テキストプレースホルダ

子どもたちに学ばせるべきことは、プログラミングでも英語でもなく読書の面白さだと思う

最近、子供にプログラミングや英語を学ばせている親が増えているらしい。
なんならYouTuberを目指すためのスクールもある。

これに対して違和感を感じていたのだが、モヤモヤの原因がよくわからず放置していた。
しかし最近、ようやく違和感の原因を自覚できたのでここにメモしておきたい。

子供の頃は実際にスキルを学ぶよりも学び方を学ぶべきではないだろうか

確かにプログラミングや語学は将来役立つスキルになるだろう。僕もそう思う。

しかし、もしも「将来役立つだろう」という親の目論見が外れたときはどうなるのだろう。スキルのパラメータがプログラミングに偏ってしまっている弊害は少なからずあるのではなかろうか。

スポーツなどは「ゴールデンエイジ」という言葉に代表されるように、年齢による修得率の差が大きい。しかし、頭を使って行うスキルは年齢による差が少ないことからも、わざわざ子供のときからパラメータを偏らせる必要はないと思うのだ。

プログラミングも本人が必要と感じたときから学べばいいし、英語も言語の壁を超えたいと本人が感じたときから学べばいいと思う。20歳からサッカーを始めてリオネル・メッシにはなれないが、20歳からプログラミングを学んだ結果複数のプログラミング言語を扱うことはできるようになるし、20歳から英会話を始めてネイティヴ並にペラペラ英語を話すことはできる。

問題なのは「学びたいと思った時に学ぶことが出来ない大人」になってしまったときではないだろうか。
逆に「学びたいと思った時にいつでも学べる」という状態を作り出すことこそ、本当の意味で「将来役に立つ」と僕は思う。

いつでも学べるスキルとはなにか

じゃあ何をしておけばいつでも学べる状態になるんだよ。

と考えたところ、それは文字を読むスキルだという結論になった。

これは速読ができるとか、難解な純文学をスラスラと読めるとか、漢検1級に合格するとかではない。
動画コンテンツがありふれた今日で、テキストに対する嫌悪感が全くなく、もはやテキストウェルカムです、というのが文字を読むスキルだ。

このスキルを修得しておくと、難解そうな専門書やノウハウ記事を抵抗なく読むことができ、その他のスキルを身につけるのに大いに役立つ。

プログラミングを学びたくなったとしても、専門書を数冊読めば基本的なことは一通りできるようになる。

語学を学びたくなったとしても、効率的な語学学習の方法を知ることができる。

YouTuberになりたくなったとしても、PVを稼ぐのに効果的なサムネイルの作り方や編集の仕方を学ぶことができる。

もし大人になってから学びたいことができたとき、文字に対する嫌悪感があるととたんに学習コストが上がる。
また、一度嫌悪感を覚えたことに対するハードルは想像以上に高い。

テキストに対する嫌悪感がなければ、僕たちはいつでもスキルを身に付けることができるのだ。

今は動画があるからテキストは不要論

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確かに年々動画コンテンツは増え、わかりやすい解説動画やHow to動画が盛りだくさんになった昨今、テキストの重要性は薄れてきている。

それでも時間効率に関して、動画がテキストに勝ることはない。
僕はニコニコ動画でメンタリストDaigoのチャンネルに入会しているが、彼が1つの動画で1時間かけて話している内容は、文字に起こすとたぶん5分もかからない。
そのくらい、動画から学ぶのは時間のかかることなのだ。

実際に目の前のものを操作することを真似する(プラモデルの組み立てや料理など)という目的以外で学びの時間効率が「動画 > テキスト」となることは稀ではないだろうか。

実際にテキストに嫌悪感のない人は、同じ内容で動画とテキストを選択するとしたらほぼ100%の人がテキストでの学習を好むだろう。だからテキストはいくら動画コンテンツが増えてきたとしてもなくなることはないと思う。

テキスト云々の前に勉強の仕方やリテラシーが必要論

いやいや待ってくれ。
いくら文字が読めたとしても勉強の仕方を知らなかったり、情報の取捨選択ができないのではないか。

という気持ちも理解できる。

しかし、その「勉強の仕方を知る」「リテラシーを鍛える」ということすらも、文字が読めれば自然と身につくはずだ。
なぜなら勉強の仕方も、情報選別の仕方も、セルフコントロールも、すべて文字から学ぶことができるから。

一度も失敗せずに学べるわけではない。
効率の悪い学び方をしたり、スピリチュアル系に騙されそうになったり、情報商材を買ったりもするかもしれない。

だがそれでも、「テキストに対して嫌悪感がない」だけで圧倒的にトライアンドエラーを繰り返すことができ、結果的に効率よく学ぶことができるのではないだろうか。

また、「分厚い本だ」「長ったらしく難解そうなWeb記事だ」という障壁がない限り、接することのできる世界は圧倒的に広がる。
普段文字を読まない人も読めるように簡潔に書かれた自己啓発本を何冊も読むのではなく、抵抗なくデール・カーネギーの本を読める。
なにかわからないことがあったとき、「図解・とてもわかりやすい」系の本ではなく、論文を探して読むことができる。

テキストが読めると、正しい方法を見つける確率もあがり、さらには正しい方法を実践することが簡単にできるのだ。

文字を読むスキルを身に付けるために

「YouTuber養成スクール」と違って、「文字に対する嫌悪感をなくすスクール」は存在しないだろうし、具体的なノウハウがあるわけでもない。
だから文字に対して嫌悪感を覚えさせないためには、小さいときから本を読むことに慣れておくことが重要になってくる。

読め、と言っても読むものではないので、本の面白さをわかってもらうのが手っ取り早い。
親が普段から読書をしていれば、自然と興味を示すのではなかろうか。
本への興味が面白さに変わり、子供が自分からどんどん本を読むようになればこのスキルは身につけたも同然になる。

そして、文章の意図を読めるようにもなり、だんだんと速読も可能となり、感受性豊かになり、漢字の読みも覚え、表現力も高まる。
さらに結果として、大人になってからもテキストコンテンツの恩恵を受けるだろう。

本はあらゆるスキルを教えてくれる偉大な先生なのだ。


*今回書いたこの文章は「ブートストラップ」という概念を知ったことがきっかけ。
この概念を知らない人は、この記事を読んでみて欲しい。

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