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マトリックスリザレクションズの感想

タイトルにもある通りこの記事は感想です。
批評文ではありません。
かなり肯定的に,かつ好意的に書いているので否定的意見を求めている人には合わないと思います。
ネタバレも含むので閲覧に注意してください。

今作(以下,レザ)はマトリックスシリーズの最高傑作だと捉えています。
私が今まで見てきた映画の中で一番感情が揺さぶられましたし,序盤にマトリックスのプロジェクトのMTGで涙が止まらなくなり,ネオが青いピルをオーバードーズするシーンで嗚咽が止まりませんでした。
象徴的な描写にスポットを当てて,つらつらと思ったことを書き留めたいと思います。

表のテーマ
商業主義と消費社会への批判

マトリックスの新プロジェクトに関わる描写は,素直に解釈すると商業主義と消費社会を風刺しているものです。
これ自体は,まあ…そのまま捉えて問題ないと思います。
このような問題提起自体もありがちではありますが,秀逸なシーンではないでしょうか。

ニーチェ的な創造者の苦悩とプレッシャーが上手く表現されていて,ネオ(というよりは,“まだ”アンダーソン)の心情が突き刺さり嫌なシーンだったな,と印象的です。
ただ,このシーンは商業主義や消費社会を批判するには,どうも軽すぎるので,監督の意図を汲み,裏のテーマ(というほど隠されたものでもないと思いますが)にスポットを当てて解釈しました。

裏のテーマ
陰謀論とミソジニーに利用されるマトリックス

「マトリックス」3部作はトランスジェンダーの物語だった リリー・ウォシャウスキー監督が認める
https://eiga.com/news/20200812/6/

監督であるウォシャウスキー姉妹が明かしたように,マトリックスはトランスジェンダーの物語です。

赤いピルと青いピルのどちらかを選択するシーンは,トランスジェンダー(というよりは性自認に従い)生きること,もっと雑に記号化してしまうと,ホルモン製剤を飲み,自らの意志で性を選択する,という象徴的なシーンになっています。
となれば,エージェントスミスがネオに対し,執拗に“Mr.Anderson(アンダーソン君)”と呼びかけ続けていたのは,トランスジェンダーに対する,ミスジェンダリングの,デッドネーミング的な精神攻撃という意味として解釈できますし,ザイオンという多様性に富んだ社会に迎え入れられたのも,クィア社会に迎え入れられるという構造として理解ができます。

しかしながら,あろうことかマトリックスという作品は,本邦においてはあまり実感が湧かないと思いますが,トランプ前米国大統領が政権を取った際に蔓延した陰謀論者に利用されていました。
それに加え,これもまたトランスジェンダーに関わる議論や認識が遅れている本邦では認識し辛いですが,アメリカをはじめとする諸国では反フェミニズム的なミソジニーに基づく権威的作品として消費されている現状があります。

この記事を読んでいて,誤解している人はいないと思いますが,監督にそのような意図はありませんし,ミソジニー的なスタンスはなく,むしろフェミニズムと共闘する思想です。(当然ミサンドリー的価値観もありません。)
それを,ミソジニストをはじめとする,フェミニズムの敵対勢力が,TERF(トランス排除的ラディカルフェミニズム)勢力と反目するからといい,都合のいい部分だけを切り取り,利用している現状があります。
この,監督の意図とは外れ,自らの主義主張にマトリックスという作品を用いる行為が,ある種の簒奪的な,度し難い行いであるという構造が,表のテーマである“商業主義,消費社会に利用される映画マトリックス”と,裏のテーマである“ミソジニー,反フェミニズムに利用される映画マトリックス”という構造とを結ぶ,アナロジーになっていると解釈しています。

このシーンでネオ(或いは“まだ”アンダーソン)は,監督自身であることがわかります。

しかし,監督自身である他に,ネオはトランスジェンダー当事者であると思えてなりません。
青いピルをオーバードーズするシーンは,カミングアウトを恐れ,クィア社会に足を踏み出すことに怯え,「今まで味わった苦痛がより一層強くなるくらいなら,孤立するくらいなら,ここで踏みとどまり,現状に迎合し,真実から目を背けた方が,よほどいい。」という,当事者が抱える,追い詰められている人間の悲痛な叫びを,救世主であったはずのネオでさえも抱くのだという,監督からのメッセージに感じました。

過去にネオは真実を知ることを拒み,エージェントスミスに捕縛され,虫を入れられ,モーフィアスとトリニティによって救われ,真実を知るという決断=赤いピルを飲むという選択をしました。
しかし,今作のネオは現状に迎合する=青いピルを飲む選択をし続け,真実から目を背け続けます。

私はこれに落胆なんてしませんでした。
なぜなら,その勇気を持つことは素晴らしいことですが,当事者にそれを強いることは,あまりにも残酷なことです。
よくある「後続のために,後継のために,後世のために,今,あなたが戦わなければならない。」という至極真っ当な,誰しもが同意しうる,純度の高い正論は,正しいんですが,強い意志が必要であり,そうするべきではあるのですが,それでも,当事者が一歩踏み出すのは,相当な不安と苦痛が伴うことでしょう。
その決断をすることは,救世主であったネオにすら,難しいことである。だから,クィア社会である基底現実のザイオン勢力≒アイオ勢力(ザイオンとアイオの相違点については後述),つまり先に一歩踏み出した我々が,手助けをしなければならないんだと認識しているのです。

