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28. 渇きについて

サンクリストバル・デ・ラスカサスからバスに揺られ、小さな村テネハパを訪れた。
外国人に慣れないのか、子ども達は照れて遠巻きにこちらを見ている。
彼らの目には、この世界は一体どんな風に映っているんだろう。
無垢な笑顔を向けてくれた美しいメキシコの人々。
@メキシコ、テネハパ




以前好きだったことや、習慣にしていたことはありますか?

歌うことが好きだったな

2年くらい前まで僕が住んでいた目黒区の武蔵小山というところには、東京で一番大きいと言われる商店街にあって、その中にベストテンというカラオケショップがあった。飲食物持ち込み自由で、設備も良く、コスパも高かった。多い時は週2とかで通っていたな。
歌うことが(今でも)好きで、前職の仲間とバンドを組んでボーカルとしてステージで歌ったこともあった。

ステージではOasisのDon’t look back in angerや中島美嘉のGlamourous skyを歌った。
カラオケでは特に秦基博や東京事変や玉置浩二のように、しっとりとした雰囲気のある人の歌が好きだ。
こんなことを書いてるとカラオケに行きたくなってくる。


だけど、そんなに好きだったことも、今ではほとんどしてない。
日常の中に歌が組み込まれていない。それがなくても問題なく日常は回っていく。
だけど、一度そのことを思い出すと「たまには行きたいなー」と思うし、実際に行ってみると「やっぱり楽しいな」と思う。



そんなことから僕が思っていることは、

渇きは潤いの価値を高めてくれるけど、そもそも渇きそのものに気付きにくい

ということ。

カラオケにしろ、例えばお寿司にしろ、キャンプにしろ、きっとそれが毎日のことだったら飽きる。
本当に好きなことかもしれないけど、それはたまにあることだから十分な渇きがそこにあり、そしてそれが潤うことで大きな喜びに繋がる。

だから、僕は渇きを歓迎している。
だって、その方が喜びが増すから。空腹は最高の調味料という考え方が、僕は好きだ。

サイクルとして良いのは、今週はカラオケ、来週はお寿司、再来週はキャンプ。また3ヶ月後にカラオケ。みたいに色々な渇きを意図的に作って、そしてそれらを意図的に順番に潤していくこと。
更にそれらの渇きの要素として、今週は一人時間、来週は友達と会う、再来週は自然に触れる。みたいに、要素が異なればもっと良い。他には運動や芸術や社会貢献などもその要素になる。


問題は「そもそも渇きそのものに気付きにくい」という方

潤したら本当は凄く嬉しい/楽しいことはたくさんあると思う。
だけど、特に大きな問題もなく、そして特に新しい刺激もない日常がくるくると回っていたら、そんな渇きに気付くこともできないのだろう。

好きなことや楽しいことが本当はあるのに、それを忘れてしまっている。
ちょっと潤せば凄く嬉しいのに、そんな渇きに気付かないでいる。
これは凄く勿体無い。


渇きに気付くには

きっと、渇きに気付くためにはトリガーや習慣(仕組み)が必要になる。

トリガーは偶然かもしれない。
たまたまテレビでお好み焼きの店が紹介されていて、「久しぶりに食べたい!」となるかもしれないし、たまたま降りた駅でカラオケショップを見つけて入りたくなるかもしれない。

習慣化としては、年に一度は山を登る、と決めている人もいるかもしれない。


コーチングでは渇きに気付けるか

コーチングは内省を促すものだけど、意味合いは広い。
対話を通して過去や未来を旅したり、誰か(例えば尊敬する人)になりきって、どんな風に思うか想像してみたりする。

そんな風に何気ない日常では到達しない頭の中の何かにセンサーが感知する。
そんな風に、「昔はこれが好きだった!」とか「本当はこれがやりたかった!」と、僕の目の前でクライアントが気付いていくシーンに何度も立ち会った。


コーチングの話をするつもりはなかったけど、いずれにせよそんな渇きは喜びのためのリソースだと思う。
渇きを意識的に適切に潤していくことで、日常や未来が豊かになったらいいね。

この週末に、何か好きだったことをしてみませんか?


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