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人生における“遊び心”とは、予定調和の無い未来を愉しむ精神

私が初めて「人生における遊びが足りない!」という指摘を受けた相手は、当時すでにCOCOROカレッジのアプレンティスとして活動されていたMiyokoさんでした。

なになに?私、やりたいと思ったことにはガンガンに手を出しているし、やりたくないと思ったことからはサッサと手を引く人間ですけど?

旅に出たいと思えばバックパックを背負って一人で海外放浪もしちゃうし、そこまで時間が取れなくても気になる神社に飛んで行って、その近くの良き温泉宿でお楽しみ🎵みたいなことは年中しているし。

合わないと思った会社からはひょいっと退職しちゃうし、これは引き寄せられた!と思ったものにはとりあえず没入していくタイプ…なのですけど…。

これだけ好き勝手やっていて、人生に遊びが足りないって?!
そんなこと今まで言われたことがないし、自覚もありませんっ!!
そこでいう遊びって、ナニ?!

当時、私の頭の中は????でいっぱいになりました。

先週末のMOMOYOさんの動画では、人生において大切な“遊び心”の意味がとてもクリアに語られています。

それでも以前の私のように、その真意を掴みきれていない視聴者も大勢いるのではと思います。
そこで、大変僭越ながら私自身の視点と経験からちょっと補足をしてみます。

ここでいう“遊び心”の最も大切なポイントは、
『自分以外のモノにコントロールを任せて、何が起こるか試してみる』
という精神だと思っています。

動画の中でも語られている通り、自分しか信じない、自分以外のモノにコントロールが任せられない人が、“遊び心”のない人ということです。

どうなるか分からないけれどチャレンジしてみよう…それが出来るとはどういうことか。

例えば、私はバックパッカーとして一人で知らない国に飛んでいくことも全然へっちゃらでした。

でも、そこでの精神は、こんな感じ。
「出来る範囲では全部調べた!日程も荷物も多分大丈夫!不測の事態が起きてもバックアッププランで乗り切れるはず!さあ、来い!」

…分かりますか?
たしかに「どうなるか分からないことにチャレンジ」しようとはしています。
でもその内実をよく見ると、起こりうることを限りなく予見し、対策を講じて、
『自分のコントロールがどのくらい通用するかを見極めたい』
という世界を生きていたんです。

コントロールできない世界を遊ぶ、ではなかったんですね。

数々の転職なども、どうなっちゃうか分からない未来に自分を投じていくという訳では全くなく、より安全そうな未来をマインドで選択しようとした結果だったのです。
決断するときはそれなりにビビっていたんですけれどね…。

同じ実験でも、マインドが理解できる範囲でのチャレンジと、マインドの想像が追いつかない世界へのチャレンジでは、だいぶ意味が違うのです。

ここが、大事なポイント!

ちなみに、私がどのくらい自分で自分をコントロールできることに固執していたか…ものすごく卑近でわかりやすい例が、マッサージや整体にかかった時の私。

施術者さんたちに身体を明け渡すことが出来なかったんですよ。

いつも「もっと力を抜いてください~」と言われ続け、自分ではこんなに力を抜いているのに、これ以上どうしたら…と途方に暮れる、を繰り返していました。

もちろん施術者さんたちのほうが正しくて、私の腕を取ってブラブラさせながら、「ほら、全然自然に動かない~肩にも腕にも力入りまくりです~」なんてこともされましたっけ。

とほほ…施術者さんに身体を明け渡すなんていうアイデア、露ほども浮かばなかった過去の私。

そのくらい、自分の身体は自分の持ちものとして完全に自分のコントロール下に置いておくのが当たり前、という感覚でした。

そこを、明け渡して、実験するんですね。
それが、人生における遊び。
それを、ビビりながらでも愉しんで実行していくのが、遊び心。

動画では、MOMOYOさんのお父様がどれだけ破天荒な実験をMOMOYOさんの人生にもたらして来られたのかにも触れられていますね。

私の場合は真逆。
私の父は、極限までコントロールしようとする人生を私に見せてくれています。

それが、どんな風に煮詰まってしまうもので、どんな風に不安や不満、絶望や諦めを生み出すのか。
なるほどな~…といつも勉強させられています。

これが私に必要な学びなんですね。

今回お伝えしたこと、どなたかのご参考になれば幸いです。




長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。