「海のはじまり」第6話 津野が持っていたのは『カステーラのような明るい夜』

忙しくしていたらTVerで第五話を見逃してしまった。いったい、何があったのか。

第6話について

物語は終始、穏やかに進んでいた。それぞれの人間関係は信頼感があり、安心してみていられる。第五話はきっと、登場人物たちがお互いを思いやる流れだったのだろう。

得意すぎました

あの手紙のシーンはグッときた。少し唐突ではあったものの(前回伏線があったのかな)このドラマに必須のシーンだった。

「人に与えられたものを、私が欲しかったものだと思い込むのがわたしは得意すぎました」という弥生の残した言葉の重さ。

仕事ができるキャラでもある弥生は、問題を打破するのではなく、問題点を踏まえて調整をして最善の選択を選ぶ人なのだろう。

もちろん仕事だけでなく人生のすべてにおいて。

わたしも誰かを責めたり、逃げたしたりするのは苦手てひとりで抱え込むタイプだから、この言葉に思いあたることが多々あった。

この言葉は水希の心を動かすと同時に、今の弥生にとっての海ちゃんにもそのまま当てはまる。

弥生は今の状況をどう受け止めていくのか。今までのように「得意」だからと受け入れていくのか。最終話まで見届けたい。

視聴者を宙吊りにする脚本

生方美久の今回の脚本は感動的な場面でもそれを見ている人に取って解釈が違うという描きたかをしている。

第三話のラストで夏と海が仲良くしているシーンでは、二人の幸せな気持ちは、蚊帳の外いる弥生の孤立と対象的だった。

今回もノートによって通じ合う水希と弥生の心を全面に映し出しながらも、その言葉がつきつける現在の弥生の状況に心が揺さぶられる。そこから見える不確定な未来に宙吊りにされ不安になる。

水希のことを知らない登場人物たち

脚本としては登場人物たちは気づいてないけれど視聴者だけ知っているという技法が使われている。

ドラマ全体でも、水希の生きている時間軸と、夏と弥生の時間軸が並行して描かれる。それぞれはそれぞれの見ているものしか知らない。

けれど視聴者はすべてを並行して見ることで、登場人物たちが今感じていることとは違う視点で物語を捉えることになる。

今回特に際立ったのは、水希が子どもを産んだ真の理由をみんな知らないのに、知っているつもりになっていること。

誰もが相手のことを知っているつもりになっているけど、実は知らない部分がある。それはそうなんだけど、それを目の当たりにすると悲しくなってしまう。

この物語では、お互いにすべてと知らないけれど、言葉が足りないけど、それでも信頼関係をつくることはできるという希望を描いていくのだろう。

それは寂しいことではあるけれど、人と人はそこからでしか生きていけない。

津野の持っている本

図書館のシーンで津野が持っていた本の表紙が見えて嬉しかった。私の大好きな詩集『カステーラのような明るい夜』(尾形亀之助/七月堂)だった。

尾形亀之助は妻も子どもがいたけれど、その詩ではどこか孤独で寂しいものばかり。たが、そこには日常の何気ない美しさがある。

亀之助の詩を読むことができるなら、絶望から少し抜けだせいるではないかと思う。

第7話を見逃さないようにしなければ。

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