U

アラフィフな2児の母。世界を自分の”好き”で彩りたくて、文章を書いてます。

U

アラフィフな2児の母。世界を自分の”好き”で彩りたくて、文章を書いてます。

最近の記事

時間が止まる感覚って

子どもたちを送り出し、 ひとりキッチンの片づけや洗濯物といった 家事を一通りこなし終える。 ここからはお楽しみのコーヒータイム。 片付いたキッチンでひとり、 お湯を沸かし、コーヒーを淹れる。 ミシっと家がきしむ音。 空気清浄機のブーンという稼働音。 静かだ。 特に今日のような陰鬱な雨の日は、 灰色にスッポリと世界が覆われたようで 時間が止まってるみたいだ。 とても気持ちいい。 子どもたちが帰ってくれば テレビの音や、話し声、 「お母さーん」と呼ばれる声の音、 ドス

    • 本に栞を挟むような、小さな光。

      今日は子どもの授業参観だった。 ときに予測してないところで 輝く光のようなものに出会う。 夜、寝る前のひととき。 ノートを広げ、今日あったことを思い返す。 午前中は上の娘の授業を参観、 午後は下の息子の授業参観を終え、 そのまま息子と共に下校した。 途中、息子は友だちと遊び、 寄り道しまくり、遊び放題。 同じ時間に娘も下校してるということを すっかり忘れていた母。 帰宅して、ふぅーっと一息。 コーヒーを呑み、 30分後、ようやく動き出す。 「さて洗濯物でも入れるか

      • ママエモンの4次元ポケット。

        「何とかしてよ、ママエモン」 子どもたちが困ったとき、 よく私に言ってくるセリフである。 学校で嫌なことがあったとき。 宿題をやる気になれないとき。 兄弟ゲンカしたとき。 その話を私にしながら、最後には 「なんとかしてよ、ママエモン」と言う。 分かる分かる。 それは嫌だよねえ、うんうん。 ただ、ママエモン。 なんとかしてあげたいけど 何もできないんだ。 たとえば、学校でのお友だち関係や 先生の指導についてモノ申すことなんて 気軽にできるこっちゃない。 宿題だって

        • "ドンくさい"私に生まれ変わろう。

          ちょっと出かける用事があった。 今日はとても天気が良い。 久々に車ではなく、 自転車で出かけてみることにした。 流れていく冷たい風が気持ちいい。 見慣れた街並みも 車で通り過ぎるのとはまた、違って見える。 自転車は温かくて、優しい 人の生活の匂いがしてくるスピードだ。 「自分」という存在も ときに全く違うように 他人に映っているときがある。 長い間、自分のことは ”ひねくれ者”だと認識してた。 ”冷酷な人間”なのだと思い込んでいた。 でもときに、 人から真逆の評価を

        時間が止まる感覚って

          なんてない朝に、愛と幸せを。

          朝、子どもたちを学校へ送り出すと ひとりっきり、朝食の片付けだ。 子どもがテーブルにこぼしたままの 人参の切れ端を布巾で拭き取りながら お母さんって大変だな… とふと呟いてしまう。 昨日、学校から帰ってきてすぐ 子どもが 「学校行きたくない」 と言い出した。 どうも友だちとうまくやれてないらしい。 意地悪をされるのだ、と。 子どもの悩みは、即自分の悩みだ。 こういうとき、 なんと声をかけてあげたらいいのだろう。 頭の中の大半がそのことで占められ、 グルグル回転し

          なんてない朝に、愛と幸せを。

          人生フラクタル。

          朝、目が覚めて思った。 昨日は本当に辛かったけど 疲れて果ててしまったけど 眠って起きれば もうそれは前日のこと。 今朝はまた新しい1日の始まり。 昨日のことはリセットされ、 過去のものとなった。 これからは「今日」という名の、 明日を生きることができる。 ああ、なんて素晴らしい。ありがたい。 このシステムを創ったヤツは天才だ。 なんて。 ツラいことがあった翌日に、 気持ちが悪いほどに前向きになっていた。 「一日一生」という言葉のおかげだ。 「一日一生」と

          人生フラクタル。

          コバンザメ、独立する。

          先日、子どもが読んでいる 小学生向けの新聞で面白い記事を見つけた。 コバンザメの話だ。 サメやクジラの下にくっついて、 彼らが残したエサや排泄物、 寄生虫などを食べて暮らすコバンザメ。 「コバンザメみたいなヤツだな」 と権力者のおこぼれにあずかる人の 例えでも使われる、 どちらかと言えば残念な生き物。 ところが鹿児島の一部の海域では、 サメなどにくっついて移動することを やめてしまったコバンザメがいるという。 そしてそのコバンザメたちは 通常のコバンザメより胴回り

          コバンザメ、独立する。

          豊かさを放てる人。

          このnoteを始めて、今日でちょうど1年。 記事数は少ないが 途中でやめずに続けられたことを誉めたい 夏休み最終日。 昨日、夏休みが終わるってことで 家族で夜景が素敵なお店へ ディナーに行ったときのこと。 その前に寄った場所に 夫が忘れ物をしてきたことに、 ソファに座る段になって気づいた。 貴重品だ。焦りまくる夫。 電話をしたら、 そこで預かってもらえてることが分かった。 「ちょっと今から取ってくる」 と、呆然とする私たちを置いて 夫はひとりタクシーに飛び乗り

