”わかってもらえた”と懺悔部屋
"わかってもらえた"という感覚は、長い間心の支えになる。
"傾聴"という言葉どころか、”聞く”という言葉すら辞書に載っているか怪しい両親の下に男三兄弟の次男として生まれた僕は、"わかってもらいたい"という気持ちが強かった。それが満たされたことなんて多分一度もなかった。
”誰に”わかってもらうのかはそんなに重要ではない。相手がどうこうというよりも、自分自身が安心したオープンな状態でいることが大事だと思う。
自分の深いところまでまっすぐに聴いてもらうと、"本当にわかってもらえた"という気持ちになる。自分の気持ちが誰かに伝わるというそのことが、自己受容の大切なピースなのかもしれない。
乾きと植木鉢
乾き(欲)は潤してみて初めて乾いていたことに気づくと思ってる。
例えば、温泉にゆっくり浸かった時に「あー、これを求めてたんだ!」と感じたり、冬に水を飲んだ時にやっと「なんか凄い体が渇いてる」と感じたり、久しぶりに運動した時にその心地よさを感じたり。
多分、人の中には色々な植木鉢みたいなものがたくさんあって、ちょうど良く水が与えられてるものもあれば(例えば食事や睡眠)、水がダバダバになってるものもあれば(例えばSNSや糖質)、カピカピに乾いてるものもある(例えば自然や腹からの爆笑)。
本当はわかってもらいたい、本当は誰かに話したい。
そんな気持ちは、視界の隅に少しだけ入っていて認識しかけている乾いた植木鉢なんじゃないかと思う。
懺悔部屋と救い
余談ですが、南アメリカを旅していたとき、教会のメインの広間には電話ボックス大の懺悔部屋(告解部屋と呼ぶらしい)が4・5つ置かれていた。
その中に多分神父さんがいて、そこに入っていく一般の方も普通にいた。
誰かに話すことは、救いになるんだろうなと思った。
だけど、普通に生きているとそんな機会もなかなか持てない。
コーチングは、モチベーションアップや目標達成のような効果も期待できる。
それだけでなく、安心安全の場が、こうした自己開示の機会を作る。そして、自己開示をするだけで、大袈裟かもしれないけど人生が変わるほど心持ちが変わることだってあると思う。
人生を変えるような、支えるような、そんな"わかってもらえた"の経験を必要としている人、きっといるんじゃないかな。
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