観ている時はひたすら苦痛で,涙が止まりませんでしたが,今思えば,当事者の苦悩に寄り添い,先駆者に道を示す,とても優しく温かい描写だったなと思います。

マシンとの共存というテーマ
二元的発想からの多様性への移行。

ネオが基底現実に戻り,トリニティを取り戻すシーンで重要なのは,人類の拠点がザイオンからアイオに移遷し,60年前(レボ以前)に人類VSマシンという対立構造からマシンと共存し,月並みな表現ですが助け合っているという点です。

ナイオビが「モーフィアスの率いるザイオンは戦争しか頭になかった」と言っていたように,ザイオンはマシンを敵と見做し戦争をする手段しか持ち得ない集団でした。

それに対し,ナイオビが率いるアイオはマシンと共存を果たしています。利害の一致というより,マシンが人類から尊重されています。
60年前にネオがマトリックスを平定してから,基底現実ではマシンとマシンが争うという現場を見て,アイオ勢力は今まで敵として認識していたものが全て敵ではない。という発見をしました。それにより,現在のアイオの発展があります。しかし,これを逆説的に捉えるとどうでしょう。

もう一つのテーマ
味方の味方をしなければならないわけではない。

これはマシンたちの内ゲバからもそうですが,味方の勢力が,常にあなたの幸福追求を応援してくれるとは限りません。

アイオ勢力とネオ一派とのコンフリクトは,トリニティをマシンタウンから救出・奪還することでした。
戦火も収まり,やっと平和を実感できる場であるアイオを指導するナイオビからすれば,もうネオもトリニティも現状のアイオには必要のない存在です。
しかし,ネオを信奉するバッグスはネオの悲願であるトリニティの救出を諦めきれません。リロでトリニティを救うことを選択した愛を持ちうるネオは当然そうでしょう。
ネオはアイオに至るまで,マトリックスで現実に迎合し,諦めて,流されていました。
アナリストやエージェントスミスは明確に敵ですが,ナイオビは味方なはずです。
ナイオビにアイオの現状を説明され,もうなにもしないでほしい。と,アイオの指導者としての立場からのお願いを,ネオは裏切ったことになります。
これは,自分の味方だからといって,必ずしもその者の味方をしなくても良い,忖度し,迎合しなくても良い。というメッセージだと捉えています。

この二つのテーマから,バイナリーの否定,敵と味方,0か1かではなく,個の決断に価値がある,多様性に富んだ世界であると伝えたいのではないでしょうか。

最大のテーマ ネオとトリニティが空にかける虹が象徴するもの

リザ最大の敵であるアナリストは,ネオ(監督・当事者)を抑圧し,トリニティ(女性)を侮辱し,マトリックスの住民(民衆)を軽んじていました。
アナリストの思想は人々から自由を奪い,支配を与えるという全体主義思想。嗜虐心からトリニティを侮辱し続けた女性蔑視思想。機械的なアナリストに,ネオに対するトランスフォビア的な価値観や思想は感じませんでしたが,それでも当事者たちの抑圧に加担するマジョリティが普遍に持つ加害性のようなものは受け取りました。

ネオとトリニティが理想とした世界は,バイナリーから脱却した,多様性に富んだ世界です。
アナリストは皮肉として「空に虹をかけるのか?」とネオとトリニティに問いかけますが,多様性を尊重するネオとトリニティには,それは皮肉ではなく,最高のアイデアとなるに決まっています。ましてや虹は,我々の世界においてセクシャルマイノリティの尊厳を象徴するレインボーフラッグです。
最終盤に,痛快にもトリニティからミソジニー的な言動のツケを払わされ,ボコボコに叩きのめされるアナリストは,ネオとトリニティに殺されることなく,空に虹のかかったマトリックス内に放置されます。
変革される社会では,もはや保守的なミソジニストは相手にされないという象徴的なシーンではないでしょうか。

レザ最大のメッセージは,無印の赤いピルと青いピルを選択するという二元的なものから,無数の可能性と選択の自由を示してくれるスペクトラムへの礼賛であったと思います。

雑感

私が重要だと認識している要素のみを拾って解説してしまっているので,他にもストーリーや脚本上の重要な要素はまだありますが,私はここが伝われば満足です。
特にネオが青いピルを飲み続けるシーンと,最後にトリニティがアナリストを叩きのめすシーンが深く印象に残っています。
欲を言えば,当初の脚本通り,作中でスウィッチがトランスジェンダーとして描かれている姿が見たかったなあと思います。時代的な問題もあるので仕方ないとは思うのですが,その辺りも,アイオ勢力の描写を見て,ある程度は満足しています。(キャラクターの一定数をセクシャルマイノリティにしなければならない,というわけではありませんが。)
加えて,ネオとトリニティを演じるキアヌとキャリーの年齢的な問題で,スタントが物足りないと感じましたが,その点も肯定的な要素として作品が作られているので,概ね満足しています。

マトリックスシリーズ最新作のキャトリックス,早く観たいなあ。

追記:1月22日にエデン名古屋(https://eden.osland.nagoya )でマトリックスの感想戦イベントを行うのでお時間のある人は是非お越しください。

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