課題04.「愛」について
誰もが持っている。
溢れるばかり持っている人もいれば、乏しい人もいる。
与えることが好きな人もいれば、貪欲に欲する人もいる。
自分が沢山持っていても、使い道が無い場合もあるし間違えて使えば他の人も巻き込んで不幸にしてしまう。
お金と似ているが、形が無く見えないだけにとても厄介である。
そんな愛について考えても、まだ家族の愛以外知らない私には難解だ。少し変わってはいるが、母の愛はどうなんだろう?母は愛についてどう思っているのだろう?テレビを見ている母に聞いてみた。
「愛?分かっているつもりの人も多いみたいだけど、人類の永遠のテーマでしょ?」
じゃあ家族への愛はどう思ってるの?という私の問いに、それは当たり前過ぎて言葉にするのは難しいという。母は少し冷たい時もあるが、まるで城壁のように私を守ってくれている。ベタベタと甘過ぎず居心地いいのも事実だ。日々愛されているんだなぁなんて感じてはいないが、これは当たり前のように愛されているからなのか。ふと私も母を愛しているが、伝わっていのかと思い、気恥ずかしいが
「お母さんの愛に応えられるだけの愛は伝わってる?」
思い切って言葉にした。母は、大笑いしながら、
「形も無くて見えない愛に等価交換なんてないのに、比べてどうするの?だからみんな苦しんだり喜んだり、色々努力をしたりをずっと繰り返してるんじゃないの。」
なるほど、と疎い私でも納得出来た。
自分がこんなに愛しているのだからと相手に同じように愛してくれというのは不自然ではないか。愛されているから愛そうと自分の本心を誤魔化して応えるのも同じだ。
恋愛感情を抱いた相手が好意的であれば同じような愛だと勘違いしてしまうかもしれない。友愛という違う感情だったとしてもだ。それでも自分の望む愛にしようと努力する。愛を得るためには無駄な努力もする。そのうち同じように愛してくれと押し付けてしまうかもしれない。たとえ友愛でも失ってしまう事になるというのに。やはり母の言う通り、等価交換出来ないのが愛なのだ。普遍的な愛は簡単に見つかるわけではない。だからこそ人は愛を求めて苦悩し続けるのかもしれない。いつになく、母の話に愛に未熟な私でさえも感心し、考えさせられた。
ニュースを見ながら母は
「愛がもし目に見えていたら、ブランド品も宝石も売れなくなって、リサイクルショップ困るよねぇ」と言った。
そうだ、愛の経済効果は計り知れないのだった……。
振り返り
この課題を書いた記憶がないので特にコメントはナシ。
たぶん忙しかったんでしょう。
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