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隕石の落ちた惑星の地軸がずれる


はたらきたくない私がびっくりした話

 お金持ちや立派な仕事でたくさん稼いでいる人でも、必ずしもはたらくことを好きなわけではないとここ最近知ってびっくりしたので、その話をしたい。

 私ははたらきたくない。
 はたらきたくない人たちと一緒に、はたらきたくないと思いながら、はたらきたくなさの満ち溢れた職場で、「午前中が終わったし帰ってビール飲みたい」とか言い合いながら、一日一日を乗り越えている。
 今の職場は奇跡のように人間関係が良く、生活のために仕方なくはたらくにしては良いところだと思う。
 それでも給料が十年以上上がっておらず、上がる予想も立たないし希望もないことには、閉塞感というか暗澹たる気持ちというかなんかもう何もかも無駄であるという感覚になる。

 都市部の大きなビルを見たときや、名前を知られた大きな企業のおしゃれな社食をTVで見たときなどに思うことがある。
 ああいうところではたらいて、好きな仕事やクリエイティブな仕事や大きなプロジェクトなどに携わる方は、毎日が充実していて年収が私の四倍くらいあって(もっとかも)毎週月曜日には今週も頑張るぞ! と思えるんだろうな。
 わざわざ文章化したことはなかったけど、改めて書いてみると卑屈である。でもこんなことを折々に思っていた。ボーナスがある人はいいなあなんてことは年に二回、必ず思う。

 その思いこみについて、冒頭に書いたように必ずしもそうではないということを知ったきっかけは、FIREの本を読んだことだった。

FIREとは?(ここ、読み飛ばしても問題ありません)

 先に、私の読んだ本をご紹介しておく(アフィリエイトではありません)。

 FIRE ムーブメント(英: Financial Independence, Retire Early movement)は、経済的自立と早期退職を目標とするライフスタイル、またはそれを啓蒙するムーブメントを指す造語。
(略)
以下の2つを達成するとFIREを達成できる。
 貯蓄率を高め、生活費25年分を貯蓄する。
 投資のインフレ調整後の利回りを4%以上にする。
FIREの目的としては労働から自らを解放してやりたいことを時間を費やすほか、介護離職に備える人もいる。ある程度の仕事を続けて貯蓄・資産の目減りを抑える「サイドFIRE」というスタイルも提唱されている。

wikipedia-FIREムーブメント

 たとえば、4500万円の4%は180万円だ。180万円を12ヶ月で割ると、一ヶ月15万円。一人暮らしで節約すれば、ちゃんと暮らしていける。投資したお金は4%どころでなく増えるらしく、元手が減る可能性はとても低いという。
(ひとつめの条件、年収の25倍。手取りが15万円がとすれば支給額は20万円弱のはずで、年収にして約240万円。25倍貯蓄するとなると、実際は6000万円かもしれない。まあいいか。)
 つまり4500万円貯められれば、そしてそれを全額投資で運用していれば、理論上もう働かなくて良い。それ以上のお金が必要な時だけちょっと働けばいい。

すごい人でも時間が欲しい

 私が読んだ「FIREを目指せ最強の人生向上術 経済的自由を達成する方法」の著者であるスコット氏と奥様は、手取り収入が二人合わせて14万2000ドルある。日本円が100円だった頃だとしても、すごい金額だ。
 もちろん大変羽振りの良い暮らしをしている。それぞれ高級車に乗り、高級リゾート地の良い家に住み、毎日外食。月2500ドルのナニーを雇いヨットクラブの会員権も持っていて休暇には思い切り予定を詰め込んで海外旅行で貯金をはたく。
 けれども夫婦揃って仕事が忙しく、ゆっくり二人で過ごす時間はおろか、子どもが初めて立って歩いた瞬間を見ることもできない。成長していく姿を見守ることもできない。
 加えて、夫婦の満足のいく暮らしを続けながらふさわしい家を購入しようとすると、なんとこの手取り収入でもお金が足りない。
 スコット氏は思う。
「仕事して、食べて、寝るの繰り返し」
 何とかしなければ、と思いながらスコット氏は、全てをひっくり返すいいアイデア、金もうけのアイデアを探し続けた。

