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日曜日のクルーメイト #0077 Geopolitics

ハロー、クルーメイト! いかがお過ごしでしょうか。
冲方は、改めて学び、考えさせられる一週間を送っておりました。

さっそく、公開された記事と放送をご紹介して参ります!

「地政学」を学ぶ! 奥山真司さんへの突撃「取材」!

集英社文芸ステーションの企画!
会いたい人に会いに行き、知りたいことをとことん聞き込むという、最高にテンションが上がる企画。
冲方が突撃したのは、「地政学」で著名の奥山真司さん!

地政学的視点を学び、世界を俯瞰する上で、この上ない入門書といえましょう。
国というものを冷徹にとらえることで、現実をとらえることができる。
もちろんフィクションにおいても、それを現実に生きる人々に提示するという点で、多くの視点を与えてくれる最高の一冊でした。

かなり時間をオーバーしての、大変に充実した取材でしたが、全ての問いに真剣に答え、意外な視点をも与えて下さる奥山さんに大感謝!

こたびの参議院選でも取り沙汰された「防衛」の根幹となるべき、様々な視点についても、次々に明快な応答を頂いただけでなく、「わからない」点も明示して下さいました。
何かを知るときにとても重要なのは、何が今なお「わからない」か。
わからないものを、決して「わかったように」扱わない。
真摯という以上に、冷徹であるゆえの究明の態度には、お話ししているだけで脳内にいろんなキャラクターが次々に生まれて大変だったほど。

否応もない現実において、フィクションがなすべき役割について大いに考えさせられた、最高に充実した取材でした! ぜひ御覧下さい!

NHKラジオ サタデーエッセイ 「個人的な正義感」は尊重されるべきか?

ちょうど昨日、放送されたサタデーエッセイに出演させて頂きました。

前回はあえて「ごっちゃな思考をそのまま口にする」でしたが、今回は、うんうん唸って考えた上で話させて頂いたのが、「個人的な正義感は社会に有用か否か」ということ。
個人的な成果として、はっきりと答えが出たのが意外でしたが、それは「まったくもって有用ではない」ということ。

社会的な正義と、個人的な正義感は、完全に切り離されるべきであり、前者を守るためには、後者は捨てねばばらないということ。さもなくば後者によって前者は跡形もなく破壊されるほかありません。

インターネットは、正義というものすら、「万人が自由に解釈して主張しうるもの」としました。さらに昨今では、「必ずしも現実に基づかなくてよい」という状態にまで「発展」しております。
それは、前世紀に発明された核兵器にならぶほど、人類社会の存続の危機をもたらす「最悪の発明」であった、と歴史に綴られるに違いありません。

しばらく前、日本で正義についての議論に新たに火をつけたサンデル氏も、正義を真であり善であるものとしてとらえ、いかに再構築ないし再調整するかを綴っております。

しかし今、その大前提となるアメリカという国家ですら、目の前のきわめて個人的な状況を最重要視する人々の、社会全体で解決すべき課題などどうでもいいとみなす「個人的な正義感」の高まりによって、引き裂かれています。
欧米発のインターネットという波濤によって、これほどまでに国家の土台が脆くなった今、日本もそれに巻き込まれざるを得ないのが現実。

日本のエンタメにおいては、比較的スルーすることが可能だった、ジェンダーや人種の扱いについで、「ヒーロー」そのものの見直しを迫られることとなるかもしれません。
エモーショナルに納得しうる正義感をふりかざして殴って解決する(もしくは対象を抹殺することで成り立つ)ヒーローは、しばしば批判の対象ともなってきました。
しかし、ぶっちゃけ、それ以外にヒーローを定義するすべを持たない、というエンタメの弱点が改めて露呈したとき、ヒーローに替わるほどの新たな「何か」を発明できるかどうかが深刻なまでに問われることでしょう。

結果、これまでの大半の作品がエンタメ経済に寄与する力を失い、たとえば日本国内の建設業界が一時期、様々な要因でそうなったように、一挙に衰退に直面するときが来るかもしれません。

そのときに備え、今何を思索すべきか、大いに考えさせられる次第。

コメント・トーク

さて、ここからはクルーメイトのコメントをご紹介!
今週もまったく何のお題もないにもかかわらず、コメントありがとうございます。

森人さんからのコメントです!
おお、幾原邦彦監督作品!
『少女革命ウテナ』以来、拝見し続けておりますが、毎度ながらのレトリックに感服させられます。
その定義と、この定義が、いったいいつ接続された? と思う間もなく、イクニワールドに吸い込まれていく。
熊的インスパイアとして空前絶後の百合との接続。相変わらず独特すぎます。

もう一つ森人さんからのコメントです!

