滲み出していく。
そんな作業を大学生の頃からやっていた気がする。

こうやって自分と対話することで、一つずつ自分の内側が整理され、確立されていく感覚がある。


コーチングを受けることで期待できる効果の一つとして、今回の吐き出しで得たようなものもある。

やっぱり周りを見渡しても、答えはどこにもない。仮にあったとしても、まずその前に自分自身のことをよく感じ取ることができていないと、それを答えだと認識することができない。
自分の感覚や考えと向き合って、より納得感が得られる何かを拾い上げていくことしかできない。

僕も自分と向き合って生きていきます。
共感してくれる方がいたら嬉しいな。

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