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薩摩藩とハゼノキ④ 現在の鹿児島県のハゼノキ

みなさんこんにちは!いよいよ「薩摩藩とハゼノキ」シリーズ最終回となります。前回で歴史的な部分は完結していますので今回はおまけパートです。前回はGW直前!ということで、少し中休みをして代表的なハゼノキ関連の観光スポットを紹介してみました。近くにお立ち寄りの際はぜひ訪ねてみてください!そんな前回の記事はこちら!

話は戻って「薩摩藩とハゼノキ」ですが、前回は生産する現場、管理する藩の実態を通じて薩摩藩全体の構造と通じる問題点についてお話をしてみました。最終的に、他藩から優良種や技術者を招き入れることで生産性があがり、藩政の財源としてさらに機能していくようになるのですが、、、今回はそのあとのお話。かつての生産地はどのようになっているのか?

1つ前の「薩摩藩とハゼノキ③」の記事はこちらです!


■大正大噴火とハゼノキ。桜島の現在

江戸時代を通じてハゼノキの中心地となった桜島ですが、安永大噴火(1779年)、大正大噴火(1914年)と2度の大きな噴火に見舞われてしまいます。前々回の記事でも少し触れたのですが、安永大噴火の際には12万本を超えるハゼノキが焼失してしましたが、垂蝋所が健在であったこともあり再植樹の結果、明治維新までハゼノキの生産地の中心地となりました。

最近はおとなしい桜島(鹿児島市内より)

さて、時系列として、白浜村の民営から始まった桜島の製蝋は、村山四郎兵衛の管理のもと藩営となり、藤野村、そして横山村へとその中心地を変えていきます。桜島町史には横山の隣の赤水村には蝋屋敷があったという記述もあります。維新後の西桜島村の中心となる横山地区がそのままハゼノキと製蝋の中心地でもありました。

桜島旧白浜村にある白浜温泉センター

しかし、1914年の大正大噴火により横山地区、赤水地区はともに溶岩流で埋没してしまいます。結果として、これが桜島におけるハゼノキ産業の最後となります。安永大噴火との違いは当時の櫨蝋の需要でした。すでにパラフィン蝋、ガス灯も普及がはじまっていました。大正大噴火によってその役目を終えたハゼノキですが、現在でも横山町には噴火後、発芽し成長してきた多くのハゼノキを見ることができます。

桜島旧横山村にはハゼノキが今でも多くあります

かつての中心地、桜島横山町には現在桜島港フェリーターミナル、桜島ビジターセンターがあり、大隅半島の玄関口として、ジオパークとして桜島を通じた桜島の過去と未来の形を探求することができます。農作物に関しても、桜島小みかんや桜島大根、桜島ツバキなど魅力的な産品がたくさん桜島にはあります。

■鹿児島最後の生産地。南大隅町辺田地区

鹿児島県における、最後の製蝋と櫨の実の生産地となったのが、奇しくもハゼノキ伝来の地である根占町(現南大隅町)にある辺田地区でした。製蝋は昭和44年ごろに終了し、櫨の実ちぎりは平成15年頃に終了しています。しかし、実際に櫨の実をちぎっていた方がまだ地域にいらっしゃる関係で、昔ながらのロープを木に巻き付ける方式など、今でも当時の貴重なお話を聞くことができます。

辺田地区から開聞岳を望む。眺めが素晴らしい!

ハゼノキの植栽地の始点でもあった原地区から南側は、「見渡す限りの櫨畑とだったよ」と、当時の様子を知る地元の方が教えてくださいました。現在は区画整備が進み、ほとんどが畑に姿を変えていますが、いまでも境界木や手つかずで成長したハゼノキを数多く見ることができます。ものすごく育ちやすい場所なのか、10mを超える大木がそこら中にあったりします。

辺田地区周辺にあるハゼノキ。名残櫨も実生櫨もたくさんあります

現在南大隅町のハゼノキは平衛門櫨(ヘイオンハゼと記載する資料もあり)、と昭和に入ってからは「昭和福櫨」を取り寄せていた記録もあることから、この2種類が混在する形で残っている状況です。辺田のハゼノキ渡来の記念碑を中心に広域に広がっています。さんざん「鹿児島ではハゼノキは嫌われている」というお話をしてきましたが、唯一例外的にこの地区はハゼノキに対して寛容な地区でもあります。

錦江町・南大隅町の位置関係

■ハゼノキの産業と文化の復興に向けて

「近所の櫨の実をちぎってみようと思うんだけど相談にのってくれない?」

とてもうれしい相談が舞い込んだのは今年の3月の事でした。実の採取に関してはハゼノキの里山の成育をある程度待つ予定でしたが、地元の方の協力があれば、今年から大隅半島の「ちぎり子」を復活させることができそうです。小さな一歩ではありますが、とても大きな一歩を踏み出せそうです。

植樹前のハゼノキの里山

現在、ハゼノキの里山は約2haの土地に約400本ほどのハゼノキがあります。ハゼノキの植樹前は杉林であり、杉の伐採後使われることなくそのままになっていた場所です。山に限らずかつて畑だった場所も同じように耕作放棄地になっている場所もたくさんあります。

ハゼノキはある程度成長すると、とても環境に強い木に育ちます。こういった使われなくなった山、畑の活用方法の一つの選択肢としてハゼノキが活躍できると考えています。そのうえで、これまで少し違う道を歩めるよう一緒に育てていきたいなと考えています。そして今度こそ「地域の樹木」として愛される存在になればよいなとも思っています。

4回シリーズとなった「薩摩藩とハゼノキ」も今回で終了です。最後までお読みいただきありがとうございます。次回はハゼノキの成長記録に関して書いてみたいと思います!

現在のハゼノキの里山

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