見出し画像

"努力"という曖昧な言葉

「精一杯努力はしたんですが…」
努力しているのはわかるんだけれども…」

わたしたちは努力という言葉に、どこか頼っている部分はないでしょうか?
時間をかけて取り組んでいることを表すことが多いでしょう。

努力を辞書で引くとこちらです。

ある目的のために力を尽くして励むこと

デジタル大辞泉

あくまで主観的、本人もしくは見ている人の捉え方で変わってくるものです。


そして、結果を残している方はこのように話すことがあります。

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」

王貞治

取り組みが努力と言えるかどうかは、成果が出ているかどうか。
そして周りの人が
「あなたは努力をしているね」
「彼は努力したから、今の地位にいる」
こう表現するときには、そこには結果が生まれているはずです。

あなたにもこういった経験はありませんか?
自分では努力と言うにはおこがましいものの、周りからは「ストイックだね」「努力家だね」と言われる。
ただがむしゃらに、夢中になって取り組んでいただけなのに…。


それが本当の努力なのではないか、と私は考えています。

では、自身が今取り組んでいること…。
周りからはどう見えているのか?

それが努力かどうかは、もう少し後になってわかることでしょう…!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?