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外部(未開の地)が無くなった今、闘いから Love へ

外部が無くなった今、行き所を失った、闘いのエネルギーは敵を内部に探してしまう。

例えば人類。もはや征服する外部の土地も民族も無い。
結果として、国民から吸い上げる形態に堕す市場。

例えば、生命。狩猟採集できる未開の地が無くなり、遺伝子改変や、水耕栽培、陸上養殖など、野生ではない生命システムからの収穫に移行。

例えば人間。物理労働から頭脳労働、さらに今はクリエイティビティや創造性を囲い込みする段階。

結果、肉体も、社会も、生命も、地球も、相似形に、自己免疫疾患的な病いが増えている。

気候変動、コロナウイルス、鬱、自殺、DV,、、、関連しているだろう、これからは一つのシステムなのだから。

支配しねじふせる オス的コミュニケーション から 母性へ

これまでは、変革は闘いであり、征服であり、革命であり、改革であり、改善であり、教化であり、克服だったかもしれない。やっつけることがよいとされた。敵を支配し、コントロールすることが方法論だったから。

しかし今は、敵は内にしかいない。
それを、やっつけようとするなら、囲い込もうとするなら、結局は、それ自体の命・エネルギーが疲弊して音を上げてしまうので、持続可能ではない。自殺に近い面がある。

つまり敵ではない。征服してはいけない。

ではどうすればいいのか?

ではどうすればいいのか?

戦い ではなく、弱さを受け入れあう 愛 が有効だ。

自己との闘い という意味では近いものもあるが、闘いねじ伏せるというよりは、自己の全体性の統合・受容・包含。

ここで重要なのは 弱さ を受け入れ合うこと。

実は、強さ は この弱さに向き合えずに外部をなんとかしようとあがいていたことに他ならない。大いなる無駄だったともいえる。

実は 弱い これを オープンにする 自己開示する その強さ。

これは 戦う強さではない。相対的な強さではない。

そのままの存在を 多様性を 一律の物差しではダメと扱われるようなそれぞれを 未知の可能性を 受け入れる事 受け入れ合うこと

ちなみに
凍結Freeze・逃走Flight・闘争Fight・放棄Forfeit
だけでなく、

赦し Forgiveness かな? 

前頭葉~迷走神経 での 対話・創造の方策(社会交流システム)があり、そこから「健康、成長、回復」につながる。これには 安全 が重要だというのと呼応する(ポリヴェーガル理論)。

戦士から然士へ。

天使というよりは、禅士、いや自然士、な感じ。
細分化された持ち場で機械的に動く兵士ではなく、全体を感じながら、一隅を照らす者。

闘う・戦う であれば 何も考えず、感じず がよかった。

しかし、受容力であれば、感じ、気づき、慮る 力が要るだろう。

それは、分断された戦力ではなく、全体性を帯びた視点・共感が必要だろう。それは、部分というよりは一隅だ。

私 は 個体を超えて、全体としても「ある」

私も カラダも 社会も 生態系である。
動的平衡としての命がそこには息づいている。

いのち が わたし を いきている

私は 現象 であり、主体ではない。主体は 動的平衡たる命そのもの。
そこに「死」はなく。

全肯定的な愛で存在を肯定している。


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