『君、本を盗みにいかないか』
「君、本を盗みにいかないか」
そう誘ってきたのは、いかつい黒ドレスでキメた私設図書館の女あるじである。反り返るほど背筋を伸ばしながら煙管を燻らせ肘を張るポーズは威圧的で「どこに?」「なんで」という質問を許さない強さがある。
あるじは戸惑う私を本棚へ押し付けるとナイトシェイドの紫煙を吐きかけて何らかの蠱惑的な魔力を用い同意を得ると、今夜決行。厚着で来いと通告して遮光カーテンの裏に姿を消した。
◆◆◆
同日夜。紅い魔力ポータルを超えて到着した先は殺人者が徘徊する雪原の孤島であった。
「マジか」
私と言えば一介の牧羊家であり生活じみた魔法をたしなむ程度。あるじもまったく戦闘力を持たない実業家でしかない。ただし、その赤いジャケットの襟元は素晴らしく尖っていて風を引き裂いている。
恐ろしく高いヒールのままツカツカと雪原を往くあるじとずぼずぼと毛皮のブーツを沈ませながら追う私。なんだか「正しいから死なない」を体現しているような姿だ。
実際「正義」は彼女の元にあった。
あらゆる奇書や名著を収めた私設図書館には無数の有象無象が訪れる。歴戦の女主人だがソイツは一味違ったのだという。
「写本を1冊、いただきたいんです」
「うちにはそんなサービスないよ」
「ヒヒヒ、そういわずに別の破片世界へ持ち帰りたいんですよう」
「それなら書写屋らしく自分で書き写せばいい」
「そんなの面倒くさいじゃあないですか」
「それなら諦めるんだね、帰んな」
「ヒヒヒもう遅いですよ」
「あン?」
「もう盗んじゃいましたから」
そしてソイツは高位情報魔術【バイナリ】で作品の中身を奪うと姿を消したのだという。
註:【バイナリ】空間に流れる情報ストリームへ直接介入してデータを改竄し奪う禁呪。
「は?そんなの卑怯じゃないですか」
「わざわざアタシの前で盗んだなんて啖呵を切ったからにはケジメはつけさせてもらわないとね」
本の内容を奪われたことよりも目の前で虚仮にされたことがあるじの気に障ったようだ。
「だから、今からソイツの家にその本を奪いにいくんだよ」
雪中行軍の先陣を肩で切りながら歩む女あるじの目は燃えていた。強風と共に吹き付ける雪もその場で溶けて消えているように見える。
やがて目的地のソイツの家が見えてきた。見るからに倒壊寸前でありこの強風の中では数時間も持たずに崩壊するだろう。
「あたりはつけてある。寝室の本棚の中だ」
「そこまで調べてあるなら私は不要なのでは……」
「君は勘が良いだろ、それに……たぶん同業者がいるからあぶりだしてきてくれ」
「殺人鬼だったらどうするんですか」
「そこは君の交渉力に期待してる」
無茶ぶりにもほどがある期待に応えるべく、私はコートの下から湾曲した杖を取り出した。
「仕方がない、やるか!」
湾曲した杖を振りかざし大きく回し始める。風切り音が強まると周囲の雪原自体が盛り上がりはじめた。
もこ、もこ、もこ、もこ。
立ち上がったそれらは家屋に匹敵するサイズの巨大シロクマの群れである。遠隔牧羊の風切り音のみでシロクマの群れを標的の家に誘導する。たちまち玄関前は人間1名分の空白を残してシロクマで埋め尽くされた。
「あそこ、やっぱり誰か隠れてますね」
シロクマたちをどかすと私は敵意がないことを表明しながら玄関前に移動する。
「ご同業の方ですね。我々は本を1冊だけ持ち帰りたいだけなので競合しません」
返事はない。
「なので今夜はそこで待機させていただきます」
お近づきのしるしに魔力で保温した湯気の立つローストチキンをその場に置くとチキンがスッと消えた。
「……」
同意の意思であると判断した私はあるじを呼び寄せて焚火で暖を取り始めた。
「やはり頼りになるなぁ君は」
凄まじく偉そうな姿勢で紫煙を吐く女あるじにほめられるとまんざらでもない。厚着の内側からアクアビットの瓶を未知の同業者に渡したりしながら(またスッと消えた。いけるクチか)あるじに問いかける。
「ここまでして本を追いかけて、取り返したらどうするんですか?」
「燃やす」
「は?」
「燃やして炭の欠片も残さないように抹消する」
「そんな、ほっとけば家屋倒壊で本も消えますよ」
「それじゃあ、預かった本に申し訳ない。違法コピーは必ず燃やすのがアタシの責任の取り方さ」
「……」
虚空から酒瓶が突き出された。見えない同業者も感じ入るものがあるらしい。キン。酒瓶に盃を当ててグイと飲み干すあるじ。白く細い喉がグビグビと動き蠱惑的な波動が発散される。
現場が淫靡な空気に包まれたそのとき、ピシッ と音を立てて家屋が倒壊を始めた。轟々と地響きを立てながら崩れ落ちる二階建ての白亜の豪邸は瞬く間に更地になりそこには住民が居た時と同様に家具が残されている。
我々は速やかに寝室へ滑り込み本棚から目的の書籍を確保。速やかに戦場を離脱した。家屋倒壊情報網は早い。数分後には殺人ギルドや火事場泥棒が入り乱れての資産争奪戦となるだろう。未知の同業者が速やかに現場を離れていることを祈りながら物陰で帰還ポータルを展開し、私設図書館へ帰還する。
こうして一夜の冒険は終わった。
◆◆◆
髑髏を彫刻した焼却炉が赤々と燃えている。我々はさっそく戦利品を放り込みそれが分子分解されていく姿を見つめていた。
「それにしても鮮やかな手際でしたね。倒壊時間もぴったりだし隠し場所も……」
「ああ」
「長年の勘ってやつですか?」
「いや、直接身体に聞いた」
「は?」
「ちょうど3か月前に息の根を止めたから、今日が倒壊の頃合いだと思ってな」
「……」
「……」
「そろそろだな」
ギエエエエエ!!
髑髏が焼却完了の悲鳴をあげた。
こうしてすべては分子分解されて虚空へ消えた。何もかも。何もかも。
【おわり】
参考資料
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