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日曜日のクルーメイト #81 Sturm und Drang!!

ハロー、クルーメイト! いつの間にか秋めいているこの日曜日もギリギリにて書いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

冲方は狂瀾怒濤の一ヶ月が終わるや否や、疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)の年末が早くも押し寄せております。

これから『骨灰』『マイ・リトル・ジェダイ』『剣樹抄3』『マルドゥック・アノニマス続刊』の佳境に加え、水面下の企画をあれこれ仕上げねばならず、そろそろ体力作りをやり直さねばならない模様。

当記事につきましては、お陰様でなんと80回越えを達成し、今後しばらくは不定期にてのお届けになりそう。
とはいえむろん、各作品の発表・公開・刊行におきましては、随時、冲方視点にてお知らせをしたいと思っております。

ではでは、秋の夜長とはいえ日付けが変わる前にお届けできるべく、さっそく参りましょう!

コメント・トーク大会!」

一ヶ月超もの間、コメントへの反応が出来ず、大変心苦しかったところ、ようやくここでご紹介したいと思いますよ!

いつもありがとうございます、森人さんからのコメントです!

おお、これまた大変興味深い話題です。現実としての医療の限界に対し、「体の一部を譲られたのだからきっと万事解決する」という思いを、「楽天的思考」ととらえて鋭く見つめ直すことで、人間が何を信じやすいか、あるいは何を信じることで日々を生きやすくしているのかが、改めてあらわになるのでしょう。

臓器移植においては、倫理的な議論に気持ちを向けさせられがちですが、「実際にどの程度大変なことなのか、その後、本当に健康を保てるのか」といった議論が、もっと世に浸透する必要があるのかもしれません。

提供の意思を示すにしても、冲方などは(シュピーゲル・シリーズでも物語の転換点の一つとして扱いましたが)、「ぶっちゃけ、どの程度の割合で、提供された臓器は無駄になるのか?」ということを知った上で、そうしたいと感じる方です。

医療技術の進歩と、生命への信仰(期待)とは、えてして絡まり合って自縄自縛になりがちですが、これらもまた、ある種の「物語の毒」ではないかというご意見は、なかなか良い視点ではないかと思いますよ。

いつもありがとうございます、薔薇肉舶載さんからのコメントです!

これまで必要不可欠だった物語の効用の、大逆転が起こっているというのは、それこそ「サピエンス全史」の付録につけてほしい題材ですね。
人間は、今日を生きる上で無数のフィクションを生きているわけです。今日は何を食べるつもりだ、という思案ですら、実現していない時点でフィクションに過ぎません。

人間はフィクションに合わせて生きていくものですが、アメリカのテクノロジーの発達とそれによる「あらゆる分断の最先端」の様子を垣間見るに、いよいよ今後、人はどう生きていくのが正しいかという、大きなフィクションの淘汰が始まろうとしているように思われます。

余談ですが、まったく実現可能性のないフィクションを信じる人々を見ると、ゾンビものの作品を連想することがあります。と言いますか、「いっそゾンビになった方が楽なのでは」と思う作品って、ありますよね。
それと同様、「いっそQアノンになった方がなんの疑いもなく人生ハッスルして生きられるんじゃないか」と思わされそうになるのが、個人的には怖いところなのです。

いつもありがとうございます、シシオリシンシさんからのコメントです!

なんと、お大事にして下さい! 瞼の傷は意外に痛くて厄介な場合がありますからね。
そして、なんと、同じだ! と冲方も思うてはおりましたが、なんででしょう。キャラクターが傷を負うとき、えてして左側に偏る傾向がありますが、これは冲方個人の傾向でもあるとともに、なんとなく、どんな作り手も、右か左に偏るような気がしております。

フック船長は左腕がないとか、丹下左膳は右手右目が失われたとか、「左タイプ」と「右タイプ」がいるなあ、と思うものの、では何が違うのかは今もってよくわかりませぬ。

いつもありがとうございます、新条拓那さんからのコメントです!

