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29. 共感と同調は別物

もっと早くスペイン語を学べば良かった。
現地の人々との交流はとても楽しい。特に、現地の言葉が使えると彼らとの距離も縮まる気がする。
本来なら複雑に変化する動詞の過去形も、英語で言うところの“ed”を全てに付けて雑なスペイン語を話した。
何も意識するでもなく、僕らは自然体で、当たり前のように友達のような距離感になっている。
@グアテマラ、アティトラン湖




共感という言葉は、ポジティブな響きがある。
同調という言葉は、ネガティブな響きがある。例えば同調圧力とか。

この二つの言葉は意味合いが似ているけど、実は全くの別物。
「共感して欲しい!」と言葉では言っているけど、その意味としては「同調して欲しい!」と思ってしまっている人も少なくないのではないか。そんなことを感じることもある。
そしてそれはあまり良いことではないと思う。

同調とは

同調というのは、誰かの自分の意見や気持ちに賛同すること。
誰かが意見や気持ちを言った時に、「私もそう思う。だって〜だから。」などと言う。

そんな風に同調してもらうことは、相手も自分と一緒なんだという安心感があるのだろう。
きっと、同調を欲する気持ちは、そんな安心感を求めて生まれるのだろう。


共感とは

一方で共感というのは、相手の意見や気持ちを感覚レベルで理解すること。(理解というよりも、“わかる“という言葉の方が僕はしっくりくる。)

相手の意見や気持ちを否定せず、しっかりと受け止める。
例えばそれを反映することで、ちゃんとあなたのことをわかってるよ、と示す。そうすることで、相手は「ちゃんとわかってもらえている」と感じることができる。
そこに、信頼感が生まれると思う。


同調と共感の違い

ここまで書いたように、同調と共感はとても似てるかもしれない。
だけど、大きな違いは、聞き手の在り方に変化があるかどうかにある。

自分の意見や思いとは差異があるのに、相手に同調することは、嘘を吐いていると言えるかもしれない。もっと言うと、自分をある意味で変えてしまうことになる。

だから、少なくとも僕は自分が同調してしまった時、それが凄く気持ち悪い。だから余程面倒でない時以外は同調しないようにしている。

一方で共感は、嘘を吐く必要も自分の在り方を変える必要もない。
ただ、相手のことを純粋に理解するのが共感だからだ。


欧米における共感

女性は共感力が高いと言われていて、それは事実かもしれない。
だけどどうも気になるのは、少なくとも日本においては“同調力“の高い人が多いように感じるということ。

海外を48ヵ国旅してきたからと言って偉そうに言いたい訳じゃないけど、少なからず海外経験があるので、日本と海外の違いを多少は感じられているつもり。
その上で、特に欧米の人々は、同調力ではなく、共感力が高いと感じる。ドイツに7年住んでいる日本人の友達にも同じことを感じる。

それを短く表現すると、
We are different. But I’m okay. And you are also okay.
私たちは違うけど、私もあなたもOK。
そんな感覚が社会の中に溶け込んでいるように感じる。

人は違って当然。
そして誰かが自分と違う考えや感覚を持っているからといって、そして仮にそれが素晴らしいものだったからといって、自分の考えや感覚が否定されたことにはならない。
どちらか一方しか正解がない、なんてことはない。
もし相手の考えや感覚を良いと思ったら、「確かにそれもいいね!」なんて言って、魅力的なエッセンスだけを拝借してしまえばいい。


これからの歩み方

もしかしたら、江戸時代など昔の日本なら、みんな同じような感覚を持って同じように生きていく方が社会も上手く回るし、自分もその社会の一部としてそれなりの価値を感じながら幸せに生きられたかもしれない。
だから、同調していくことにもメリットがあったのかもしれない。

だけど、今は21世紀で令和の時代。
これだけ多様性のある時代において、当然それまでの生き方も違えば考え方もみんな違って当たり前。そして、それはむしろ歓迎されるべきことだと僕は思う。
文化というものは良くも悪くも根深く残ると思うので、時代にそぐわないのに同調圧力だけが残ってしまっているのかもしれない。

多くの方にコーチングを届けていても、同調圧力に否定的な気持ちを持っている人は本当に多い。同調を好む人なんてこの世に存在しないのではないか、というくらい多い。

これは確証もないことだけど、同調を求める人は、もしかしたら自分に自信がなく、自分の足で人生を歩めておらず、流されるままに生きてしまっているのかもしれない。
だから、他人に同調してもらうことで、なんとか自分を保ちたいのかもしれない。

でもさ、そういう一部の人に配慮して同調してあげてしまうことは、自分にとって良くないことだと思うし、大局的に見たらその相手にとっても良くないと思う。
自分は自分でいい。誰かが違う意見を持っていたところで、それに倣う必要なんて一切ない。

自分らしく行こうぜ。
その方が楽しいし、自分の価値が発揮できるよ。

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