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"努力"という曖昧な言葉
「精一杯努力はしたんですが…」
「努力しているのはわかるんだけれども…」
わたしたちは努力という言葉に、どこか頼っている部分はないでしょうか?
時間をかけて取り組んでいることを表すことが多いでしょう。
努力を辞書で引くとこちらです。
ある目的のために力を尽くして励むこと
あくまで主観的、本人もしくは見ている人の捉え方で変わってくるものです。
そして、結果を残している方はこのように話すことがあります。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
取り組みが努力と言えるかどうかは、成果が出ているかどうか。
そして周りの人が
「あなたは努力をしているね」
「彼は努力したから、今の地位にいる」
こう表現するときには、そこには結果が生まれているはずです。
あなたにもこういった経験はありませんか?
自分では努力と言うにはおこがましいものの、周りからは「ストイックだね」「努力家だね」と言われる。
ただがむしゃらに、夢中になって取り組んでいただけなのに…。
それが本当の努力なのではないか、と私は考えています。
では、自身が今取り組んでいること…。
周りからはどう見えているのか?
それが努力かどうかは、もう少し後になってわかることでしょう…!
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