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2020年うたの日でハートを贈った短歌の(一部)まとめ

今年の8月から「うたの日」にたまに出詠というやつをしています。
うたの日は、web上で毎日ひらかれる歌会のページです。投稿タイムに短歌を投稿して、投票タイムに短歌に投票をするという仕組み。詳しくはうたの日をチェックしてください。

投票タイムには、一回につき一つ贈ることができるハート(♡)と何度でも贈ることができる音符(♪)のいずれかで投票することができます。
ただ、自分がハートを贈った短歌の一覧などが残るわけではないようなので、今回はその一部を自分でまとめてみたいと思います。

本来であれば、自分が投票を行ったものすべてを取り上げられたら良いのですが、今回は一部を取り上げて感想を書いています。また、取り上げる際の基準はあくまで私が感想が書けるか書けないかに依存します。うまく言えないけど好きな作品もたくさんあります。
また、短歌の引用に関しては、公募ガイドオンラインの記事日本文藝協会の「「引用ってなに」」を参考にしておりますが、問題がある場合や掲載してほしくないという場合は私のTwitterかnoteのコメント機能でお申し出ください。
筆名等に関しては、敬称略としております。申し訳ございません。

題「夢」 かもと
図鑑からきみの夢へと一羽ずつ密輸入するリョコウバトたち
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2331e&id=28
この歌には、以下のような評を書いた。
”リョコウバトと密輸入という言葉の取り合わせは不穏なのですが、それが図鑑で見た動物に夢の中で出会う「きみ」の様子を指しているギャップがかわいらしくて好きです。ただし、夢の中に密輸入したリョコウバトは、目覚めたあとの現実ではやっぱり絶滅しているはずで、それをふまえると「密輸入」という言葉は大いに的確な表現でもあり、「ただ大げさな表現を使ってみただけ」にはなっていないのが良いと思います。”
付け加えることがあるとすれば、リョコウバトとか、ステラーカイギュウとか、絶滅した動物のことが単純に好きだというのもこの歌を選んだ理由に関係していると思う。背景を考えると、悲しい気持ちにもなるけれど。

題「ニューヨーク」  桜さくら
君を待つ駅のテラスに三日月とはもる「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2339d&id=13
この歌を選んだ時点では、ニューヨーク・シティ・セレナーデがどんな曲か知らなかった。一人でいる時間に月を友に見立てるというのは普遍的な題材かもしれないけど、三日月とセレナーデの組み合わせがなんとなく好きだった。
三日月は英語でクレセント・ムーン。私の主観では、セレナーデとクレセントは同じ響きの箱に入っている言葉だ。

題「布団」  春原シオン
雨音を散弾銃のように聞く布団のなかは安全だから
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2348e&id=44
当時の評は以下の通り
”雨の日に屋内にいるときは、どこか外の世界から隔絶されているような気分になります。そういう感覚があるので、「散弾銃のように」という言葉は色の濃い(パワーのある)表現ではありますが決して突飛ではなくむしろしっくりくる言葉選びに感じました。”
”散弾銃の響く中安全地帯にいる、というのは恐ろしい状況にも思えますが、布団の持つ優しさのおかげか、後味としては安心できる気持ちが残る歌だと思いました。”
改めて読むと、「布団のなか」の「なか」がひらがななのが良い。単に、空間的に「中」なのではなくて、しっかりと安心できる空間としての屋内であることが、なんとなくわかる。

題「丸」 木村
海底にねむる街並みのような朝をアパートの丸窓から見やる
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2350h&id=48
当時の評は以下の通り
”自分が暮らしている場所が海の底だったら、そこに差す朝の陽光はとびきり美しいだろうな、と思いました。”
地表を海底に見立てる行為が好きだ。だからこの歌も好きだった。そういう単純な好みの面もある。
「丸窓」であるのがよかった。潜水艦は丸窓だ。いや、普遍的に丸窓なのかは知らないが、私が乗ったことのある観光用の潜水艦は丸窓だった。船も同じ。丸窓のアパート、実在するのかはわからないが、窓が丸いだけでわくわくすると思う。
また、「ねむる街並み」は夜や早朝の描写として普遍的なものでもあるけど、「海底にねむる街並み」だと世界から忘れ去られたかのように印象を受け、少し違った味わいがある。

題「切 」 樹ひより
思い切り林檎を齧(かじ)ってありありと歯型で識別される私がいる
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2367f&id=44
ちょうど「アンナチュラル」で歯型による特定についてのエピソードを見たのと同じ時期に、この歌を見たような気がする。
歯型によって識別されるものは、たいていは遺体だろう。だが、この歌ではりんごをかじって残った歯形の話だ。日常の1ページ。特に不穏さや不安さはないものの、いつでも起こり得る死をしっかりと射程に捉えて、それでもあっけらかんと日常をやっているしたたかさ。そう、私はこの歌から強かさを感じた。