ちょっと冲方もしっかり説明せず(リンク先の記事を読んでもらえるでしょうみたいなノリで)、インパクトのある「物語の毒」というキーワードを容易に使ってしまったなあ、という反省があります。すいません。

他方で、自由な連想によって、物語への思いや信頼や愛が表出されたことには、個人的には「おっ、良いじゃない」などと思い、それぞれにこちらが思うところを述べさせて頂きました。

様々な意見が耳に入らないようになると問題ですが、「耳に入らせないようにするシステム」が日々構築されているのも事実。
ちょっと前はフィクションだった監視・規制・そして新たな「推奨」テクノロジーを、いかに人間の知恵で覆すかが、これからを生きる上でのテーマの一つになりそうな予感がしております。

再び薔薇肉舶載さんからのコメントです!

そう。説得力がすごい本なのです。主張するというより、ただ現実を述べているといった、徹底してフラットな筆致に感心させられました。
そして個人的には、「自由主義陣営」という馬鹿でかいフィクションが自重でひっくり返るさまを喝破しつつも、「七転び八起き」で負けるものか、という書き手の強い意志を感じました。

「ある意見を憎むこと」への様々な考察は、これからの世に必須のものとなると同時に、「憎まずにいられること」をきっと多くの人々が発明していくのではないかと期待しつつ、自分もまた努めて意識せねばならないと思うばかり。

再び森人さんからのコメントです!

PVの話題になりましたね! そうです。今回のファフナーは個人的には「平和なラブコメ」になる予定です。乞うご期待。

みたび森人さんからのコメントです!

こちら、冲方もびっくり仰天でありました。さすがのデザインと言いますか、絵で見て「あの人だ!」とわかるって、すごいと思いませんか。

ひと昔前まで、「アルスラーン(原作)が完結したら」というフレーズは、「いつか太陽が消滅するときが来たら」とか、「宇宙が縮小を開始するときが来たら」とか、「まあ自分が生きているうちは来ないだろう」という意味で使われていましたが、なんとまあ、本当に完結しましたからね。

コミックは今どの辺りでしょう。今度、原作との合わせ読みで久々にあの世界を堪能したいと思います。そしてぜひ我が担当編集者には、そうした依頼で玉砕する勇気を持って欲しいものだと思うております。

こちらも森人さんからのコメントです! 日付けが前後してしまいましたが、なんと、同じ川越高校出身者として応援したくなりますね。
どんな作品か楽しみ!

いつもありがとうございます、夏月さんからのコメントです!

ご視聴ありがとうございます! 音響は確か、ファフナーと同じ音響監督のはずですよ。いろいろと知らなかったため、冲方も驚きの連続でありますし、どのようなアニメーションが繰り広げられるか楽しみなのです。

原作小説の方も、しっかり準備しておりますので、ぜひ合わせてお楽しみ下さい!

そしてお気遣いありがとうございます! 疲れやすくなった体を目覚めさせるため、体力トレーニングを再開し、あとせめて四半世紀は修羅場をくぐり抜け続けたいもの! 頑張ります!

さて、大トリは森人さんからのコメントです!

これまたお気遣いがありがたい限り! どちらにしても感謝であります。
いつの間にか、個人雑誌みたいなことになっており、これはこれで自由にやれて大変楽しいのですが、どうしても本来の執筆とバッティングしがちなのが悩みの種。と言いつつ、今後も、ゆるゆると続けて参りたいと思います。

あとがき

おかげさまで、かれこれ80回余りもの記事を書かせて頂きましたが、冒頭にも述べましたとおり、しばらくは刊行等の準備のため、飛び飛びでの宣伝や諸々のご紹介になるかと思われます。

そして、おお! まだギリギリ日曜日であることに歓喜しつつ、皆様におかれましては、どうか健やかで充実した一週間をお送り下さい!
冲方丁でした


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