 ある日、FIREを知ったスコット氏は「これだ!」と思う。

 本筋とは関係ない話になるが、私は人がなにかを見つけて、これだと思う瞬間がとても好きだ。そういう話や物語を見聞きすると、嬉しくなる。当人は選んだわけでもなく、出会ってしまったとか落ちてしまったとか沼にはまったとかいうんだろうし、そういう感覚なのだろう。
 それが人生を変える大きなことでも、気に入って使い続けているリップクリームのことでも、面白そうだと手に取っていま読んでいる本でも。
 これだと思った話や夢中になっている話は、聞いている方も幸せになる。

 話を戻すと、スコット氏がFIREのライフスタイルに初めて触れたのは出勤途中の車の中、ポッドキャストを聞いていたときだった。
「30歳で退職してから職にはつかず、投資の利益を得て、年間わずか2万5000ドルから2万7000ドルの支出で暮らしている人」の話を聞いて、とても興味をひかれたのだ。
 どうしてそんなことが出来るのか? 
 その時取り上げられていた人が仕事をやめたきっかけが、子どもが生まれたことだったということも、スコット氏を強く引き付けたのだろう。

 スコット氏の月の支出は家族で1万ドル。年間にして12万ドルをうむためには上記4%ルールで300万ドル必要だが、彼は「たったそれだけでいいのか」と衝撃を受ける。(いやそれが衝撃だが。300万ドルですよ。)
 贅沢な暮らしをやめて倹約し、貯蓄し投資し、300万ドルを作って今より安い物件のある土地で暮らす。
 仕事をしないかするにしても最低限とし、アウトドアを楽しみ、夫婦で過ごす時間を増やす。子どもと一緒に山ほど楽しいことが出来る人生を手に入れられる。
 これは100万ドルのアイデアだ。


自由=好きなことをする時間

 スコット氏と奥様は、お金の価値観が正反対だった。
 倹約家のスコット氏が何かを安く買えば、奥様は「正価で買えないみたいじゃない」と嫌がる。
 贅沢家(?)の奥様が高いものを買えば、「富を見せびらかしている」と感じたスコット氏はいらいらしてしまう。
 そのため家族がそろってFIREに向けてライフスタイルを変えることは、とてもとてもとても難しかったようだ。
 スコット氏は数ヶ月かけている。
 情報を集めてメールで送ったり、気持ちを確かめるにも少しずつにしたり、様子を見たり、ちょっと引いたり。
 案の定、あまり乗り気ではなかった奥様だったが、あることをきっかけに考えを変えた。
 夫婦で「幸せを感じるベスト10」を書き出してみたことだ。

「一週間のうち、自分が幸せだと感じた瞬間を10個書き出すだけ」というシンプルなエクササイズ。一ヶ月単位でもいいようだが、「自分が一週間何をして過ごすかが、長い目で見れば、人生を通して何に時間を使うかになる。」とスコット氏は言う。
 夫妻がある夜、書き出して見せあったところ、そこには高いお金を出して買うようなものはサービスも含めてひとつも無ければ、高い家賃を払っているいまの家の条件である「ビーチ」にまつわることも、ひとつもなかった。
 二人でコーヒーを飲んでいるとき。
 娘と遊んでいるとき。
 家族で夕食をとっているとき。
 二人に共通しているものはどれも家族の時間を共有するひとときだった。
 ちなみにお金を使うものは二人合わせてもコーヒー、お酒、チョコレートだけ。
 奥様は驚き、求めるものがわかった二人はFIREを目指すべく話し合いを重ね、生活と人生を変える大きな決断を下す。

 スコット氏は言う。
「人間の寿命は限られているのに、そのほとんどが、生活費を稼ぐことと稼いだお金を使うことに費やされている。だが、きみが自分の時間を使って本当にやりたいことはなんだろう? 何をしているときに楽しいと感じる? どうすれば限られた時間をめいっぱい有効に使えるのか?」

 なお幸せを感じる瞬間ベスト10は、毎月使っているお金の内訳ベスト10と突き合わせてみると良いらしい。本当に楽しいことにお金を使っているかがわかるという。怖くてできないけど。