題「二十四節気のどれか詠み込んで 」 豆腐太郎
啓蟄のシーツはためくベランダに繁殖せずに生きると決める
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2400a&id=234
当時の評は以下の通り。
”啓蟄のシーツ、のリズムが好きです。啓蟄の内容を踏まえていることはもちろんですが、「繁殖せずに生きる」ということに暗さや情念ではなくどこか爽やかさや誇らしさを感じました。”
「生きると決める」、今まさに決めているのがいい。「生きると決めた」ではない。「決める」は、ル形が未来ではなく「今まさに」をあらわせる動詞だ。だから、「決める」を目にした瞬間、シーツがはためくベランダやそこで決断を下すその人の姿が、現在のものとして眼前に存在するものになる。

題「夕焼け」 架森のん
駅前でアップルパイふたつ買う(オーブンの中みたいな夕陽)
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2409b&id=24
「駅前でアップルパイ」、良い。「アップルパイとオーブン」、良い。「オーブンの中みたいな夕陽」、良い。最高。そんな気持ちで選んだ覚えがある。
もうすこし言葉を重ねると、夕焼けは様々な感情に訴えかける可能性がある。ときに寂しさだったりもする。この歌では、暖かなものとして夕焼けを取り扱っている。それがオーブンの喩えからわかる。
アップルパイをふたつ買って、家で待つ人に持って帰る。主人公にとって夕方は、暖かな気持ちで家に帰る時間だ。暖かな日常を送っている人の、暖かな気持ちに触れたような感情を抱く歌だと思う。

題「どら焼き」 みやまさら
うさぎやの(まあるい満月ふんわりとあんこ満たされ)どら焼き愛し
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2440d&id=18
当時の評は以下の通り。
”どら焼きを介在させて人について描くのではなくて、どら焼きそのものの話で一首が満たされているところが好きです。両脇から()の内容を挟んでいる様子がどら焼きの姿をあらわしているように見える、というのは想像しすぎでしょうか。”
これは書いてある通り。徹頭徹尾どら焼きのことを語っている。それがいい。「うさぎや」「まあるい」「ふんわり」「あんこ」、散りばめられたひらがなも、どら焼きのようにふんわりとした味わいに貢献している。どらやきたべたい。

題「空」 鐚ァ
電柱がこぞって空を切り分ける夕方という小さな事件
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2445h&id=32
当時の評は以下の通り。
”なんとなくずっと抱いていた、身近な町の夕方への郷愁のような情景が、見事に歌になっていて嬉しい気持ちになりました。”
この歌に登場する電柱や電線は、たぶん黒い。シルエットだ。あるいは影絵だ。夕方だから暗くなっているし、そもそも電柱や電線は主役ではなく、あくまで夕焼けを彩る枠や境界だろう。
夕方や夕焼けがどんな表情を見せるかは、場合によって、受け取る人によって変わる。この夕方は、不穏だ。不穏な帰り道だ。しかしながら、不穏であるだけで実際に事件が起きるわけではない帰り道だ。一人で歩いているときに、ふっと夕焼け空を見上げたときに感じる、身近な異界。
私がこの歌から感じた身近な異界という感覚は、幼いころのおぼろげな記憶のどこかに眠っていたそれと一致している。だからこの歌に対して、”なんとなくずっと抱いていた、身近な町の夕方への郷愁のような情景が、見事に歌になっていて嬉しい”という感想を抱いだのだと思う。

題「不 」 Saphir (サフィール)
人々のかなしみ吸って黒ずんだ不規則に並ぶ歩道のタイル
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2453f&id=4
この歌に限らないことだけど、過剰に人や物語が全面に出ていない、風景画のような歌はそれだけで好きになってしまうことがある。
歩道の役割は、人に歩かれることだ。歩かれ、歩かれ、黒ずんでいく。それは歩道自身の歴史である。この歌における「歩道のタイル」は誰かの物語を投影するための道具ではない。むしろ逆に、「歩道のタイル」の来歴と有様を描くために「人々のかなしみ」という人間の感情が利用されている。そこが好ましい。

題「ワイン」 ノア
褒めてもらった真っ白なワンピース 悲しみも溶かし赤く染めた
http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=2454f&id=30
私は短歌の読み方がよくわかってないので、「5・7・5・7・7」と読んでしまうことが多い。だから自然、5・7・5・7・7の境界を単語がまたがない歌を好きになることが多い。
しかし、たまにそうではない歌も好きになることがある。この歌が一例だ。
私は最初、この歌を失恋の歌だと思った。ワンピースを褒めてくれた人はもういない。だからワインでワンピースを染める。ワンピースを着たままワインを浴びたのかもしれない。そのような儀式によって、悲しみが溶かされてゆく。
たぶん別の解釈もある。ワインで酔ったのと褒められたので、頬が赤く染まったとか。解釈をしようと思えば「悲しみも溶かし」の「も」とは何かとか、何が何を溶かして何が何を赤く染めたのかとか、色々考える余地がある。
ここで音に戻ってみると、「ほめてもらった(7)・まっしろな(5)・わんぴーす(5)・かなしみもとかし(8)あかくそめた(6)」となる。
読み上げるとすれば「褒めてもらった真っ白なワンピース(17)悲しみも溶かし赤く染めた(14)」と断言するような調子で読むのが多分良い。全部分かったような顔をして読み上げるのが良い。
きっと大事なのは、白で始まった景色が赤で染まって終わるという対比なんじゃないかと思う。


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