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『すすり泣く幽女』(牧竜シリーズ)

承前

本作はウルティマオンラインで実際に発生した事件を元にリライトされたフィクションです。

誉国、夜半。

区画整理の行き届いたチェッカー(碁盤の目)状都市の中央に大きな池がある。誉国市民の憩いの場であり多くの詩人の題材となったその池の名を鏡池(かがみいけ)という。鏡池の中央には葦が寄り集まった浮島があり、そこに一人の女が立ち尽くしている姿が目撃された。

うつむきがちに顔を伏せ髪を下ろし白い長襦袢姿のまま、水面に立ち尽くしている。その姿はぼんやりと発光しており足先は葦に隠れてよく見えない。目撃者が目を凝らしていると女はすすり泣きを始める。その声は「おぉうぁぉぉ」とも「OooOooo」とも聞こえたという。

◆◆◆◆◆

「望月様」山本歌謡道場を出た途端に声をかけられた。姿勢の良い、いかにも庭師然とした風貌の男は、藤原麿長(マロ)の配下である。

かつてマロと飛竜狩りの冒険をしたフリー牧羊家であるキナは、現在では「望月キナ子」の名を得て誉国に滞在していた。お気楽に歌謡技術を身に着けるなどしながら賓客待遇で暮らしていたが……「麿長様がお呼びです」……何やら喫緊の事態らしい。キナが頷くと、庭師は溶けるように壁に身を沈め姿を消した。

身支度を整え、キナが藤原邸へ向かう頃には日が沈みかけていた。
白く高い土塀、大手門、通路に篝火が立ち並ぶ庭、さすがは誉国の有力貴族である藤原家である。屋敷の脇に小さな山水があり質素だがしっかりとした作りの茶室がある。茶屋の前に例の庭師が姿勢よく立っており、目礼で合図を送った。

キナがくぐり戸から茶室に入ると、誉国の有力大名、藤原麿長が待ち構えていた。

「よく来たな牧羊家!待っておったぞよ!」

美しい狐目の女性の膝に頭を横たえたまま、偉そうにマロが呼ばわった。キナはその姿をジロリと眺めると正座で向き直った。

「マロ様、なにしてるんですか」

「やはり都は堅苦しくてたまらん。お主らと旅をしていた頃が一番よかった」

マロがゆるりと笑うと釣られて女もコンコンと笑った。

◆◆◆◆◆

「幽霊ですか?」

「うむ。市民からの訴えかけがあってな」

市民からの相談を受けた(マロは市民からの人気だけは妙に高い)マロは侍従を連れて池の様子を見に行ったという。確かにそこには薄く光る女の姿が存在した。だが、いくら呼びかけても反応はなく、矢を射かけてもふしぎと中らず、一切の手出しができなかった。

特に害をなすでもなく、ただただ夜毎に公園に浮かぶ女の幽霊である。マロは放置をしようと市民らに話をしたが、市民の目には憐憫の涙が浮かび始め、あれはきっと戦の際に命を落とした奥方じゃ、わしらを責めておるのではないか、人身御供が必要なのでは、幽女の儚さに、どうしてもそのような論調に傾いていくのである。

「そこでお主の出番じゃ、牧羊家どの」

「へ?」

「魔物や動物を操るお主なら、幽霊の一人や二人、動かすことはできるでおじゃろう?」

「いやいや無理無理ですって。私の技術は動物誘導に限られています、ましてや意志を持つ人間の幽霊など……」

「頼む、お主ならできる」

「そうかなあ」

「ほれ、これは北島歌謡祭の招待券じゃ」

「あの人間国宝の!?」

マロは豪奢な札をちらりとキナに見せつけると狩衣の内側にしまった。

「期待しておるぞ、牧羊家どの。マロはどうしてもあの幽霊を成仏させてやりたい」

「ぐぬぬ」

キナは、マロの存外真剣な眼差しと歌謡祭への誘惑に屈し、とにかく様子を見ると伝えて茶室を出るのであった。


◆◆◆◆◆

キナは藤原邸を退出して鏡池ヘ向かう。誉国の直線的な市街地はよく整備されているが、数年前まで激しく行われていた勇国との戦争の爪痕がまだ残されている。戦争は陰の魔素を呼び込み、多くの妖怪変化の類を呼び寄せることになった。長期的には戦没者よりも妖怪に襲われた死者が多かったとも伝えられている。

道端の所々に地蔵(様々な動物を象った石像)が祀られている。最も普及しているのは僧侶を象ったもので、添えられた碑文には戦没者や魔物に襲われて亡くなった人々の名が刻み込まれている。キナは地蔵に対してお辞儀を行い手を合わせる。これから向かう先の幽女もこのような戦没者の一人かもしれない。

