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私たちは、「小さなつながり」で生きていく

プロローグ :コロナ後、どう生きる? 〜シェアからはじまる暮らし〜
前編:鳥取ではじまる「共有地」。その原点と仲間たち
▶︎ 中編:私たちは、「小さなつながり」で生きていく
後編 :共有地は、「生きる」感覚を取り戻すために
エピローグ:共有地で生まれる、新しい世界線

前編は、鳥取の砂鳥ビル1階にて「共有地」づくりをはじめた丸さんの想い。そして一緒に取り組むお仲間の皆さんのお話を伺ったレポートでした。

その後、鳥取で生まれている可能性やコミュニティのあり方について、質疑と対話で探求を深めていきました。その対話について、中編でレポートしていきます。

丸さんが鳥取で感じる可能性とは

共有・シェアの器より、大切なもの

ー 丸さんの話の中で、コロナ前もコロナ後もやっていることは変わらないという話がありました。「思いついたアイデアは、共有地ですぐ現実にできる。」あるいは、不真面目商店 藤内さんみたいな面白い場づくりをしている方との「つながりがどんどん広がっていく」。そういうことは、コロナ前もコロナ後も変わらない丸さんの軸なんだろうなって。

ーとはいえ、「ここなら、鳥取ならできるかもしれない」とか、「今になって、納得感がある」っていう話があって、どんな可能性が、今立ち現れているんでしょうか?

丸さん:自分でいろんなことを考えるって言ったけど、マサくんにしても、藤内くんにしても、雛乃ちゃんにしても、みんなそれぞれ抱えている課題があって話したりする。そのためにミーティング*をやる。そうやって一緒に考えて、「それってこうしたらいいんじゃない?」って考えて話ができることで、自分の問題を考えられる。人と会話する機会があることで、一人で悩まなくていいんですよ。一人で悩むのが一番しんどい。周りに人いるじゃんって。そしたら何とか。

 「共有」とか「シェア」って実は普通にしていることで、それがないとやっていけないこと。なのに、あらためてそれを「共有」と言わなきゃいけない、あらためてそれを「シェア」と言わないといけないっていうのも違和感があって。

 実は僕自身、人とやることがそんなに得意じゃない、そんなに好きじゃないんかな?って。シェアって俺向いてないんじゃね?って。でもやっぱりやっててよかったなって。人と一緒にやることがそんな本当は好きじゃないんじゃない?って思える自分も、でもやっててよかったなって思える瞬間がたくさんあるので、得意じゃなかったからこそシェアができたのかなって気がします。

丸さん @鳥取サンロード商店街

「何とかしよう」から、シェアは始まる

ー シェアとか共有に焦点を当てるよりも、自分がやりたいことを相談できる仲間がいる。どうやるかを相談しながら、一緒にやるっていうことがよりフォーカスされている感じですか?

丸さん:シェアカフェや共有する場所も、誰かが大きな企画をしたり、企業がやり始めている。でも実際は、そういう形や器ができて、さあシェアしましょうっていうよりも、何か止まったから、立ちいかなくなかったら、シェアが生まれる。

 たとえば、この「カフェ大学」ができたり。エカイエもウナカメもイネルも困った時に次のアイデアが出てくる。

 昨日も、マサくんは風門広場で、途中で雨降ったけど、いい感じで色んなお店がでていた。でも昨日はお客さんが来なかった。周りに車をおいて、真ん中にテーブルを置いてあったんだけど、「これは真ん中に灯があったほうがいいんじゃない?」って相談する。「一人一人懐中電灯持ってきたらいいんじゃない?」とか、「テント持ってきたらいいんじゃない?傘でいいんじゃない?」とか支離滅裂なアイデアもたくさん出る。それを受け入れながらも、じゃあ何とかしようかって、…というのがとりとめもなく話せることが大事。すぐ解決できるわけじゃないんだけど、話せるだけで、いいグループができてくる。カルマがそこで出店してバンバン売上が上がってると言う訳じゃないけど、そこに参加していることが気持ち的にすごくいいんです。

