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微力どんでん返し~ハッピースイッチは各自の手の内に

ハッピー(であること になること)のスイッチは、自分の手の中にあります。

それは誰が決めるものでもないし
誰かが条件を定義するものでもない

そしてハッピーでなくてもいい
ハッピーのスイッチが手の中にあることに気づくこと
それが大事


押すとどうなるでしょう


世界がハッピーになるんです。
 実はそういうスイッチだったんです。
 自分をハッピーにするスイッチというよりは
 ハッピーを選択するスイッチだったわけです

私が ハッピーであること
または
私が ハッピーを選択することが

世界をハッピーにし、
または
世界はもともとハッピーでしかないことを想い出し
世界がハッピーであることを再選択する
ということ

なぜなら 私と世界は響き合っているから


実際、
ハッピーだなって思うときは
 ハッピーだなってことへの感謝として押す。
  すると
  ハッピーがかえってくる ハッピーを想いだす さらに感謝がかえってくる
   世界から

ハッピーじゃなく思ってるなって時に押すと
 生きていること 世界にひとつの私であること かけがえのないこと が 想いだされ
  それへの感謝が湧き上がったり
 世界からは
  ハッピーを選択してくれてありがとう
  あなた自身を愛してくれてありがとう
  世界というわたし自身を大切にしてくれて、愛してくれてありがとう
   っていうふうに
 ハッピーがかえってくる ハッピーを想いだす 感謝がかえってくる
 そんな風にできている
 そうすると、私もハッピーに戻る
  (ちょうど力を抜くと浮かぶように、初期設定はハッピー)
   結果的に、私もハッピーになるスイッチなわけです。
   
ハッピーどうでもしいし って時は押さなくてもいいし
 本気でなく押しても、罪悪感を超えて感謝が返ってくるのでちょっとハッピーになる


みんながハッピースイッチを押せば

みんながハッピースイッチを押せば
世界がもっとハッピーになるってことです。

で、
世界がハッピーになると、
自分ももっとハッピーを感じられるようになる
ポジティブフィードバックシステムなんですよね
つまりハッピーがハッピーを呼ぶ雪だるま方式なわけです

ひるがえって現実では

さて、ひるがえって現実では
このスイッチは、自分の外にあるように思われていることが多いです。

親 異性 上司 権力者 市場 神さま ・・・ 誰かが持ってるみたいな
お金 地位 技術 ・・・何かがあれば みたいな

場合によっては、教育や子育ての中で、取り上げられた(ように思わされた)りしています。
当事者ではない と 思わされるかのように。

いやいや、忘れさせたり、見づらくさせることはできても、
それは取り上げることはできません。

スイッチが自分の手の中にあることは大きな力

大事なのはそのスイッチが自分の手の中にあることは大きな力だということ
それを誰かに渡さないこと(渡せないけど)
(外にあるように見えるのも、実は内なるものが、鏡のように現れているだけで、内なるものを見せてくれていたりもします。それはだから私から変えられるということでもあります)

世界を変えるには、外なるものをいろいろ動かそうとしがちですが
まずは、自分の中にスイッチはある ということに気づいて
それをまず押してみたらどうでしょう
力が戻ってきます
自分の大切さが戻ってきます
すると外のことに振り回されなくなります

微力革命

みんなが押したらどうなるでしょう?
(まずは身の回りからでも)
みなが幸せは内にあり、押す力も内にあり、外に振り回されなくなったら


すると、外への選択が変わります。
すると、世界は変わってきます。
結果として、たくさんの小さな私が変わることで、小さな私の選択が変わり、その総体としての世界も変わります。

微力だけれども小さな小さな変化が、オセロのように、黒から白に、どんでん返し。
ハッピースイッチを想いだすだけ、一回心の中で押して、感じてみるだけです。

画像1

(2011頃に今は無きFlashでプログラムしたもののスタート画面。exeに変換してくれるプログラム(ふらっしゅえあえぐぜ)で復活したものからスクショしました。PC上では最後だけ止まっちゃうけど一応動いたけど exeなのでウェブでは見れない(;  ;)。画像はとれました)

昔のアーカイブ発見~
https://web.archive.org/web/20130520193229/http://8psw.com/

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