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うそ

 人生で得た情報や知識の大半は忘れ去られ、残された僅かな記憶を頼りに僕らはどうにかこうにか毎日を生きている。
 忘れることは決して不幸じゃない。悲哀、恐怖、憎悪なんてものを一生引きずっていては、まともな精神状態で人生を歩んでいけないから。悲しくもあるけれど、僕ら人間は忘れてしまう生き物だ。

 一年半ぶりに帰省する電車の中、そう自分に言い聞かせている。

 窓辺のソファに西からの陽射しを受けて佇む沈黙の男一人。物憂げな顔で窓外を眺めている。
「最近、ずっとあそこに座ってぼうっとしてるんよ」
 母さんが背後からそう呟く。先日、母さんの顔を見たじいちゃんが不思議そうに首を傾げたそうだ。随分と可愛がられて育った末っ子の母さんにとって、その事実はあまりにもショックが大きかった。母さんから泣きそうな声で僕に電話があったので、仕事を調整して二週間後の週末に帰省した僕が今ここにいるというわけだ。
「じいちゃん」と声をかけた。ゆっくりこちらに顔を向けたじいちゃんが会釈をした。よそよそしい。
「元気? 久しぶりやね」
「あぁ、おかげさまで」
「顔見て安心したよ」
「どうもどうも」

 僕の名前、分かる?
 僕は喉元まで出かかったその言葉を飲み込んだけれど、やっぱり確認しておこうと晩夏に残る蝉の鳴き声がやんでから尋ねた。
「じいちゃん、僕の名前、分かる?」
「はて」
 眉間にシワを寄せるじいちゃんの顔を見て、だろうなって確信したけれど、それ以上に寂しかった。去年の正月には「健太、仕事はどうや?」なんて声を弾ませていたのに、今日の再会がこんな感じなのは足を骨折して二ヶ月の入院でじいちゃんが認知症を発症してしまったからだ。
「ヒント! 最初の文字は、け!」
「け?」
「ん!」
「ん?」
「た! け、ん、た!」
「あぁ、健太。元気してるんか?」
 やっと思い出した、いや、思い出させた僕の名前は、さっき母さんがグラスに注いでくれたサイダーの泡沫のように次の瞬間にはじいちゃんの記憶から消え去った。
 人は忘れる生き物だと心の準備をしてきたはずだった。しかし、どうやら忘れる必要がないことまで失われてしまっている事実に、僕はそれを長寿がもたらした弊害と感じざるを得なかった。二十六年も慣れ親しんだ僕の名を忘れる理由など一体どこにあるだろうか。
 この限られた二日間、僕はじいちゃんの脳に訴えかけることにした。陽炎の如く曖昧に揺らめく記憶のなか、僕のことを鮮明に思い出し、いつもの飄々とした調子で僕に呼びかけてほしくてしょうがなかった。が、作戦はなかなか奏功しない。昔の写真を見せたり、旅行先で買った置物の思い出を語ってみても、まるで自分には関係ない世界の出来事のような顔をする。
 当たり前だけれど、時は取り戻せない。がむしゃらに働き故郷に帰らなかった日々から得られたものは何だったのかと僕は自分に問い、そして悔やんだ。
「じいちゃん、もう戻らんのかな」
「残念やけど、八十歳やからね。仕方ないわ」
 言葉では諦めている母さんの顔には、事実を認めたくないという気持ちが滲んでいた。
 空が茜色に染まり少し暑さが和らいだ頃、じいちゃんと天馬川沿いの遊歩道を歩いた。ここは僕たちの思い出の場所だ。春に桜を眺め、夏には水遊びや魚釣りをした。
「健太、釣れたぞ!」と、大きな鯉を釣り上げて誇らしげなじいちゃんの顔を思い出して自然と涙が溢れた。
 健やかに育つようにと願いを込め、僕の名前を付けたのはじいちゃんじゃないか。
 じいちゃんは腰の後ろで手を組んで、とぼとぼと歩き「懐かしいね」と言っても「ああ」と、からっぽの返事をする。夕飯の時も風呂上がりにテレビを観ている時だって、それは変わらなかった。
 二日という短い時間では、僕にはじいちゃんの認知症を受け入れることはできなかったけれど、受け入れなければならない事実だということだけは理解した。
「帰るわ、じいちゃん」
 布団の中のじいちゃんは眠そうな目を開いて僕を確認すると、面倒くさそうに右手を挙げた。
「しんどいんやってさ」と、母さんが言った。
「そっか」
「気を付けて帰りや」
「うん、またすぐ来るよ」
 惜別の情を堪え、立ち上がって振り返る僕の足に強い力が加わった。
「今の言葉、間違いないな!」
「じいちゃん! なんで?」
「最近、ちっとも帰ってこんからお前を懲らしめてやろうってな」
「えっっ! じゃあ、僕の名前は?」
「忘れるもんか! 坂谷健太!」
「じいちゃぁぁん!」
 二人に騙された。が、僕は嬉しくて仕方なくて、思わずじいちゃんに抱きついた。

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