ー 共有・シェアの器が大事なんじゃなくて、日々直面する出来事を率直にシェアして、そこで、みんなで「あーでもない、こうでもない」って、とりとめのない会話を楽しんでいるんですね。

丸さん:それを定期的にやるのがミーティング*ですよね。エカイエもそうだけど、何か決まったことを知らしめるためのミーティングじゃなくて、何か困ってるとか相談したり、カフェに関係ないことも「実は私」って話したり、無駄話も必須。カルマでやってきた、これが絶対に必要だっていうのを感じてきた結果なんだと思います。

* ミーティング
共有地(鳥取)、イネル(阿佐ヶ谷)、ウナカメ・エカイエ(中野)のシェアカフェでは、月に1回、関わるメンバーが集い、カフェや活動の近況報告や場所運営に関する打ち合わせをしている。

国家が終わっても、私たちは生きていける。その世界線

ー 雛乃さん、藤内さんにも、鳥取でやっていることやつながりの可能性を感じていることがあったら話していただけますか

雛乃さん:話を聞いてて、普段自分が丸さんと関わりだして思っているのが、すごいお母さんみたいな人とかお父さんみたいな人とか、血は繋がっていないんだけど、クリスティーとか、本当におばあちゃんみたいなんですよね。丸さんが言ってた、「どういうことが問題だ」「いやいや、これやったら楽しんじゃないの」とか、「私切り抜きやっているんだよね」って小さい会話から、「じゃあ一緒にやって見ようよ」とか考えて一緒にやって、過程を繰り返している。ただ一緒に時間を過ごしているだけもあるけど、擬似家族でもあるけど、自分が一緒にその子と遊ぶだけで血がつながらない、これまで家族されていた関係性がすごい生まれている。

 多分、数100年前の同じ村で生きている感とか、一本の国を作っている。この近辺のあたりで、どうやら似たような生きるスペースを持ってて、みんなで作ってて、「多分この人たちとなら、国家が終わっても生きていけるな」みたいな、それぐらいの関係。丸さんとかクリスティーが、もし10年、つ20年後、90くらいになって字が書けなくなったら、私は字を書きに行こうって思うし、でもそう思うほど、他者へ強い繋がりを感じる。今の時代、ここに参加している人は多分持ってると思うけど、そういうのは生まれやすいなって思っています。共有地は一つのきっかけじゃないけど、人が交わるきっかけとしてある。お墓参りとか絶対行くもん、埋葬するもんって。

 エカイエとかウナカメとかイネルに行った時も同じように感じていて、初めて会ったけど、同じ世界線を生きているし、もっと、より距離感も近いというのか、そんなことをふと思ったりとか、今のところ感じたりしています。

写真上 : 雛乃さん/写真下 : 丸さん. @鳥取 

コミュニティのあり方は

自分で選んで、動き回って、できることを一緒にやる

ー それって、いわゆるムラ社会という言葉があり、「昔は濃密な共同体が日本にあって、現代ってそれ失われていますよね」って話があって、これからのコミュニティの形を色んな人が色んな模索をしていると思うんです。

雛乃さんの話は原点回帰しようという話なのか?それとも、濃密の質感が変わってくるのか?私は元々、ムラ社会を生きたことがあるわけじゃないんでわかんないですけど、コミュニティの質感ってどんな感じなんでしょう?

雛乃さん:ムラ社会って、多分、そこに生きなければいけない。この土地でうまくやっていかないといけないっていう、ちょっと負な感じというか。今って、自分たちが関わるペースとか選べるし関わる人も選べるし、自然と同志の人が集まっている感じがあって。そういう負が解消された上で、いいぐらいで共同体、村っぽくなっていったなって。自分たちでどの村に所属するか決めれるし、その中で村を大事にしていこうっていう感覚があるのかな。前の村とはちょっと違う。でも私たち動物だから、そういう方向に走っているのかな〜っと思っています。

