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カサブランカ

君と別れたあの日、僕は何も出来なかった。
とある企業に新卒で入った僕は現実を目の当たりにした。入社時の契約とまるで違う実態、上司や社長対応の違い、残業のオンパレード。同じくして入社の人達は、始め10人いただろうか。始めの1人は、急に連絡がつかなくなり、その次は体調不良で辞めていった。それから半年が過ぎ、1年が過ぎ、後輩が出来る頃には、気が付く頃には同期と呼ばれるものは、君と僕の2人だけだった。辞めていった人の中には鬱になった者もいたと後から噂で聞いた。
そんな中でも、僕が乗り越えられたのは君がいたからだった。どんなに、辛くても君と一緒なら乗り越えられる気がした。
そんなある日、2つタイピング音だけが、オフィスに響いていた。
「あとどれくらいで終わる?」
「もうそろそろ終わる」
「じゃあこの後1杯だけ行こう?」
「1杯だけならいいよ」
素っ気ない、返しをした反面、僕はとても嬉しかった。初めての君からの誘い。
仕事を片付けて、少しおしゃれなBARに君が連れていってくれた。
君は、ロブ・ルイを、僕は、ワインクーラーを頼んだ。
お互いの気持ちは同じなのだろう。
君は言った。
「この会社辞めようと思ってるだ。君はこの先どうしようと思ってる?」
戸惑う僕を待たずに君は続ける。
「俺について来てくれないか」と。
僕は、どうすればいいか分からなかった。
僕達は付き合っているわけでも無い。でも、確かにお互いの気持ちは同じである事を、お互いに気が付いてはいた。そして僕は、「少し待って欲しい」と言うと、君は笑顔で、「そっか、急にごめん、今日は帰ろう」そう言って席を立った。タクシーを呼んでくれた君の背中は、大きくもあり、でも何処か寂しそうだった。

翌日君は会社に来なかった。
と、言うより来ない事を知らないのは僕だけだった。昨日が最後の日だったのだ。
急いで僕は君に電話した。つながらなかった。
僕にはわからない。君が消えてしまった事。なんで、何も言ってくれなかったのだろう。
わからないという感情と、悲しさが相まって僕は数日立ち直れなかった。後悔もした。あの時どう返事すればよかったのか。
そんな事を考えていても時間の流れは止まらない。あれから3年がたった今、相変わらず、僕は今でもここにいる。きっと君が帰ってくると心のどこかで思っているのだろう。
君に会えると思って通った、このBARが今では常連客の1人になっている。
僕はいつもの「カサブランカ」を1杯飲みながら、外を見ていた。
2人の男女が入ってきた。
僕はあの日を思い出す。きっと忘れない。
君と出会うまでは…