日常の音こそ宝物かもしれない

久しぶりの更新である。
いろいろメンタルが苦しい日々が続いている。元々あまり良い状態ではなかったのだけど…。

今日はふと思ったことをつらつら書いていくだけにはなりそう。

俺は香りと音と感触の世界で生きていり。
その中で、音がけっこうなウエイトを占めている。
最近は写真や動画を手軽に記録できる言い時代である。スマホのマイクもカメラ同様良いものになってきているように思う。
それでも、メインはカメラによっているらしく、臨場感のある音を記録しようとすると、どうしても動画撮影にしなければならなかったりする。高音質で録音できるサードパーティのアプリもないわけではないが、読み上げで使って行くにはいまいち手軽さに欠けてしまう。
そして、最大の問題は、「音割れ」である。
最近はこの音割れをあまり気にしないで記録できるレコーダーも手軽に手に入るようになってきた。
これは本当に良い時代だ。
本当にどうってことのない日常の音こそ、俺は記録しておきたいものだ。
最近気づくと記録として増えているのは、パートナーである盲導犬とのやりとりや一緒に歩く足音、ご飯中の音なんかだ。
先代のパートナーの音も少しは残っている。彼は今は新しいおうちで楽しく元気に過ごしていると言うことが動画で送られてくる。これは新しいおうちの方のご厚意である。
動画の中で彼らの足音は元気そのものだし、中での説明もとても幸せそうである。
それでも、やっぱり何か食べてたり飲んでいたり、じゃれ合って遊んでいるときの音というのはやってこないから、以外と忘れてしまうものなのだ。
俺の手元にあるのは数少ないが、彼がすぐそばにいてお水を飲んでいる音は、今のパートナーのそれともまた違うのだ。
こうやってたくさんの音の記録を残して持っておきたいなと思う。
そのためには、やっぱり高音質で録音できる機材や、技術、覚えていかなきゃな後思うのだ。

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