見出し画像

馬鹿な大人になってませんか?

みなさんはなりたい自分をもっていますか?
私にはあります。

みなさんはなりたい自分に近づけていますか?そのための努力や反省を積み重ねられているでしょうか?


理想とはかけ離れた現実世界


私には理想の大人像というものがあります。
人間像と言い換えてもいい。
それは私にとってとても大事で儚いものです。

私はその理想に合致する大人を片手で数えられるほどしかみつけられていません。

どこのバイトでも派遣でも、会うことはできませんでした。
ということは理想の大人像に見合う社員も人間も滅多にいないということにはならないでしょうか?

そう思うととても悲しく思うのです。

なぜ「儚い」のかというと、やはり合致する人が少なすぎるからです。私はその理想になろうと努力しているのに、周りは私のモチベーションを下げにきているかのように理想とかけ離れた言動や行動をしているのです。

私の主観でいえば「足を引っ張ってくる」ように見えます。

私が異世界人に、未来人に、時代錯誤な人間になってしまっているのかと何度も錯覚して、自分でそんな悲しい錯覚を否定して、ただ理想になれるようにと日々を過ごしているのです。



画像1

私の理想の大人像

・冷静
・伝わる言葉をつかう
・諦めない(前向き・立ち直る)
・ブレない芯がある
・自分を「普通」の基準にしない

整理すると上記のようになると思います。
優しいとかきちんと出社するなどの大前提は省略してます。


私自身全てできているかというと、そうではありません。
だからこそそうなれるよう日々考え続けているのです。現在は「冷静」と「ブレない芯」がまだ出来ていないと思います。


諦めれば決してその理想にはなれないんだと、周りのように有象無象の瓦礫に成り果ててしまうのだと、そうはなりたくないんだと思って、理想を追い続けています。



冷静


現在派遣でレストランに務めていますが、基本的に社員でさえ忙しくなれば語気が荒くなり、普段から具体的でない言葉が、さらに伝わらなくなってしまうのです。

一度も習ったことのないことを、ミスした瞬間に「普通こうでしょ!」とか「ーーとかあり得ないんだけど」と言われるのです。

急に怒られるのも怖いですし、習ってないことを威を込めて言われるのも混乱しますし、業務のことを考えに戻るため、多くの労力と時間を要することになってしまいます。

他の人にそのことを相談すると「まあ忙しいからしょうがない」と言うのです。
私から言わせれば忙しいからこそ、大人気なく語気を荒らげることは避けるべきなのです。

忙しいときこそ業務に集中しなくてはいけないのに、他人の精神を乱し、場の空気をヒリつかせることこそ避けなくてはいけないでしょう。

社員が場を乱して何が社員でしょうか。
「忙しい」程度の理由で精神を、語気を荒くするような人を私は大人とは思いません。

少なくとも私は「忙しい」ことでイライラしたり、語気を荒くしたことはありません。

「忙しく」なったのは仕方ないことですし、他人に忙しさのイライラをぶつけても無意味でしょう。
それどころか日々のコミュニケーションをぎこちないものにしてしまう可能性すらあります。

たとえ「忙しいときに」「誰かがミスをしても」私はイライラすることはありません。
人生において一度もミスをしたことがない人間でない限り、怒る権利はないとまで思っています。

考えなくてもわかることですが、ミスは誰でもします。
ほとんどの職場はミスを減らすように作られてはいません。むしろ割れた食器などの予備を多く用意していたりします。

私はミスは確率だと考えるようにしています。
ミスした人は今日運が悪かったんだ。頭痛に気を取られたんだ。気をつけていたけど、気をつけていたところとは別のところで予想外が起きてしまったんだ...etc

なんでもいいんです。とにかく大抵の人間はミスしようとしてミスしたわけではないと理解して、即フォローすることが大切です。

大人なら怒って場を乱すのではなく、すぐフォローして乱れた場を整える、通常業務にいち早く戻すのが普通だと考えています。

誰かが自分を助けてくれたように、次は自分がこの人をフォローするときが来たんだ、とシンプルに考えて行動したいものです。



画像2

伝わる言葉を使う


今いるところも前いたところも、指示が具体的ではありません。

「あっちのとって」と言って指さすのですが、指さされた場所には目立つ一つのものがあるわけではなく、大抵色んなものが並んでいるのです。

一番最悪なのは、忙しいときに曖昧な指示をされて、結局見つけられずに言った当人が怒りながらその物を持っていったりするときです。

何故か相手は私の責任だと思っているのです。
お互い居心地が悪くなってしまいます。

ここには認識のズレが働いています。
相手はこちらが「慣れていない」「全く知らない」ということを失念して、「慣れてる人ならば」伝わる超省略指示語によって私に指示するのです。

伝わるはずがありません。
相手はもちろんちゃんと伝えたつもりでいますし、私の責任だろう、という結論になってしまいます。

忙しいとき(脳のリソースの多くを他に回しでいるとき)ほど色んな前提条件を失念してしまいがちです。

相手の前提を考え、丁寧に伝わる言葉を使うことが結局一番早く物事が進むのです。
忙しいときほど一呼吸おいて、伝わる言葉を使える人が理想の大人に近いと言えるでしょう。



諦めない(前向き・立ち直る)


みなさんは出勤したときに「帰りたい」と思ったことはないですか?
思うまではいいですが、口に出してはいけませんよ。

それを聞くだけでモチベーションが下がる人がいることを覚えていてください。

その言葉は場の空気をマイナスに持っていく言葉です。
他にも他人の悪口を言ったり、職場の不満を言ったり、とにかくマイナスなことを言わないのがその場のためなんです。

私が驚いたのはそれを社員が言っていることです。
率直に「じゃあ辞めればいいじゃん」としか思いません。
なぜ社員が場を盛り下げるようなことを言うのか理解できません。

きっと理由なんてなく、ただ何も考えずに口から言葉をこぼしたのでしょうが。
もし雇用主なら、極力こんな人は雇いたくないでしょう。

社員なら「今日も頑張るか」くらい言ってほしいものです。
言わなくともマイナスな言葉は聞きたくないです。
マイナスかゼロならゼロの方がマシでしょう?