ー なるほど…。自分たちで選んで、自分で関わりを選んでいる。

丸さん:うんとたくさん関わったけど、どっか関わるとか、いい意味で出入りできる。ムラとは違って、動き回りつつ、できることは一緒にやろうっていう感じなんですよ。素の部分で繋がったり、楽しいんだったら一緒にやろうよ、楽しくないんだったら「じゃあね、またね」って離れるっていう自由がないとそれは成り立たないので、ムラとは違う感じ。日本のムラって負のイメージがすごく強すぎて。

藤内さん:自分がいま不真面目商店という実際の場づくりにつくっていて思うのは、それこそ共有地とか、一緒につくっていこうとは、どっちかっていうと、大学生で関わっていこうよって感じなんだけど、何かやってる人によって周りに集まってくる人が変わってくる。僕の周りだったら例えば大学生とか高校生とか、あとは場所がもうちょっと、奥まったところにあるので、けっこう、ちょっと障害のある方とかで、社会復帰というか、前に進みたいんだって感じ訪ねにきてくださる方とか、働きすぎでダウンしちゃっていう方がくることも多くて、まるさんの周りはまるさんの周りで、会ったことがないような方がいますし、インターンしている会社は、まるにわの雰囲気があるし、一言でコミュニティとか、そういう関係性

ー 多様な人が集まってくる

丸さん
:東京のイネルとかウナカメとかエカイエも今はそこにいるように交流が進むようになったけど、なかなか交流がない時はそれぞれのカフェで集まる人が違う感じ。何度かそれが交わるようにできたなって。

小さなつながりが、アイデアの実験を可能にする

太田さん:さっきの話の続きなんですけど、鳥取って東京と違うってよくいうのは小さいじゃないでが、土地が。イベントとかよく行くんですけど、知り合いがだいたいいるんですよ。行くお客さん決まっているとか、そういうのが好きな人が集まってるのもあるけど、小さすぎて、商売しやすい、逆に。そっから開拓するのは大変だけど、それは面白いし。好きな人ばっかりが集まってくるし、ここ10年くらい、まるさんもだし県外の人が入ってきて、色んなアイデアを鳥取に取り入れてくれて、結局頑張っている人は県外の人が多い。けっこう比率的には多い。鳥取の人はいるんですよ。でもやっぱり面白いことをしてほう面白い。何いったって小っちい方がやりやすい。またムラとは違う。

太田さん:丸さんと知り合う前に、せかいのまんなかのマサくんと知り合って、さっきあった瞬間移動、SNSで「誰か、家の駐車場貸してくれません?」って言ったんで、速攻で「いいよ」って貸してあげて。で、最初何も考えてないで12月の寒い時期に始めたんで、こっち雪が多いんですよ。で、12月から3月まで寒くてお客さんが0だったんですね。それでもめげそうになって辞めたいなって、あったかくなるのを待ったら、ちょっとずつお客さんを待ったら、今は2週に1回、火曜日に近所の子供が、最初にうわーって集まってきて、10人くらい、小学生から幼稚園まで、そっからお父さんお母さんにつながっていく。けっこう多分評判にもなっている。そういうつながりもできたりするし、面白いこともどんどん。そういうのもあったりするんで、また良かったら鳥取に。面白いですよね鳥取。

丸さん:マサくんは鳥取の人だよね。そうそう。でも大学でてからすぐに旅にでて、ラクダを連れて旅に出た。

太田さん:イベントとかも面白くて、鳥取大学っていう大学があるんですけど、そこの大学に屋台部っていうのがあって、面白い。11月くらいになったら京都の、陶芸家の人が来て、外でリアカーのうえで、…そこに屋台部が他のところでやったり、面白いことをやっている。アイテムはいっぱいある。ちょこっとだけご紹介でした。
自分のお客さん、知り合いが、そっから膨らんで、口コミが多いので鳥取は。ばんばん自分も発信している。

東京でも、「小さなつながり」はつくれる

ー 鳥取は小さい経済、コミュニティが小さいからお互いが見えて、そこから可能性が高まっていくみたいな話だと思うんです。

ー けど、東京は大きい…。そのなかでもウナカメ、エカイエ、イネルっていうシェアカフェがあるんですけど、じゃあ「私(内山)は、鳥取行った方がいいですよ」って話なのか?この場で展開していくって時に、たとえば太田さんが「東京きたら、こんな感じでやるよ」というのはありますか?東京と鳥取のつながりの可能性みたいな話もあると思うんですが、それについてはどうでしょう。


