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限界費用玉出しのガイドライン化についての備忘メモ

          戸田 直樹:U3イノベーションズ アドバイザー
      東京電力ホールディングス株式会社 経営技術戦略研究所

1.はじめに

経済産業省は2022年、旧一般電気事業者など大手電力会社への事実上の規制として2012年以降実施されてきた限界費用玉出し(余剰供給力全量を限界費用によりJEPXのスポット市場に投入すること)を、適正な電力取引についての指針(ガイドライン)に記載することを決めた。
 筆者は、過小投資対策である容量市場を導入しないまま限界費用玉出しが長らく継続されたことが、不採算化する電源の退出を招来し、昨今の電力不足の主要因であると考えていることから、今更これをガイドライン化することに反対であり、その旨のパブリックコメントを提出した。
筆者は、竹内(2023)による「これまで世界中で行われてきた電力システム改革の考え方自体が再考の時期にある」との指摘に賛同する者であり、限界費用玉出しは再考されるべき「古い改革」を象徴するものであると考えている。結果的に、筆者のパブリックコメントは採用されなかったが、電力システム改革を再考する際において、参考となる情報であるので、備忘のためにその経緯を以下に整理する。

2.「適正な電力取引についての指針」の該当部分(経済産業省(2022)の新旧対照表より引用)

③ スポット市場における売り札
スポット市場においては、シングルプライスオークション方式の下、市場支配力を行使することができる供給者(プライスメーカー)が存在しない状況を前提とすれば、市場支配力を有さない供給者(プライステイカー)にとっては余剰電力の全量(注1)を限界費用(注2)で市場供出することが利益及び約定機会を最大化する経済合理的な行動と考えられる。一方で、プライスメーカーが存在する場合、当該プライスメーカーが入札価格の引き上げ行為や売惜しみ行為により約定価格を上昇させるおそれがある。したがって、卸電力市場に対する信頼を確保する観点から、スポット市場において売り札を入れる事業者は、余剰電力の全量を限界費用に基づく価格で入札することが望ましい。このように行動している限りにおいて当該事業者は、下記イ③における「市場相場を変動させることを目的として市場相場に重大な影響をもたらす取引を実行すること又は実行しないこと」に該当しないものとする。
また、スポット市場において売り札を入れる事業者のうち、市場支配力を有する可能性の高い事業者(注3)においては、余剰電力の全量を限界費用に基づく価格で入札することが特に強く求められる。したがって、当該事業者がこれに反して、合理的な理由なく、限界費用に基づく価格よりも高い価格で市場に供出した場合や、余剰電力の全量を市場に供出しなかった場合においては、下記イ③における「市場相場を変動させることを目的として市場相場に重大な影響をもたらす取引を実行すること又は実行しないこと」に該当することが強く推認される一要素となる。
(注1)余剰電力の全量とは、スポット市場への入札時点において算定される各コマの自社供給力から、自社想定需要(自社小売需要と他社への相対契約に基づく供給量等の合計)・予備力・入札制約をそれぞれ差し引いた残りの供給力のことをいう。
(注2)限界費用とは、電力を1kWh 追加的に発電する際に必要となる費用をいい、燃料費等がこれに当たる。なお、限界費用における燃料費について、卸電力市場への入札によって燃料が消費されることで将来的な需要に対応するために追加的な燃料調達を行う必要が生じるときであって、当該価格・量での燃料の追加的な調達が合理的であると客観的に確認可能な場合には、燃料の追加的な調達費用を考慮し得る。また、限界費用の考え方について、燃料制約の発生時においては、非両立性の関係(スポット市場で約定すると他の機会では販売できないという関係)が成立することを前提とし、当該価格・量の妥当性が客観的に確認可能な場合には、将来における電力取引の価格を機会費用として考慮し得る。
(注3)市場支配力を有する可能性の高い事業者とは、地域間連系線のスポット市場入札時点における月別分断発生率が継続して高い連系線(具体的には、北海道本州間連系設備、東京中部間連系設備、及び、中国九州間連系線)により4区分した地理的範囲において、当該範囲における総発電容量に対して保有する発電容量(発電事業者との長期かつ固定的な相対契約により確保している発電容量を含む。)が20パーセントを超える、又は、当該範囲における主要な供給者(Pivotal Supplier:当該範囲の年間ピーク需要を満たすために当該供給者が保有する供給力が不可欠とされる供給者)と判定される電気事業者のことをいう。

3.筆者が提出したパブコメ(経済産業省(2022)の結果概要より引用、一部修正)

