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人間としての、自然や大地に対する肌感覚を取り戻す

今夜は8年ぶりの、満月で迎える中秋の名月。

世間はシルバーウィークと呼ばれる期間の真っ最中かと思いますが、私の周辺はオリパラも夏休みも終わり、なんとなく一段落したな、という雰囲気に包まれている感じがします。

先日、自分としてはとても珍しいドキュメンタリー映画を見ました。

明日をへぐる ‐ 監督:今井友樹氏

昨今の禍中、高知県にて1年以上にわたって撮影された、とても規模の小さいドキュメンタリー映画。

古くから高知の山あいで育てられてきた、和紙の原料、楮(こうぞ)。

この低木を育て、収穫し、数々の手間のかかる工程を経て、他にはない独特な和紙の原料となっていく。
この和紙は、単にモノを書くという用途だけではなくて、
版画などの芸術作品にも、歴史的な資料を修復・修理する材料としても、世界中で重宝されている。

ご多聞に漏れず、この手の伝統産業の行く手は危なげです。
まずこの楮という木、高度経済成長時代の国策により大規模に伐採され、代わりに山々には杉や檜の人工的な植林がなされました。

その頃は建築用の木材が不足していて、ただ国の言うとおりにこれらの木を植えるだけで補助金が出るという、不思議なことが起こっていたそうです

しかし、それから間もなく材木の価格が急落し、あっという間に林業だけでは食べていけない農家が続出しました。

それ以前は、楮などの林業だけで子供4人と大人が優に暮らしていけるくらいの豊かさだったのだそうです。

原材料の量が減れば、それだけこの産業に関わる人が減り、作り方を知る人が減る。
その減少に代わって得られたものは、いったい何?

短絡的な発想で人間が土地に手を加えてしまい、どうにもならなくなった例がここにも…といったところでしょうか。
代わりに植えた杉や檜によって、花粉症に悩まされる人間は逆に激増しています。

もちろん、ここで作られる和紙が、工場で大量生産される安価な紙に効率性や価格でどうこうできるわけじゃありません。
というか、これらは、全く別のモノですね。

このように作られた和紙は、1000年以上の耐久性を持つと言われています。
その途中、100年~200年単位で、破損したり弱ったりした個所を同じ材料で補修していくことにより、さらに長い年月を生き続けることが出来るとのこと。

現代、情報を保持し続けるためには“データ”という形式を取りますが、これを1000年も原形のままに保持していくのは至難極まりないように思えます。
ここほんの数十年でも、機器やデータ形式の変遷は目まぐるしく、うっかりしていると昔のデータを読み取る機器が世間から消えていたりもしますね。
大事なデータのバックアップなどしておいても、ちょっとした不具合で読み込めなくなることは日常茶飯事です。
人間が作り上げようとしている技術なんて、まだまだそんなもの。

…こんな、とりとめもない話はさておき。

人間としての、自然や大地に対する肌感覚を少しでも取り戻すこと、諦めたくないなぁ。

映像に出てくる皆さんの、地に足のついた佇まい。
年齢を経てより柔らかくなったであろう、屈託のない笑顔。

しっとりとした時間に、また足元を見つめなおす良い機会を得ることが出来ました。

≪巻頭写真:Photo by Alexis Antonio on Unsplash≫

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。