感情というのは伝わりやすく、場の空気を左右します。
特に表情や声のトーンは特に伝わりやすいものです。

わかりやすい例は、周りに慌ててる人がいれば自分も焦ったり、なんでも否定するような人がいれば、相手を否定するように張り合ってしまったりすることなどです。

「悪事千里を走る」ではありませんが、ネガティブな感情や情報はすぐに広まってしまうのです。


しかし常に前向きに行動し、周りを自然と高めていけるような理想の大人に私はなりたいです。その方がかっこいいし、未来に希望を抱かせることができるでしょう。

私が子どものころ「早く大人になりたい」と思ったのは、父のように整理整頓ができたり、楽しそうな職場に憧れたからでした。

大人がこんなに子どもじみたものだとは、露ほども知らなかったのです。

ネガティブな空気や情報は自主的に認識して流し、いつまでも前向きに努力し続ける。そんな人間であり続けたいと思います。



画像3

ブレない芯がある


マイナスな情報を流す前に受けつけない、という方法が取れるのがブレない芯がある大人だと思います。

私が「冷静」と「ブレない芯」が出来ていないのは、相手のことを考えることがマイナスに働いてしまっている結果といえるでしょう。

どうしても一瞬感情と情報を受け取ってしまうのです。
自分に必要な情報か判断しないといけないのと、何度も確認するからです。

しかしブレない芯があれば、何度も確認しなくてすむでしょうし、刹那よりも速く不要な情報をさばくことができるでしょう。

心の傷も病みも最小限で済ませられるその強い芯が、私には足りません。
芯がなくても他人に迷惑をかけることはすごく少ないと思いますが、自分も傷つかないのが一番でしょう。だからこれも理想の大人の条件になると思っています。

もっと意味を広げるならば、他責ではなく自責思考の持ち主だともいえます。
他人に任せると結果を心配したり、可否に一喜一憂したり気分を他人に支配されてしまうからです。

それでは心休まることはないでしょう。
心が忙しない状態ではいつかボロが出たり、気づいたら動けなくなるかもしれません。

そうなってしまってはもったいないと思うのです。
たった一人しかいないあなたが動けなくなることは、私のなかでは世界の損失だと考えます。

「ブレない芯がある」ことは、本人の幸せのためにもなるのです。



画像4

自分を「普通」の基準にしない


言い換えれば「変化に対応できる」ということです。
「普通こうでしょ」とか「なんで普通にできないの」という言葉をみなさんも耳にしたことがあるでしょう。

この言葉には「自分を普通とする」という身勝手な前提条件が設定されています。
そう、「普通こうでしょ」とか「なんで普通にできないの」という人は自分を普通の基準にしている悪い例です。

「普通」ってなんでしょうか。
タトゥーをしていないこと?背筋を伸ばしていること?髪が黒いこと?肌が白いこと?常に笑っていることでしょうか?


答えは…「普通」とはTPOによって変わるもの。

なんとなく気づいている人も多いかもしれませんが、「普通」とはほぼ無限にあるのです。

ある人は毎日風呂に入るのが普通ですが、ある人は三日に一度入るのが普通でしょう。

ある国では毎日紛争が起きているのが普通でも、ある国では人一人死んだだけで大々的に報じられるのが普通だったりするのです。

「普通こうでしょ」に対しては「お前の普通なんか知らん」と返すのが正論です。(効くとは言ってませんw)
実際は「そうなんですね」で流すのがいいんでしょうが…

「この人はこう考えてるんだ」「この国ではこうすればトラブルを避けられるんだ」と多くの普通に対応できる、多くの変化に対応できるのができる大人というものです。

これは「ブレない芯がある」と矛盾しているように思われる方もいるかもしれませんが、共存できるものです。

「この人はAと考えるんだ」「自分はBと考えているけど」
「この会場はAが多数派だな」「自分はB意見だけど」

芯がありつつ状況も理解している。何になびくこともなく、他人が自分と同じ意見じゃないことに憤慨するでもない。これが「ブレない芯」と「変化に対応できる」の両立です。


これができないとどうなるかというと、老害に進化します。
「話の通じない人」というレッテルが貼られます。
それでいいなら「自分が普通」だと「自分が世界の中心」だと思いながら生きてもいいと思います。

ただずっとイライラして、イライラを撒き散らして生きて、葬式は悲惨なものになるのが目に浮かびますが。

そんな大人に憧れるかといえば否でしょう。


画像5

まとめ


この記事を書きながら気づきましたが、すべての条件に当てはまるのは、子どもの手本になるか、子どもに憧れられる大人になれるか、という視点でした。

私の憧れの人は気軽に連絡を取れる人ではありませんが、私の憧れの私は、私の中にいます。
ずっと私を待っています。私は待つことと信じることは得意ですから。

みなさんの中にもあるだろう理想に、今日から、今日も、久々に、何年振りに、向き合ってみてください。
たとえ周りと違ってもいいじゃないですか。
元々あなたは誰にもなれない、たった一人しかいないあなたなのですから。

少なくとも私は諦めず、理想の自分、理想の大人像を目指して歩み続けます。

理想を持って目指しているだけであなたは相当芯のある、価値ある人間です。それは私が保証します。
ともに歩んでいきましょう。未来に。理想に。自分に。


アオトリでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?