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クールは作れない

クールに振る舞うことこそカッコいい。
一時期そう思っていて、いっさいの喜怒哀楽を出さずに人と接してたこともある。

でも今考えてみたら「振る舞う」というフレーズが出て来ている時点で、本来の自分ではなかったように思う。

何をやってもうまくいかなくて、自分を見失って、迷走して…というスパイラルにはまった時期もあった。
その時期、どんなことがあってもクールに振る舞っていたけれど、ただただ悲しくてやり場のない感情を抑えていたに過ぎない。

もともと気分の浮き沈みが激しかった私が、クールに振る舞うということに無理があった。

「無理して平静を装うのはクールとは言わない」
「クールに振る舞うのは余裕がある人がやること。力がないと自覚してるなら、泥臭くやってくしかない」
「懸命に〇〇をやっているときのお前が一番だ」

友人からこう評されたのだから、クールに振る舞って作った自分でいることは間違っていると見抜かれていた。

どんな思いも胸の内にしまって戦ってきたけど、数年前にとうとう限界が来てしまったため、感情を表現したいときは思いきって表現することにした。
結果、精神的にもだいぶ安定したので、私には少なくとも感情表現することが合っていた。

笑いたいときは笑う。
怒りたいときは怒る。
嬉しいことがあったら喜ぶ。
悲しいことがあったら悲しむ。
泣きたいときは泣く。

至極当たり前のことかもしれないけれど、適度に感情表現をすることが、心身ともに健康でいられる。
クールでいられるならいいけれど、クールを作って感情を封じ込めると、いずれ心身のバランスを崩す原因にもなるので、無理して作りすぎないように。

身体も心もケガをせず、元気でいられますように。
きょうが七夕だとさっき気づいた私の、ささやかな願いだ。

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