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肩書がなくなること

7月下旬、夏休みに入って私はぬるっと「学生」を卒業した。
就職するわけでもなく、ただ単に「学生」である期間が終わる。
海外で通っていた大学はもう卒業し、日本で留学生として大学に一年通っていただけなので、卒業式もなく、学生証の期限が切れるのを待つだけだ。
進学して学生を続けることは可能だが、私はあえて自分が甘えてしまう「学生」という立場から離れ、今後やっていきたい仕事に向けて進んでいく。

私は「学生」でも「社会人」でもない人間になる。
肩書きなんて関係ない、それだけが重要ではないと分かっていても、「学生」という最強な肩書きが無くなることに対してとても不安になる。
肩書なんてなくたっていい、ほしいなら自分でつくればいい。そう思っていても、ある枠・カテゴリーにはまっていると他人に説明しやすくなるから安心はする。

7月以降、「何をされている方ですか?」と聞かれたら、私はなんて答えるのだろうか。そして相手はどう反応するのだろうか。相手のリアクションを自分はどう受けとめるのだろうか。イベントに参加するとき、アンケートに答えるとき、手続きをするとき、私はどの枠にチェックをすればいいのか。人の目を気にしがちで、自分をよく見せたい小さな自分、どこかに属していたいと思ってしまう自分がいるのを知っているからこそ不安になる。

私には金工職人とアーティストになる夢がある。作業場を持って、作品や商品を作って売ったり、展示をしたり、ワークショップをして生活していきたい。しかし、その道を進んではいるものの、まだ自分のことを「職人」「アーティスト」とは名のれるほどではないと思ってしまう。そして、夢であるその仕事をして生活していけるのだろうか、果たして自分はそこまでたどり着けるのか、などと弱気な自分もいる。「学生」ではなくなるふわっと宙に浮いているような自分がいつまでもふわふわしていそうで、生活ができなくなってしまいそうで焦ってしまう。

いろいろと悩んでいる中、先日住んでいるシェアハウス、アサヒ荘でメンバーがぬるっとしていた自分の卒業を祝ってくれた。「お疲れ様」「卒業おめでとう」。その言葉を聞いて胸がぽかぽかした。「学生」は一旦終わったけれど、これから新しいなにかが始まるんだ。

大変な時もあったけれど私はとても幸せな大学生活をおくることができたのだと改めて思う。そして恵まれた環境のなかで「学生」でも「社会人」でもないふわふわした自分は自分の道を進む。一歩一歩肩書にとらわれず、少し不安も抱きながら次のステップに向かっていく。


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