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日曜日のクルーメイト #0066 durchbrechen!!

ハロー、クルーメイト!
今週もちょっと遅れてお届けとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

冲方はせっせと『マルドゥック・アノニマス』の連載原稿を書き進めつつ、あれやこれやの口にできぬ企画を仕込みつつ、おおむね平穏無事の執筆三昧の一週間でありました。

これからの創作に関する思案も、日々、脳内で更新に努め、いずれまとめて創作noteの記事に書きつけたいところ。

ますます精進するための道のりを模索しつつ、今週も元気に参りましょう。


『ばいばい、アース』コミック第4巻 今秋!

『ばいばい、アース』コミック連載、19話掲載!
これにて、文庫版の1巻までが、コミックにて描き通されました。

改めて、麻日版『ばいばい、アース』の世界を大いに楽しむとともに、原作を執筆してより20年越しとなる、過去のインスピレーションから今また新たな刺激を得る機会を頂けたことに大いに感謝申し上げます。

それにしてもコミックで物語を進めるには相当な紙数を要するもの。
何冊にもわたる原稿を描き通すことの描き手の労苦には、いつも頭が下がる思いです。

なお、第4巻では小説短編が収録される予定です。
カタコーム戦役を経たベルの心持ちはいかなるものか、清新な気分で執筆して参ります。
どうぞお楽しみに!

今月の連載

さて、6月の連載予定です。

『骨灰』は、なんと次回、終盤180枚超を一挙掲載の予定です。
数話分を書き溜めようと思ったところ、刊行までの期間短縮も狙い、まとめて公開するとのこと。
これが電子の強みだな、と改めて思う次第。
渋谷の地下深くにて遭遇した何かにとらわれた主人公は、どのような結末を迎えるのか。
どうぞ、ひりひりとした恐怖のひとときを味わって頂けましたら幸い。

続いて、今月の『マルドゥック・アノニマス』は、新たなる変態エンハンサーがどっさり登場。
ところでシェイプシフターという言葉、ご存じでしょうか。
「形(シェイプ)」を「移し替える(シフト)」という大変意義深い言葉であり、これまでに多数のアイディアが世に生まれております。
別人に化ける者、人間にはない力を発揮する者、そして人間をやめる者など、アイディアがアイディアを生む、非常に素晴らしい題材なのです。
そんなわけで今号は、政治や法廷とは異なるも、根底ではどこか似たようなものであるかもしれないとも感じさせられる、異形同士の血みどろの闘争をお届けいたします。

そして、先月書き進めた『マイ・リトル・ジェダイ』では、ゲーム界におけるスーパー・トップ・プレイヤーのマシューさんこと、マシュー・コヒー・ザ・ホワイトカメレオンが颯爽と登場。
真摯に正々堂々と、合理的に、目的に忠実に、まったく気後れすることなく「自分が勝つ」ことを目指す。生粋のプレイヤーでありビジネスマンである彼がもたらすものとは?
こちらの物語も終盤へ。どうぞお楽しみ下さい。

コメント・トーク

ここからは恒例の、クルーメイトのコメントをご紹介。

薔薇肉舶載さんからのコメントです!

なんとのどかな光景でしょう。こうして見ると、火を噴き、毒の灰をまき散らし続けた山とは思えないほど、泰然としております。
が、やはり今でも鳴動はやまない様子。カーテンレールが外れるとは、復旧を思うとまだ平和なのでしょうが、それでも呆然としてしまいそう。
ちっぽけな人間としては、せめて災害への備えを怠らず、大地の泰平が続くことを祈るほかありません。

新条拓那さんからのコメントです!

アトラクションとはまったく異なる、壮大な人工遺物は、迫力満点でございました。
埼玉の武甲山も、ランドスケープが様変わりするほど。人の手で石灰岩を採掘していったら山のてっぺんがなくなってしまうのですから、なんとも壮大。
また、あまりに採掘しすぎて、歴史遺跡や、風光明媚な地形まで削り去ってしまったとか。
何を採り、何を遺すかは、まさに今の世の課題。
人の手の力だけでなく、叡智でもって、開拓と保全の両立が行われてほしいものです。

さて、大トリはいつもありがとうございます、森人さんからのコメントです!
絵柄だけを見ると、ひと昔前の児童コミックかと思いきや、だいぶ本気の児童ファンタジー。
けっこう面白そうではないですか。

ゴブリンと言えば醜くて凶悪、というのは確かに、しばしば見かけるステレオタイプといっていい造形かも。
また、鉱山に出没する不思議な生き物たちは、トールにノームにノッカーにゴブリンにスプリガンに財宝好きのドラゴンにと、ヨーロッパでは他に比べ、格段にどっさり伝承されております。

日本にもそうした伝承があったのだろうと想像するも、物語として残されなかったことが残念でなりません。

あとがき

今週は、『シン・ウルトラマン』以来、映画館に行く間もなく、ひたすら執筆三昧。
おかげで雷雨も雹も、ある時点まで、まったく気づかず過ごしておりました。

そんな冲方でも、昨今、とみに世の常識やステレオタイプに変化の兆しが見て取れ、これからの創作とはいかなるものかと思案することしきり。

日本の場合、銃社会と核ミサイルとドル通貨以外、アメリカで流行するものの大半が時間差でなだれ込んでくるということが、戦後、かれこれ七十五年ほども続いております。

日本のちょっと先を想像したいなら、今のアメリカを見るのがいい。
そして今のアメリカの一大流行トピックは、「分断」、「都合の良いファクト」、「偏狭な意味でのヒロイズム」ですから、恐ろしい。

もともとこのちっぽけな島国では、県レベルの広さの国々が群雄割拠して田畑河港、はたまた人命を奪い合っておりました。
それが四百二十年ほど前にやっとこさ幕藩体制という緩い統一を果たし、百二十年ほど前に強引ながら統一国家となり、そして七十五年前に、今の社会のおおもとがメイド・バイ・アメリカで作り上げられました。

そんな日本人が、またしてもバラバラになるのか、それとも、しれっと日本は日本、という良くも悪くもガラパゴス的強みを発揮し、ぬるっとみんなで平和を享受するのか。
はたまた、うっかり本当に東アジアのリーダーシップを担い、政府が何かしなければならず、我々もそれに乗っからねばならなくなるのか。

風見鶏という言葉は、悪い意味で使われがちですが、今むしろ最も必要な態度かもしれません。
世情を混乱させるような、おかしな烈風が吹きすさぶときが来るならば、何としても事前に察知し、一目散に距離を取りたいところ。

そして、どんな場合であっても、創作の道にかなった作品づくりのすべである、想像力と共感の核心を失ってしまわないよう、重々気をつけ、精進して参りたいと思います。

さてさて。
皆様におかれましては、どうぞ憂いなき、晴れ晴れとした日曜日をお送り下さい!
冲方丁でした。






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