見出し画像

『魚籃坂復仇探偵社:テレワーク殺人事件』

2020年4月某日、東京都港区、深夜。
定宿のAPAホテルから仇討縁起で有名な泉岳寺へ向かうとガツンゴツンという先客の音が聞こえてきた。角を曲がるとマスク姿の老人が墓石を削っている。削り取った一握りをキティ柄の「仇討祈願」守り袋に収めたところで老人が振り返った。

「どうも」
「ほう、あなたもですか?」

「はい、十年ほど」
私はパンツスーツの下に隠した苦無ホルスターを見せる。

「ワシは三十年間で……やっとです」
老人も使い込まれた匕首をチラリと見せ、はにかむように笑う。

「御武運を」
「御武運を」

仇持ち同士の挨拶を交わし、彼の背中を見送ると私も手ごろな石を拾い墓石に打ち付ける。何百年もかけて削られ続けたその墓碑銘はもはや不明瞭で、かろうじて「助」の一字が残されている程度だ。墓石を守り袋に詰め込み手を合わせ黙祷する。(結菜姉ちゃん助けて!)弟の末期が脳裏をよぎる。

今夜決行。
あの男を殺す。

高輪ゲートウェイ駅へ向かう途中の伊皿子坂で先の老人がこと切れていた。両手首を切り落とされ喉笛を一閃。匕首を抜く間もなかったか。情け無用の業前だが、老人の顔はどこか穏やかさを湛えていた。彼はついに解放されたのだ。手を合わせる。返り討ちはまだ幸福だ。仇に出会えなかった者は死後永遠に彷徨うことになる。私もこの人のように死ねるだろうか。

24時過ぎ。京浜東北線下りの終電車。ドアに体を預けるようにして、標的がそこにいる。開扉と同時に無人のホームへ引き込み首を切断。夜毎に張り込み観殺し続けた作業だ。もはや仕損じることはない。

だけど、結論から云えばあの男は現れなかった。この日を境に東京都に緊急事態宣言が発せられ標的の勤める通信会社が全面テレワークを開始。私は仇討ちの機会を失ったというわけだ。

翌朝、APAを引き払った私は魚籃坂のあの忌々しい探偵社へ向かう。

「あれ、本間ちゃん。まだ何か御用ですか?」

丸い黒メガネが嗤った。

《つづく》

いつもたくさんのチヤホヤをありがとうございます。頂いたサポートは取材に使用したり他の記事のサポートに使用させてもらっています。