誉国大橋を渡り、ほどなくして鏡池にたどり着いた。風はなく池の表面が鏡のように星々を反射している。なるほど鏡池。キナが名の由来に思い至った直後、生ぬるい風が頬を撫でた。ざわめいた風が鏡面を渡り、葦の小島に女性の姿が浮かび上がる。顔を伏せた下ろし髪。寝間着と思われる長襦袢。輪郭は薄く発光し、足元は葦に隠されて見えない。

ぶうんぶうん、キナは躊躇なく湾曲した杖を振るった。彼女が持つ牧羊の技は、動物の本能に訴えかけ誘導をするものである。もし、幽女が妖怪変化であれば何らかの反応を見せるだろう。ぶうんぶうん、幽女の注意を引くように池のほとりを移動しながら杖を振り回す。反応がない。その時、キナの背後で生臭い水が盛り上がった。野生の河童である。

「きやあああ!!」キナは振り向きざまに杖で殴りかかるが、河童の強靭な肉体はものともしない。四股を踏み、両手を水面について仕切りの構え。河童は相撲を好み打ち倒した犠牲者の尻子玉(キューカンバー)を抜き取って食べてしまうという。

牧羊家に戦闘力はない、かつて飛竜を打ち倒した毒矢も持ち合わせていない。歌謡教室帰りなのでバンブーフルートは持っているが、バンブーフルートは人を傷つけるためのものではない。危うし!! 茂みに潜んでいた庭師が姿を現し河童を攻撃しようとする!だが、庭師の鎌が河童に到達する前に、河童は顔面を殴られ吹き飛んでいた。

誰が河童を殴り飛ばしたのか。それは寸前まで葦の小島に居た幽女である。一瞬で距離を詰め拳で殴る。河童は三度水面を跳ね、そのまま水中へ退散していった。幽女は殴った手をぷらぷらさせながら、河童の消えた方向を一瞥するとそさくさと葦の小島に戻りすすり泣きを始める。

庭師と牧羊家は顔を見合わせ、キョトンと呆けるしかなかった。

◆◆◆◆◆

翌朝からキナと庭師は市井の人々に幽女の評判を聞いて回った。

「かわいそうな女だよ」「鳴き声を聞くと死にたくなる」「子供たちが水際に近づかない」「おかげで水際の事故が減った」「妖怪を見ると殴る」「あれは戦で命を落とした奥方に違いない」「かわいそうだよ」「河童から子供を守ってくれたんだよ!」「そろそろ人身御供が必要ではないか」「かわいそうなんだよ」

人々の声で共通をしているのは「かわいそう」「魔物から人々を守る」という点であった。河童や水妖(バンシー)を殴り飛ばす姿から、一人の人物が浮かび上がった。勇国との戦で家族を喪ったとされる誉国で評判の若奥様、「殴り小町」 猪上想子(いのうえそうこ)である。

町の古老の証言によると、想子は相当なお転婆で女だてらに妖怪退治を行っていた、嫁の貰い手がないなら河童を相手に女相撲を取るしかないと豪語する女傑だったらしい。その姿に惚れ込んだ武家が居た。その武家は、幾度も「殴り小町」に勝負を挑み、幾度も組み伏せられつつも想子を根負けさせ嫁として娶ったらしい。だが、二人の間に子が産まれたころに戦は激化。想子は家族と離散し、おそらくは鏡池に身を投げたのだろう、古老は想子と家族の名が刻まれたビートル地蔵を指し示し祈祷を始めた。

「庭師さん、今夜決着をつけます。マロを鏡池へ連れてきてください」

庭師が頷き風に紛れた。

◆◆◆◆◆

「それでは作戦を説明します。幽霊は「殴り小町」と断定。彼女の生前の本能を利用して鏡池から引き離します」

キナが周囲を見回す。そこにいるのは、藤原麿長、庭師、狐目の女、そして大型の幼飛竜。

「まずマロは憑狼(ひょうろう)を降矢の森から連れてきてください」

「なんでマロがそんなに恐ろしい役目を!?」

「あなた(誰もが殴りたくなる囮の達人)しかできないの、お願い!」

「そ、そうか。そこまで言うなら剣術の冴えを見せておじゃろう」

「庭師さんは、隠匿状態で待機。市民が飛び出さないように警護をお願いします」

庭師が頷く。

「狐ちゃんと飛竜はビートル地蔵で待機」

狐目の女が耳をピコピコさせて応える。

「私は鏡池でマロを待機。憑狼が到着次第、牧羊で操り、妖怪を狙う「殴り小町」をビートル地蔵まで運びます」

それぞれが持ち場につき、市街地から離れた森から悲鳴が作戦開始の合図となった。

「ヒエエエエ、寄るな!!」「殺されるでおじゃる!!」

わめき散らしながら直線的に逃走するマロを追うのは、周辺で最も強力な魔物の憑狼(三つの首を持つ直立した狼)である。狩衣姿のまま腿を高く上げる独特の走行フォームのマロをぴったりとマーキング。三つの首から涎をまき散らしながら疾走する姿は狂気の沙汰である。

