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音楽で表現したい「壊れる自由」

もう79年後には23世紀がやってきますね!
早い…時の流れを感じます。

さて、今回はとある方々からリクエストがあり、
「音楽で表現したいこと」について、
noteで記事を書けよ、鼓膜潰すぞこの野郎
というありがたいお声を頂きましたので、
それについて書いてみようかなと思います!


あまり表現したいこと…というのは
特にないのですが、
強いて言えば、よくライブで言っている
「自由」になるということかな〜と思いました。

では「自由」とはよく聞くけど
一体なんなのでしょうか?

それだけで哲学科で15回に分けて
講義ができるくらい難しいテーマですが、
哲学科出身の内田がドヤ顔かつ、ドヤ目、ドヤ手
で語っていこうと思います!

(哲学が苦手な方は中央揃えにするので、
なんとか我慢してください…!)

個人的にですが、「自由」には大まかに2つあると思っています。

それは「生む自由」と「壊れる自由」です。



前者はおそらく多くの方が
想像している自由かと思います。
「選択の自由」、「結婚の自由」、「職業の自由」
など自分の行動が制限がないことを意味しており、
行動により、なんらかの結果を生む自由です。

ただ、フランスの有名な哲学者サルトルという方は
「人間は自由の刑に処せられている」と言ったそうです。

自由とはとても楽な幸せなことに思えますが、
実際は、全てを自分で決め、自分で判断し、
行動するという「責任」がつきまといます。

そのため、自分の人生は誰のせいにもできず、
自己責任の世界に生きなければならず、
非常に辛く、正に刑に処せられているような
状態だとサルトルは語ったのでしょう。

確かにできることなら、人間誰しも
責任は負いたくないですよね〜
だから友達や、親や、秘書や
いろんな人のせいにします。

でもそんなことをすると周りから、
蔑んだ目で見られてしまう。
故に責任から逃れられず、
やるべきことをやらざるを得なくなる。
そんなしがらみに縛られている
「自分」を生んでしまう。
生む自由にはそういった側面があるといえるでしょう。


では後者の「壊れる自由」とは何でしょうか?

それは、上述したやるべきことや、
責任、将来の不安などに縛られている自分が、
壊れていく、壊れる自由ということです。

そんなこと言っても、どうやったら壊れるんだよ
早く寝ろよばか、風邪ひくなよ
ということを言う方がいるかもしれませんが、
答えは簡単で、音楽に夢中になることです。

好きなバンドや歌手の音楽を聴いている時、
歌いたくなる、踊りたくなる、泣きたくなる
色々な感情が湧くかと思います。
「これをやったら周りから何て思われるかな、
変な目で見られるかな」
と言う考えを捨てて、無我夢中になり、
やらずにいられないことをただやりまくる。
”将来”ではなく後先考えずに
"今"やりたいことをやる。
そんな時、「壊れる自由」を
体現したと言えるでしょう。

なぜならその時には、すでに、
自分を縛り付けている不安や責任などを
ほんの一瞬でも忘れられて、
縛られていた自分が壊れているからです。
そして「あれをすべきだ、あれをしてはいけない」
といった制約もかなぐり捨てて楽しむ。
変なことでも良いからやりまくる。
そんな「壊れる自由」を体現した状態が
「くるくるぱー」だと思っています。

音楽に夢中と書きましたが、
別に笑いでも、絵でも、漫画でも何でも、
役に立たなくでも、やりたいことをやりまくり、
周りのことを気にせず、恥ずかしさというネジを
外して一緒に「くるくるぱー」になろう!
もしくは「くるくるぱー」になれるような
曲を作ったり演奏したり、ライブをしよう!
これがもしかしたら表現したいことかなと、
今芋けんぴを食いながら思っていました。



二つ目今食べています。


3つ目は半分食べて残しました。
俺あんまり芋けんぴ好きじゃないんですよね。


ということで!!!!!!!!!!!!!
皆さんもぜひ「くるくるぱー」になって楽しいより良い日々を
過ごしましょう〜〜〜〜
(右揃えがナウいのでしてみました)

そしてライブ中に「ゐ」や「ゑ」の文字が
書かれた紙を顔に貼ると、
幸せホルモン「セロトニン」
が増えるということが、デヴィ夫人と、
勝俣州和が言っていたので、
皆貼りましょう!
俺は貼らないですけどね!
絶対に!


これは木です。

これは木です。


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