丸さん:東京にいるときも、鳥取に来たり、いろんな場所を探しに、高知いったり場所探しをしていたんだけど、エカイエみたいなつながりとか、そんなことをやっている人たちいるのかな?って探しながら行ってた。鳥取は離れてるんだけど、なんか「あ〜(ひさしぶり)」、ってたまにあって、、一緒にイベントをやったりできる感じで、県全体のなかって言っていいくらいに感じたわけよ。

 それは東京でどういう形になっているかっていうと、エカイエ・イネル・ウナカメっていう小さいつながり、そこがつながるだけで、東京は広いけど、小さいつながりができるわけで。これからは、離れていても、それこそ今やっているみたいに、離れた場所同士で、同じようなことを考え方をしている人たちが、こうやってネットで話すことで、離れてるけど小さいつながりみたいなことができるんじゃないかって、可能性として。

 不特定多数で、鳥取に来て感じたのは、東京って99.9%自分に関係ない情報と、自分に関係ないもので溢れすぎているわけ。それに疲れているので、疲れを感じないくらいにハイになっちゃうんだけど、でも本当は疲れちゃっている。もっともっと自分に必要がある物、近いつながりで、つながりをつくって固めていく。くっついたり離れたりすることに、焦点をあてるのが。それは今皆さんがまさにそういうことをやっていること。

阿佐ヶ谷にある、小さなコミュニティ

じゅんじゅんさん:丸さんがイネルのミーティングで、毎回zoomで参加して、実はあったばかりだけど、エカイエを通じて会うのも面白いなってくらいで思って今日きたんですが…

じゅんじゅんさん @エカイエ

じゅんじゅん(根岸 淳)
パペット創作、パフォーマンス、役者、阿佐ヶ谷イネルにて月1のカフェ食堂『SSJ(さわやかスナックじゅん)』のマスター、サラリーマン
https://www.instagram.com/junjunchannel/

Instagramプロフィールを元に編集

じゅんじゅんさん:話をきいて、すごい自分のことだなって思ってて。自分がやっぱりイネルにいるのは、2年目なんですけど、イネルが好きすぎて阿佐ヶ谷に引っ越した。台風がきたり、何かぶっ壊れたってなったら自分がすぐかけつけられたらいいなって思って。そういうのも自然にやれるようになった。いま10人くらい主要のメンバーいるんですけど、ちょっとしたことでも、すごいLINE Worksでも、たとえば「ネズミがでそうだ」とか。すごいみんなで共有する、「食べ物おいたらダメだよ」とか、共有して、本当に小さいことから大きいことまでみんなで共有して、色んな年齢の人から、色んなところから集まってきた人たちが、すごくそれを大事にして。

 今まで考えたことなかった。2年間やってて考えたことなかったですけど、何か同じ想いをもって、その想いがなんだかよくわかんなくて、すごく大事、自然に大事にしていて、その想いってのはイネルにつまっている。それは丸さんが作ったものってすごく大きいと思っているけど、そこに自分たちがすごく感化していて、僕たちの居場所はここなんだっていう、だからこの店すごく小さくてボロボロなんだけど、一生懸命大事にしている。

 それだけじゃなくて、2年間毎月お店をやらせてもらっていて、あんまりたくさんは来ないんだけど、常連さんは毎回来てくれていて、そこでコミュニティも強いものができていて、その人たちの繋がりがすごい強くて、Tシャツまでこないだつくったんですけど。そういうものがどんどん増えていく。それはそれで問題もあると思うんですけど、すごくその中のグループの、こういう意見を持っている人とこういう意見を持っている人が合わないとか、それも一つ面白いかなって。

 東京はたくさん人がいてごちゃごちゃしているんだけど、ちょっと阿佐ヶ谷の小さい一角で、そういう小さいコミュニティもあるんですっていうことで、そんな感じでやってます。

後編に続く。

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