星になったじいちゃんへ

もっと優しくしてあげるべきだったのに。
もっとたくさん笑って過ごすべきだったのに。

施設に入る直前、怖い顔で、怒ってばかりいてごめん。

最期まで自宅で過ごす、という願いを、叶えてあげられなくてごめん。

最期まで必死に生きようと頑張ってくれて、ありがとう。

私たちに、生き様を見せてくれてありがとう。

最期に、私たちの手から、プリンを食べてくれてありがとう。 

長い間、本当にお疲れ様でした。
天国でも、マイペースに、自由に過ごしてね。


施設に預けると決めたとき、私の心には余裕が全くなくて。1日でいいから、夜、誰にも起こされることなく静かに眠りたい。それだけを願っていた。毎日が本当にしんどくて、朝起きるのが怖かった。
でもたぶん、じいちゃんも同じだったよね。身近な人の記憶を失う恐ろしさ、昨日までできていたことができなくなっていくしんどさ、孤独。たくさん混乱したよね。きっと、とても辛かったと思う。
じいちゃんが一番辛いんだって、頭ではわかっていても、その気持ちに寄り添うことができなかった。私も辛いのに。なんでわかってくれないの。そう思ってしまった。
今、自由の身になったじいちゃんは、幸せかな。私の名前、思い出してくれたかな。私が孫だって、思い出してくれたかな。アルバムに綺麗に貼られた私の写真を見て、涙が止まらなかった。晴れ着で浮かれてポーズを取っていた、あの小さい女の子が私だってこと、思い出してくれたかな。
私は、あんなに大切にされていたのに、すっかり忘れてしまっていた。気持ちがずっとざわざわと波打っていて、すべてを忘れてしまうあなたに腹が立って、怒ったり、怖い顔ばかりしていたよね。
無理だとわかっていても、昔みたいに遊んでほしかった。名前を呼んでほしかった。一緒に遊びに出かけたかった。ゴーヤの収穫をしたり、テレビを見て大声で笑ったり、チェキで写真を撮り合ったり。
些細な日常の幸せを取り戻したいと思って、できることは自分でやって!と突き放したりもした。どれだけ嫌がられて、抵抗されても、絶対に服は自分で着替えさせたし、トイレも自分の足で行けるように誘導した。ご飯も、自分の手で箸を使って食べてもらったし、自分でやりたい、というじいちゃんの望みを叶えるために、必死でサポートした。そのやり方が正しかったのか、間違っていたのか、今になっても、正直よくわからない。もっと優しく、できたのかもしれない。
でも、高齢者だから、認知症だから、という理由で、世話をする人とされる人、になりたくなかった。祖父と孫、人と人として、対等でいたかった。
だから、じいちゃんと話すときの口調は、認知症になってからもずっと変えなかったし、人としてやっちゃいけないことをしたときには、真剣に目を見て、何度も伝えた。すぐに忘れてしまったとしても、その瞬間は、きちんと届いている気がしたから。じいちゃんには最期まで人間らしく生きてほしい、なんていう、私のエゴもあったかも。
当時は、じいちゃんには人間らしく生きてほしいという気持ちと同時に、毎日のじいちゃんの世話から解放されたい、誰かに代わってほしいという矛盾した気持ちも抱えたまま、必死に生きていた。
改善されない状況に胸が痛んで、未来が見えない生活がとにかく苦しくて、何度も喧嘩したし、何度も叩かれた。噛まれたり、つねられたり、蹴られたりもしたし、私がやり返したこともあった。お互い、傷だらけになって、もうこんな生活続けられないって、毎日思っていた。怪我をしてもなかなか手当てをさせてくれないのも、大変だった。血が!出てるから!動かないで!という必死の願いも虚しく、私の服にも自分の服にも血がついて、せっかく着替えた服を一瞬で脱ぐことになったり。私がお気に入りの服を着ているときに限って、じいちゃんは汁物をふっ飛ばしたり、スプーンをぶん投げたりするから、途中からは部屋着を戦闘服みたいに着て、じいちゃんと向き合ったり。毎日が、バトルロワイヤルだった……。でも、今振り返ってみると、一緒に過ごせただけ幸せだったのかなとも思うんだ。
施設に入所してから、あっという間に車椅子になってしまったじいちゃんを見て、夜、こっそり泣いたりしたよ。あんなに頑張って行っていたトイレに、自力で行けなくなったと聞いたときは、衝動的に、家に連れて帰りたいとも思った。
施設で脱水を起こしたと連絡を受けたときも、一瞬、頭の中が真っ白になった。薬剤師さんに口を酸っぱくして言われていたので、家では、脱水にならないように、たくさん工夫していたんだけど、それを上手く施設の人に伝えられなかったみたいで、苦しい思いをさせてしまったね。
家では、じいちゃんが飽きないように、リンゴジュースを買ってみたり、利尿剤の関係で、おしっこが出すぎてしまわないように、カフェインレスのコーヒーや緑茶を使ってみたり……素人なりに一生懸命調べて、じいちゃんの健康のために頑張ったんだよ。
家で過ごした時間が、じいちゃんにとって、少しでも幸せな時間だったら良いなと思う。嫌なことも、辛いこともたくさんあったけれど、最期には良い記憶だけ持っていってほしいな。
たくさん喧嘩した、壮絶な闘いの記憶は、私だけの宝物にするよ。

私に、“自分らしく生きること”と“自分らしく死ぬこと”について、その身を以て教えてくれてありがとう。

どうか、安らかに。
空で見守っていてね。

あなたの可愛くて生意気な孫より

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