          豊かさを放てる人。

          自分の機嫌、子どもの機嫌。

          夏休み後半。 どうにもモヤモヤしている、ここ数日。 なにか嫌なことがあったわけではない。 何かに苛まれてるというわけでもない。 いたって平和な日々。 だがなぜか心が晴れない。 イライラして、 何かが「足りない」と感じている。 これはいったい何だ? ノートに向かい、 「何にモヤモヤしている?」 と自問してみる。 しばらくして ”自分のペースで1日を過ごしたいのに 食事も 出かける用事も 時間も 全部全部、 子どもたち中心なのがキツイんじゃ!” と返ってきた。 なる

          自分の機嫌、子どもの機嫌。

          無我夢中な生活。

          無我夢中で何かをやってるときって 終わってみると とても幸せな、高揚した気分だ。 ただ目の前のものに没頭。 前後の時間などは忘れ去り、 今この瞬間だけに存在する。 「無我」だから、自分がいない。 考えてない。 それがたまらなくいい。 先日、夏休み唯一の予定であった 旅行に1泊2日で行ってきた。 2日目は子どもたちと 「ツリーアドベンチャー」 なるものをやってきた。 木と木の間につくられたアイテムを クリアしていき、最後は ジップラインで(ターザンみたいにロープで)

          無我夢中な生活。

          魂震わす夏にしたい。

          甲子園のような タイトルになってしまったが 今年は長女の方が何かと忙しく、 どこにもいかない 基本、在宅な夏休み。 それでもなんか夏らしいことしたいなあ、 とワクワクしている。 今年の春、久々に 長期でハワイに行った。 「どうだった?」 とよく聞かれたが、はっきり覚えていたのは ゆく先々で起こった笑えるできごとや 突然のトラブルであり、 「▲▲に行ってきた!最高!」 とか 「●●の××が美味しかった!」 とかいう次回、そこに行く方にとっての 参考になるような情報は

          魂震わす夏にしたい。

          当たり前なことなんてない。

          ギックリ腰になった。 転んで床に座ってしまった父が 立ち上がろうとするのを 横でサポートしようとして 「せーのっ」と力を入れたとき ゴキッ 聞き慣れない音が私の身体から響いた。 母は 「名誉の負傷だ」と慰めてくれたけど。 これじゃあ、 「何しに来たんだ、お前」状態だ。 高齢の両親の様子を見に、 単身で帰省していた先での出来事。 世話をするつもりが 世話をされてしまっとる。 戻るときはキャリーケースを 手で運ぶことができず、送ることにした。 近くのコンビニまで 8

          当たり前なことなんてない。

          空見上げて、心ときめかす。

          彩雲を見た。 運転中にサングラスをかけていると 彩られた雲を見ることがある。 とても綺麗だから 慌てて写真を撮ったりするけれど なかなか色までは映りこまない。 それが今回ははっきり肉眼で分かり、 しかも雲は大きく、 写真を撮っても綺麗に映った。 35度を超える猛暑の中、 スーパーの駐車場でジュージュー 焼かれている気分ではある。 が、それがどうでもよくなるほどに 美しい。 スーパーに出入りする多くの人の中、 ひとりうっとり空を見上げていた。 2番目の子どもの出産の

          空見上げて、心ときめかす。

          後ろの神様は楽しく話せているか?

          娘が反抗期である。 こちらが何か聞いても 「別にどっちでもいい」 とそっけない言葉で返ってくることは、 もはや日常。 「夏休み、 家族でどっか旅行しようよ!」 ワクワクしながら 旅行の提案をしたときも 「行きたくない」 仏頂面のままで、 こちらを見ようともしなかった。 なに?これ。 なんでこうなった? なんでこんな 冷めた感じになってんの? 母はツラい。とてもツラい。 どっかで育て方を間違った? なんて自分を疑いたくなるとき。 見るメモがある。 私は「優しく

          後ろの神様は楽しく話せているか?

          私はどの位置にいるべき?

          早朝から夫の愚痴である。 どうやら仕事が立て込んでるらしい。 「やってもやっても減らない」 と嘆き、 「そういうときに限ってトラブルが起きる」 と怒っている。 私は耳だけで聴きながら 急いで朝食の準備中。 正直に言えば、 朝からは聞きたくない話。 できるならば、 夫婦で楽しい話がしたい時間。 たださすがに言えない。 こういうとき、妻として どういうポジションにいるべきなの? と考える。 「いつもご苦労様」 という労わりポジション? 「大変だね、頑張って」 という

          私はどの位置にいるべき?

          私にとっての豊かさとは何か。

          ♪アンアンアン、とっても大好き どーらえーもん♪ 息子と習い事の帰り。 ふたり手をつないで駐車場までの 道のりを歩いていく。 「その歌、お母さんが小さい時に 見てた頃の歌だね。 YouTubeで見たの?」 「そうだよ」 にっこりと息子が笑う。 夕暮れの空は オレンジ色に染まり始めている。 帰り道を急ぐ大人たちと 早いスピードですれ違っていく。 いつもの街中の景色。 いつもの帰り道。 家に帰れば、 いつもの夕食の時間。 私は今、 ゆっくり歩きながら 温かくて小さな

          私にとっての豊かさとは何か。