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自分について、例外なくすべて見切る

2月と言えば、確定申告の季節。
毎年の事なのに、いざ取り掛かってみると想定外の抜け洩れや思い違いがあって、いろいろな処理が行きつ戻りつ…
なぜもっと早くから取り掛からなかったのかとか、なぜ毎月、いやせめて3か月毎くらいに見直さなかったのかとか、今更ながらの愚痴が頭をよぎります。。
そんな今年の処理も、もうあと一歩。
どうしても手元に見つからない最後の書類を再請求し、到着待ちというところまで行きました。
これを登録出来たら、終わるはず。そう、終わるはず…本当かしら…はぁ…。

このようなお金にまつわる事務作業も、今は自分でしています。
お仕事の取引範囲がそれほど複雑な訳ではないですし、遠い昔に仕事で簿記2級という資格を取っていることもあり、大抵のことは説明を読めばなんとか理解できるので…。

ただ最近、この作業には別の意味もあるんだな、ということを思い知らされました。

少し前、MOMOYOさんに言われたことです。

私たちは人の心にガッツリ向き合うことを本業にしていますが、自分を知るという意味においてはそれ以外もすべて、全部見切ることが必要、と。

つまり、3次元での自分の生活…お金をいくら稼ぎ、どのように使うのが自分なのか。
そこも例外にせず、ガッツリ全部向き合うという姿勢が、本当に自分のすべてを理解することに繋がるのだ、ということでした。

うわぁ…と思いました。
実は私自身、なんとなくお金のことは心の問題の範囲からはちょっと離して考える癖がついていました。
というのも、お金にまつわる様々な思考 ー 例えばお金を稼ぐことに対する罪悪感や、お金を使い過ぎてしまうことに対する罪悪感など ー は、実はお金を隠れ蓑にした別の問題が隠れていることが多いということもあり、お金の話題についてはその“別の問題”を探しに行くような扱い方を定石にしてきました。

しかし、しかし、なるほど。
言われてみれば、自分とお金の関わり方そのものも、自分の在り方を示す大事なヒント、あるいは鏡なのですよね。

MOMOYOさんからのご指摘を受け、今月からやってみていることがあります。
一体自分が食費にいくら掛けているのか、明らかにしてみること!

これまで本当にどんぶり勘定で、何にどのくらいの金額を消費しているのか、全く知ろうともしていませんでした。
とりあえずまずは食費だけ、自分がどんな風に生きているのか客観的に眺めてみたくなったのです。

この1か月、そうやって自分の消費行動を意識してみると、やっぱり興味深い側面がいろいろと見えてくるものです。
そして、これまでであればこっちのスコーンとあっちのマフィン、どちらを買おうか迷いに迷って結局2つとも買ってしまうようなケースも、その金額が手帳に加算される様を想像すると、ちゃんと買うべき1つを選べるといった効果も現れてきまして…👍

今日2月28日は月末日。
ひと月の積算を見て、自分が何を思うか…それなりに楽しみです!

≪巻頭写真:Photo by Photo by micheile dot com on Unsplash≫

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。