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私の見える世界と、君の見える世界は違う。

子育てを始めてずっと思っていること。
私の息子は、先天性の障害を抱えて生まれてきました。
病名は「先天性多発性関節拘縮症」。
生まれるまで指摘されてこなかったので、生まれてきたときは家族全員、息を飲みました。

この病気は、関節のいろんなところが固まってしまう病気。(かなり雑な説明ですが。)
息子は生まれた時、手首が内側で折れ曲がり、薬指と小指はくっつき、両足首は内側に折れ曲がり(内反足)、右足骨折した状態でした。
よほど、お腹の中が窮屈だったのかと申し訳なかったです。

そんなこんなで、身体障害のある子供と日々を過ごしていて思うこと。
やはり障害のある子供なので、生活が制限されてしまうこともあります。身内から、「可哀想にね〜。」という言葉をよく聞きました。

私は不幸と感じたことはない。ただ少しだけ、生活するのに不自由だと感じることがあるだけ。

誰のお話かは忘れましたが、障害を抱えた人は決して「不幸せ」ではないということ。

私たち夫婦は、当たり前に両手足が使えて、それで今まで生きてきました。だから自分の経験上、「両手足が使えないとどうやって文字を書いたり、遊んだりするんだろう。我慢することも多いだろうし、可哀想だな。」とどうしても思ってしまいます。

でも、私は期待も込めて思うのです。
息子にとって両手足が使えないのが当たり前。遊ぶのは寝転びながらが当たり前。食事するのも手伝ってもらいながらが当たり前。
生まれた時からその状況だから、まだ両手足が使えなくて辛いと感じたことはないのかな。と。(本当に期待を込めてです。)

息子は現在5歳。お友達とのやり取りの中でこんな会話がありました。
「ねぇねぇ、〇〇くんはいつになったら歩けるの?」と。
それに対して息子が返した返事は、
「歩けないよ!でも、寝転がって移動できるからいいの!」と、普通に言っていました。

まだ私は、「僕はなんで歩いたり、手を使ったり出来ないの?」「いつになったら歩けるの?」と聞かれたことはありません。
いつか、聞かれる日が来ると思います。その時、彼が泣いていないといいな、と思います。

人は障害あるなしに関わらず、それぞれ違います。価値観も感じ方も考え方も、見えている世界も。

君にとって今見えている世界が、幸せいっぱい・わくわくいっぱいであることを毎日願っています。

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