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おばあちゃんたちのご詠歌

御詠歌ごえいかというものをご存知でしょうか。

仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌にして、声を長く引き延ばして、旋律にのせて唱える仏教歌謡です。平安時代から伝わるものだそうです。霊場巡礼の際にご詠歌を歌ったのが始まりとする説もあるようです。

私の祖母は、地域の老人クラブに入っていて、ご詠歌の会によく参加していました。私は、幼い頃、祖母に連れられて老人クラブの場に行っておばあちゃんたちのご詠歌を聞いていました。

ご詠歌を唱えるときに、祖母たちは小さい鈴のような楽器を鳴らしていたのです。その「シャリーン、シャリーン」というような音色が、ご詠歌とうまく調和して聞こえました。また、祖母たちは、首に紫色の幅広いヒモのようなものを下げていました。それは輪袈裟《わげさ》というものです。

調べてみると、ご詠歌は、左手で鈴を掲げて鳴らし、右手でしょうを打つとのことです。鈴は「れい」と読むとのことです。

比叡山延暦寺の公式サイトより

いつもは地元のお寺でご詠歌の会をするのですが、ある時、隣村のお寺に行ったことがありました。そのお寺に私が行ったのは初めてだったので、ある場面が鮮明に記憶に残っています。

ご詠歌の会が終わって、祖母や仲間のおばあちゃんたちがお寺の庭を眺めていると、庭に咲いている植物が話題になりました。何の花だったか覚えていませんが、たくさん咲いていたのでしょう。紫陽花だったかもしれません。

お坊さんが、それを皆さんに分けて差し上げます、ということになり、おばあちゃん達は、一人ひとりその花をもらって帰ることになったのです。

その時、お坊さんが、庭を見渡せるお堂の中に立って、庭にいるおばあちゃんたちに、何か話をしていたのです。私はお堂のすぐ近くにいたので、お堂に立っているお坊さんの姿が見上げると巨人のように見えました。

その後、半世紀以上、私がそのお寺を訪れることはなかったのですが、数年前にレンタカーを運転する機会があって、そのお寺に行って自分の記憶を呼び覚ましてみようとしました。

おそらくお寺はさびれてしまっていてがっかりするかもと覚悟して行ってみたら、さびれるどころか、国の重要文化財に指定されていて、丁寧に御堂や庭が手入れ・管理されているのが分かりました。鎌倉にある円覚寺えんがくじを小ぶりにした立派な御堂でした。

元々は堂山寺だったのが、明治の廃仏毀釈で、神社になっています

御堂の大きさは、私の記憶しているものの半分くらいでした。子どもが見ている世界と大人の見ている世界では、こんなに大きさが違って見えるんだ、と改めて感じ入ったわけです。

私がおばあちゃんたちのご詠歌を最後に聞いたのは、祖母のお通夜の時でした。仲良しのおばあちゃんたちが集まってきて、祖母の遺影に向かってまるで生きているかように色々なことを話しかけていました。その後ご詠歌をあげて供養してもらいました。鉦や鈴の音が私の心にしみわたりました。

私の実家の周辺は、昔、農耕馬の産地だったらしく、馬頭観音信仰や、観音講というのが行われていたようです。もしかすると、祖母の老人クラブも観音講の流れを汲むものだったかもしれません。

https://researchmap.jp/read0139677/published_papers/12183563/attachment_file.pdf

後年、ご詠歌の音色と似たものを聞く機会がありました。友だちから、無料のコンサートあるからと誘われたのです。行ってみると、それは、声明《しょうみょう》でした。ステージで僧侶たちが歌っていた音色を聞いて、おばあちゃんたちのご詠歌を思い出しました。

ご詠歌はお寺の檀家の信者や巡礼者によるものであり、声明しょうみょうは、僧侶がお経で節をつけて歌うものだから、全く違うものですが、歌声の節が似ていると感じました。調べてみると声明にしてもご詠歌にしても、今や大きなホールなどでコンサートも開催されているようです。

2023年12月には、ウィーンの楽友協会の大ホールで、ご詠歌のコンサートが開催されたということです。キリスト教のミサのようなものと説明すると、海外の人にもすぐ理解してもらえそうです。

コロナ禍以降、葬儀はますます縮小化に向かっているようですが、ご詠歌が唱えられる葬儀などは、地域によってはまだ残っているのでしょうか。

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