翻訳の基準となるコードもそうですが、昨今のAI自動生成は、英文が大半。
主語述語が明白であるゆえAIとの愛称が本当に良いのだなと思わされます。
いっぺん英語で書いてから他の言語に書き直す作家も世界にしばしばおり、冲方もそうすべきかと色々と考えさせられます。
ただ、英語で書いてから日本語に直した時点で、もはやメディアミックスなみに別物となるのですが。

他方、MidJorneyをはじめAIによる自動生成のあれこれ自体に、冲方はけっこうまだ距離を置いてますね。
いったいいつ「全ての成果物は我が著作権に基づくものである」とAI企業が言い出すかわかりませんから。
広めるだけ広めておいて、必要不可欠になって時点で搾取を始めるというプラットフォーム・ビジネスに自分が呑み込まれないよう、かなり警戒しているのが正直なところ。

れねねねさんからのコメントです!
こちらですね!

アメリカ人の実験精神って本当にすごいんだなと思わされつつ、本当に簡単に、人生をぶん投げてしまうんだな、とも思わされた一冊。
街そのものを作るのは大変だから、過疎な街に行ってやりたい放題やろうというもので、もとの街からしたら大迷惑。

表紙にやたらと熊がいる通り、政治的実験の話かと思えば、ほとんど熊の話という、驚愕の一冊。
人工的に解決しようとする人々を嘲笑うかのような、「大自然代表」たる熊たちの暴れっぷりが、ある意味で素晴らしい。

キラ@BEHIND THE LINEさんからのコメントです!

そうなのです。もうしていないと大変なことになるくらい、最近のアフレコ事情は、誰もかれもが大変なのだそうです。
昨今の事情で、大勢を同じ空間に入れてマスクを外させるわけにもいかず、一人ないし数人ずつの「抜き録り」になるわけです。

結果、数回で終わっていたアフレコが、なんべんもなんべんも繰り返さざるを得ず、音響スタジオ側が「終わらないアフレコ」で猛烈に疲弊していく。

他方、「抜き録り」そのものは短時間で終わるため、声優さん側はここぞとばかりに、まったく異なる作品の「抜き録り」を、同じ日にどんどこ縦に積まれることになる。

音響スタジオ側は非効率でとんでもない負担をしいられ、声優さん側は一日で複数の仕事をこなせる効率ゆえ一人芝居ばかりとなり「掛け合いによる演技の洗練」をどんどん経験できなくなる。

ここ数年でデビューした声優さんなどは、演じるときに「相手がいない」のが当たり前になってしまっているとか。

他方で、一回で終わっていたアフレコが五回も十回もあるとなるとスケジュール上、とても参加できないスタッフが多くなり、当然ながら、クオリティに関わるサジェスチョンをする人数がどっと減ります。

あらゆる点で疲弊とクォリティ低下が心配されますが、それでもなんとか水準以上を維持しようとする方々には、もはや、なんと言っていいかもわからないほど頭が下がります。

新条拓那さんからのコメントです!

もうですね、こんなニュースが出てくるくらいですからね。

過去にも例があったと言えば救いになるのかもしれませんが、昨今の持続可能性の議論は、必ずしも金持ちが上から目線の自然愛好で言い出すのではなく、「もうマジヤバイ助けて」という最末端からの悲鳴ともなっているのが現実。

日本で言えば今年の豪雨による被害も深刻ですが、そのうち「沖縄で海に入れなくなる」くらいの水質汚染や、「関東で従来の作物が一切採れない」くらいの気候変動に見舞われるかもしれません。

そんなとんでもない課題に直面しているときに、パンデミックが重なって経済網がずたずたになった挙げ句、戦争を始める国があるくらいですから、人類は共通の課題に直面したところで、まったく一丸とならず四分五裂するのだなあ、という「SFあるある、人類なんて普通に自滅するし」的な悲観もある一方で。

そうとは限らないぞ、という人間レベルの努力には、やはり心を打たれるもの。

「地道」こそ、道を開くのだなあと思わされた記事。

人類レベルでの悲惨な昨今を思いつつも、だからこそ人間レベルでできる何かを見つけて、雑音を退けて健やかさを守り、できる範囲でできることをしてゆくほかなし、と思う次第。

あとがき

盛り沢山の示唆とともに、山ほどの疑問を抱えながらも充実の週末。

これまで当然とされたものごとが、今いっそう崩壊と再定義を加速させていることに対しても、「ひと昔前なら無分別に書けていたところがいっぱいあるのに、今の時代の作家は損だなあ」などというエクスキューズめいた悲観を退け、「いやいや、むしろ最高に面白い時代だぜ」と改めて欣喜雀躍となれたものでした。

皆様におかれましても、陰鬱たる現実の中にこそ、輝ける何かを見出してきた人類のこれまでを信じ、健やかなる週末と一週間をお送り下さいますよう!
冲方丁でした。


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