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わたしは母から生まれた12月8日

ハイネックを着れるようになったのは、いつからだろう。
首を絞められている窮屈感が耐えられなくて、ずっとハイネックは苦手だった。いつからか、その苦しさと引き換えに得られる温もりを欲するようになった。
ハイネックにマフラー、マスクに顔を埋めるようにして朝家を出る。同期と顔を合わせると、目しかでてないと言われた。そのことに軽く驚く。目だけでていれば、世界はいつも通り見えるから、世界からわたしが見えてないとは。そういえば気づかなかった。布団から、マフラーへ。冬は温もりに包まれながらそぉっと身体を騙していく。

西加奈子さんの『くもをさがす』を行きの電車で読みはじめた。この間、講演会でその姿を目にしたばかりだけれど、きっと会っていなくても同じくらいのビビットさで伝わる、乳がんになってからの生活。乳がんを経験した母のことを思わずにはいられなかった。少し前にこの本を読み終わったと言っていた。どう、読んだのだろう。当時は中学3年生のわたし。母はわたしの前で変わった様子を一切見せなかった。病室でベットに横たわった母の小ささにだけものすごく驚いたことと、一緒にシンデレラの実写映画を見たことだけ覚えている。
あれから母は、日常生活でも温泉でもわたしに胸を晒すことはない。毎日電気を暗くしてお風呂に入っている、その事実だけがまだ生々しい。

お昼休みの中庭で続きを読んで、その揺れた心のまま午後の仕事に戻った。本屋さんに行ってぶらぶらし、カフェに入って再び本を開く。
頼んだチャイは甘くないスパイスの感じ。一緒に頼んだ一粒のチョコレートだけが、わたしの空間で甘さをもっていた。
海外生活の西加奈子さん。会話文として訳される言葉は全部関西弁なのが面白い。たしかに誰それがこう言った、という言葉はその人の言語に置き換えられる。もし自分が放った言葉が第三者に関西弁で伝えられるとしたら面白い。

この間祖父と食事をしたとき、わたしはもはや翻訳の仕事をしていた。母の声のトーンが聴き取りづらいらしく、いくら大声をだしても中々伝わらないのだ。第一、わたしの家族はみんな声が小さいし通らない。母が二文、三文と話す言葉を盛大に端折りながら通訳をして、軽く文句を言われる。

そんな母と、昨日ふたりで食事をした。
おしゃれなレストランにカウンターの席で、ピザを分けあう。来年、定年を迎える父の今後について。きっと母も色んな言葉が溜まっていたのだろう。薄暗い店内で少し涙目になっている母は、いっぱい話した。わたしには、全部きこえた。母の言葉を聞くことが、中学三年生のわたしにはできなかった。自分の成長がうれしい。

本を読み終わる。ぼぉっとした気分で外に出る。帰り道の車内、noteを書いた。

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