マロが鏡池に到達。流れるように攻撃ターゲットをキナに押し付ける。ここまでくると天与の才である。キナは牧羊杖を振るって憑狼を池のほとりへ誘導する。繰り返される噛みつき攻撃を杖で逸らしながら「殴り小町」が憑狼を発見するまで耐える。

「殴り小町」が憑狼を発見、長襦袢の裾を乱しながら攻撃を開始。憑狼の強靭な肉体は「殴り小町」の拳に耐える。憑狼が「殴り小町」に反撃しようとする瞬間に牧羊杖が遮り、再び標的はキナに向く。

キナが憑狼を連れて市街地を走り、憑狼を追って「殴り小町」も走る。作戦の第一弾は成功し、幽女を鏡池から引き離すことに成功した。庭師が市民を抑制しているため、町は無人である。誉国大橋を渡り、キナはそのままビートル地蔵へ到着。後を追うように憑狼と幽霊も到着した。

「想子さんッ!」

キナが呼びかける。

「すでに旦那さんとお子さんは戦で亡くなっています」

(……。)

「あなたはもう待たなくてよいんです」

ビートル地蔵に刻まれた戦没者慰霊碑を指し示すキナ。慰霊碑に刻まれた某武家の名、息子の名、想子の名が光る。

(私はすでに死んでいたのですね)

想子ははらはらと涙を流した。キナは頷く。
いつの間にかビートル地蔵へ集まった市民たちが声をかける。

「ありがとうよ」「安心してくれ」「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう!」

彼らの姿を見て「殴り小町」は微笑み、長襦袢をほどき光の中へ姿を消した。

フッと涼しい風が吹いた。
その拍子に憑狼が我に返り、キナに躍りかかる。

「グゲゲゲゲゲェ!!」

それを真横から牛車サイズの飛竜が飛びかかり蹴り飛ばし、狐目の女が口から火焔を放つ。燃え上がり苦悶に叫び声をあげた憑狼の三つの首をマロが一太刀で斬り飛ばし、威張った。

「こんなもんでよかったかえ?」

チンッ。刀を鞘に納め憑狼に一礼するマロ。

「ど、どーも、マロ様。随分とお強く……」

マロが地蔵に跪き手を合わせる。
背後に侍る狐目の女と飛竜も同じような仕草をしている。

「早く、戦がないようにしないとのう」

キナはマロの大言壮語に呆れつつ、市民たちの喝采を浴びる彼らを眺めながら、不思議なことに(もしかしたら実現可能かもしれない)と思った。

『すすり泣く幽女』 おわり。

◆◆◆◆◆

主な登場人物

【キナ/望月樹奈子】(フリー/牧羊家)
牧羊の技で麿の危機を救い、誉国に滞在することになったフリーの牧羊家。音楽院で禅都土着の民謡を学んでいる。後に演歌歌手を本業とする。

【藤原麿長/マロ】(大名/侍)
誉国の有力貴族である大名の一人。飛竜討伐を経て心身ともに成長しつつある。キナのことを全面的に信用している。

【狐目の女/妖狐】
なぜか麿長に懐いた妖狐の娘。妖狐としてはまだ幼いが高い魔力を持ち、美しい女性の姿に変化して大名屋敷で生活している。

【幼飛竜】
麿長が乗騎として育成中の飛竜の子供。大名屋敷の中で暮らしている。スクスク成長期。

【幽女/殴り小町】
先の戦で夫と子供と生き別れた未亡人が鏡池に身を投げた亡霊。子供を守るため魔物へ敵意を向ける本能を残し鏡池を徘徊していた。

用語解説

戦乱の地【徳之島諸島】
誉国と勇国による内乱が続く島国。ミステリアス武術【気(Ki)】を操る侍と忍者の国だが、政情不安と共に妖怪変化に浸食され始めている。

【誉国】
名誉を重んじる武士の国。礼節を最重要視するため何事にも鈍重である。

【勇国】
武勇の力を重んじる武士の国。礼を知らず残虐さを美徳とする。

【禅都】
かつて誉国と勇国を束ねて統一国家としていた頃の首都。誉と勇のバランスを取ることに誠実に向き合う「禅」思想の中心地だったがミカドが失われたことにより急速に荒廃し再び戦乱の世が訪れた。

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