竹本くん、お元気ですか

竹本くん、お元気ですか。
浜田山美術大学を卒業し盛岡へ行ってから、その後も日本中をたくさん巡っているんでしょうか。
器用でやさしいその手で、やさしいモノづくりを今も続けているんでしょうか。
竹本くんにお礼を伝えたく、こうして筆をとっています。


竹本くんがまだ学生の頃、自転車で稚内へ行っていましたよね。
その姿は当時10代の私にとってとても強烈で、勇敢で、ずっとずっと心の中に残っていました。

それからしばらくして20代前半、学校を卒業した私は入社した会社で【パワハラ・セクハラ・契約書無断改竄・給与未払い・上司の横領発覚・倒産】という人生でもTOP3に入るドン底にいました。

逃げるようにして退社した私は実家のひとり部屋、ベッドの隅で体育座りをして日々を過ごしていました。
不本意な形で無所属になった自分がとてもとても恥ずかしく、外に出ることすら億劫になっていたのです。

このまま消えてしまいたい。
でも消えるってどうしたらいいんだろう。
そんなことをぐるぐると考えているなかふと脳内に、竹本くんの姿を思い出しました。

「そうだ。消える前に宗谷岬に行こう」

「竹本くんみたいに最果てまで行ってみよう。稚内に行こう」


なんのお告げか当時の私に芽生えた使命は『宗谷岬に行く』ことで、それ以外は何も考えられませんでした。
竹本くんみたいにママチャリで行く行動力も体力もありませんでしたがすぐに旅行会社へ電話をし、久しぶりに家族以外の人間と話したのを今でも覚えています。

日帰り旅行はしたことがあっても泊まりのひとり旅をしたことのなかった私は勝手がわからず、「稚内に行きたいんです!」というフレーズでJTBのスタッフさんに伝えました。(当時担当してくださった方、本当にありがとうございます)

明確な理由もなくとりあえず2泊分を確保するも、世間は夏休み真っ只中。
1泊ずつ別のホテルに泊まる結果になりましたが、宗谷岬にさえ行ければ泊まる場所なんてどこでもよかったのです。
竹本くんが見た景色を私もこの目で見たい。
自分のこの部屋から1番遠いところへ行きたい。
そんな一心で、人生初めての連泊ひとり旅が決まりました。

荷物は最低限、身分証明書などの貴重品を全て持ち、当日羽田空港へ行きました。
稚内空港へ着いてから稚内の中心部へ移動し、免許を持っていない私が宗谷岬へ行ける手段は必然的にバス移動。
1時間に何本も来ると思っていたバスは数時間に1本という現実を初めて知り、時間を潰すためにサーティーワンアイスクリームへ入ったこと。
バスへ乗客する人は少なく、車を利用している人が多いこと。
当時の私の想像力では補えない場面が多くあり、そして、念願の宗谷岬に辿り着きました。


8月下旬、あの日はとても天気が良くて、雲ひとつない青い空と青い海。
狂いなく真っ直ぐな地平線と、宗谷岬のモニュメント。
あまりにもきれいな景色に、鳥肌が立ちました。
こんなに美しい景色があるんだと、思わず泣きました。


竹本くんがここに来るまでの努力や汗の多さはまったく違うけれど、同じ場所に立てたこと、同じ景色を見られたこと。
実家のあの小さな部屋から、私もここまで来られたんだという達成感。

竹本くんのようにママチャリではなかったけれど、私も踏み出すことが出来た。
それがとても嬉しくて、あの「うつくしさ」を感じられたことで人間らしさを取り戻せた気がしたのです。



今も心が荒みそうになったとき、目を閉じてはあの日の宗谷岬を思い返します。


竹本くん、私にあの景色を見せてくれて本当にありがとう。
背中を押してくれてありがとう。
2020年の今も当時を反芻し、自分と向き合っています。
竹本くんも、ふとあのときのことを思い出すことはありますか。



運転免許のない私は次のバスが来るまでの4時間、丘の上でひたすらにのんびりしていました。
この話を誰かにするとだいたい、「そんなにひとりで何してたの?!」と言われることが多いです。




宗谷岬で心を取り戻した私は、明朝、利尻島へ渡りました。
初めてひとりでフェリーに乗り、二等席でご婦人たちと話が弾みました。
利尻島では「本島はどうですか?」と若い女の子から声をかけてもらったり、日本中を旅しているという外国の男性と身振り手振りで会話もしました。


翌日はノシャップ岬に行き、ノシャップ寒流水族館にも行きました。
JR稚内駅近くで見たロシア語表記の看板に驚いたり、初めて見たコンビニの初めて見た牛乳とロールケーキを食べました。




新型コロナウイルスが蔓延するなか緊急事態宣言という稀な時間が生まれ、当時のパンフレットや時刻表と久しぶりに再会したのです。
もう何年も前のことなのに、まるで昨日のように記憶が蘇りました。


宗谷岬は、間違いなく私の人生に彩りを与えてくれた場所です。
ひとり旅を好きになったのもこれ以降で、全てのはじまりをもらいました。


竹本くん、私に宗谷岬を教えてくれてありがとう。
当時の私に明るい光を導いてくれてありがとう。
私も、私の部屋が「どこでもドア」だと改めて思います。


竹本くんに改めてお礼を伝えたく、こうして書いてみました。
世の中が落ち着いたら、また宗谷岬へ行きたいです。

2020年の竹本くんは、今一番、日本のどこがオススメでしょうか。
どうか体調に気をつけて、今日明日もこれからも、元気で過ごしていますように。

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