なににびっくりしたかというと

 スコット氏の決断とその後の話は本を読んでいただくとして、私がびっくりした話にようやく戻る。
 なににびっくりしたかというと、
「えっお金持ち、身を粉にして働くのが大好きなんじゃないの?!」
 ということである。

 重ねて言うが私はお金持ちや仕事が大好きな人たちは、忙しいほど幸せで、仕事をすればするほど幸福度が上がっていく人たちだと思っていた。
 だがスコット氏や他のFIREを目指したり成し遂げたりしているたくさんの人たちは、まだまだ稼げる仕事を捨てて、わざわざ生活レベルを下げて、持ち物も車も売って、生活費の安い地域や家に移り住んでいる。

 そうまでして手に入れたいものは、自由な時間だ。
 ゆっくりコーヒーを飲んだり本を読んだり子どもと遊んだりするふつうの日常を味わいたい。
 仕事に追い立てられず自分の人生を生きたい。
 そのためのお金はこんなにたくさんいらない。

 それよー、と思った。

 私はお金持ちではないけれど、すごくわかる。そうやって満足して暮らしていけたら、確かに余分なお金はいらないだろう。
 もともと余分なお金はないけど、私もそれが欲しいと思った。
 自分の人生が欲しい。

 はたらきたくない私や、同じくはたらきたくない職場のみんなの口ぐせは「帰りたい」である。モチベーションなどない。
 なぜ帰りたいかというと、家にいたいのはもちろんだが、自由ではないからだ。
 お金持ちのスコット氏に強く共感して初めて、私ははたらいている間は不自由なのだという、当たり前のことを思い知った。

 はたらくことは生きることに否応なしにへばり付いている。避けようがないしそれが当たり前だ。
 その中で私に自由があるとすれば、仕事や職種を選ぶ自由だ。つまり私は自分の人生の選択肢として、いまの仕事をしていると思っていた。
 けれど、そもそもフルタイムではたらくということ自体が、私が欲しい人生にとって自由とは言えなかったのだ。

 時間は、自由は、はたらくことによって奪われていく。

そして地軸がずれた

 もちろん、月曜日が来るのが待ち遠しい人も、仕事が生きがいな人も、はたらくことが楽しい人もたくさんいる。
 私の友人にもいる。ちゃんとしてんな、と会うたび思う。
 だから、「みんな不自由なんだよ! FIRE目指そう!」とは思わないし、そうなってはならない。
 もしそこでこうした理念の声が大きくなったとしたら、それはそれで不自由が生まれてしまう。

 今回びっくりしたことで、私の仕事に対する考え方のしばり、はたらくということへの強迫観念のようなものが、ちょっとだけゆるんだ。

 はたらくとは、入りこめた(拾ってくれたともいう)会社に従うこと。ガラパゴス化したルールや土着信仰みたいな上下関係も受け入れること。差し出した時間の中でさらに認められるよう励み、期待以上のはたらきをして評価されること。
 そうやって年金がもらえるようになるまで、あるいはもらえるようになってからも、「仕事をして、食べて、寝るの繰り返し」を続けること。
 それが生きていくということ。

 と言っていいのだろうか?と、考えるようになった。

 もし、このままの人生はあまりに不自由だと思うなら。
 もし、生活レベルを落とせるなら。
 もし、投資で月に一万でも二万でも受け取れるように、何年かかけて積み立てが出来たなら。

 もしかしたらはたらく時間の少ない仕事に変えられるかもしれない。思いきり本を読んだり、規則正しい生活が送れる日が来るかもしれない。

 はたらくということの中に含まれていた私の人生。
 はたらくために休みの日に用事を済ませ、はたらくために予定をキャンセルしたり誘いを断ったりし、はたらくために生活リズムを乱したりしていた。はたらくために人生はあった。

 いま私は、人生のどこにはたらくということを位置づけようかと考えられるようになっている。
 私にとっての幸せな瞬間トップ10はどれだろう、できる限り幸せな瞬間を生活に取り入れられるよう暮らすには、どれほどの収入が必要だろう。今から積み立て投資をするとして、何年後には実現可能だろうか。

 まだ夢の段階だけれど、考えてみるだけで日常の息詰まる感じがふわりと無くなる。

 これは少しだけ自由になれたと言えるのではないだろうか。


#私にとってはたらくとは


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