(意見内容)改定案P6 「③スポット市場における売り札」の「また」以下を削除すべき
(理由)
一部大手事業者が「余剰電力の全量を限界費用に基づく価格で入札すること(以下「限界費用玉出し」)」は、短期的には広域メリットオーダーを実現できるメリットがあるものの、中長期的には供給力への過小投資を招くものである(注4)。現に、限界費用玉出しにより、電力市場価格は固定費回収がほとんど期待できない水準が長期にわたって継続し、火力発電所の閉鎖が進んだことから、電力需給不安を招来している。
新規参入促進の文脈では、限界費用玉出しにより価格が低水準で推移するJEPX のスポット市場価格の恩恵を受けて、当該市場に大きく依存する新電力の参入を後押しした。しかし、これは2020 年秋ごろまでの凪(なぎ)のような市場が継続することを前提とした参入であり、このような参入は持続可能ではない。これら事業者に応分の責任を課すことを目的に整備された電気事業法第2条の12(供給能力確保義務)は、供給計画において調達先未定を許容してしまったことから、当初の立法意図を実現できていない(注5)。
政府の審議会において限界費用玉出しを強く主張した委員は、電力需給がタイトになれば電力市場価格が上昇することにより新規投資が促され、安定供給は確保されるとしていた。しかし、いざその局面になると、電気料金の上昇は政治的に許容されにくい実態が顕在化し、かつ2050年カーボンニュートラルという政府目標が打ち出されたことにより投資回収の先行きが一層不透明化したことから、経済学者が主張するような価格上昇による新規投資促進効果はもはや期待薄である。
以上のように、限界費用玉出しは過小投資の弊害に対するケアが不十分な中で実施されたことで、政策としては既に失敗していると言ってよく、今更ガイドライン化して継続することは、逆に「電気の使用者の利益の保護又は電気事業の健全な発達に支障が生じ(電気事業法第2条の17より抜粋)」るおそれが大きい。
過小投資を補う仕組みである容量市場は2024 年度より本格導入されるが、当面経過措置が課されることもあり、正常に機能するまでは一定の時間を要すると考えられる。限界費用玉出しによるメリットオーダー実現のメリットをことさら重視するにしても、限界費用玉出しはそれまで一旦停止するのが適切と考える。
なお、電気新聞2021年7 月13 日付第3面記事で、佐藤悦緒電力・ガス取引監視等委員会事務局長(当時)は、本件のガイドライン化の意向を明言するとともに 、「自主的取り組み限界費用玉出しのことは独占禁止法上の要請で、非対称規制には全く当たらない」「仮に監視委が規制しなかったとしても公正取引委員会がみる」と発言している。その結果、今回のガイドライン改定案が作成されたと理解するが、記事中の佐藤氏の発言は、大手事業者に限界費用玉出しを求める根拠は独占禁止法と言っているとしか自分には解釈できない。これは電力・ガス取引監視等委員会、公正取引委員会も含めた政府としての見解なのか。そうであるならば、限界費用玉出しと独占禁止法との関係をガイドラインに記載しないのは不誠実である。そうでないなら、明確に政府見解として佐藤氏発言を否定すべきである。自分には、およそ実社会では存在しえない完全競争市場におけるプライステイカーのようにふるまうことを、独禁法が要請しているとは考えられない。
また、ガイドライン改定案では、限界費用玉出しを要請する根拠を電気事業法に求めていると理解するが、過小投資対策(容量市場)が定着しないまま、持続可能でない限界費用玉出しを大手事業者に要請することが、「電気の使用者の利益の保護又は電気事業の健全な発達」に資するとも考えられず、むしろこれを行った弊害が種々顕在化しているのが、現在の状況と考える。つまり、自分には、電気事業法も限界費用玉出しの根拠たり得ないと思われ、そうした視点に立つと、佐藤氏の発言は、失敗した政策の責任を独禁法に押し付けようとしているように見える、というのが、率直な感想である。
(注4)過小投資を招く理由は戸田(2021)を参照。
(注5)電気事業法第 2 条の 12 の規定は次の通り。『小売電気事業者は、正当な理由がある場合を除き、その小売供給の相手方の電気の需要に応ずるために必要な供給能力を確保しなければならない。』
「2020 年度版電気事業法の解説(経済産業省、2021)」には『小売電気事業者が実需給断面において供給能力確保義務に対応するためには、通常想定される需要に対応する供給能力に加え、需要の上振れ等の可能性に対応するための一定の供給予備力を確保することが求められる』(P107)とあるが、現実はこの立法意図に反し、供給能力の相当部分を需給直前のスポット市場に依存し、供給予備力は確保されない形の参入が許容されている。

4.3.の意見に対する経済産業省の考え方(経済産業省(2022)の結果概要より引用)

スポット市場において、価格支配力を行使する者(プライスメーカー)が存在しない状況を前提とすれば、供給者(プライステイカー)にとっては、限界費用で余剰電力を全量市場供出することが、シングルプライスオークション制度の下で、利益及び約定機会を最大化する経済合理的な行動と考えられます。
供給者が余剰電力の全量を限界費用ベースで市場に供出している場合は、プライステイカーとしての経済合理的な行動を取っていることから、市場相場を変動させる目的を有しておらず、市場相場に重大な影響をもたらす取引を行っていないと考えられるため、相場操縦行為には該当しないとみなしてよい(セーフハーバー)、と従前から整理されてきたところです。
今般の改正は、こうした相場操縦に係る規制の考え方をガイドラインに明記するものであり、電力の適正な取引を確保する観点から必要なものと考えています。
一方で、御指摘の電源投資に関しては、電力の安定供給を確保する観点から重要な論点と認識しており、今後の制度検討の参考とさせていただきます。
なお、余剰電力全量の限界費用ベースでの供出は、上記の通り、相場操縦に係る規制の明確化のために明文化するものであり、電力の適正な取引を確保するという電気事業法の趣旨に基づくもので、独占禁止法上の要請ではありません。

5.4.の経済産業省の考え方に対する筆者の所感(本稿にて書下ろし)

パブコメに対する応答を通じて、「限界費用玉出しの根拠は独禁法ではなく、電気事業法である」ということが、経済産業省の公式見解であることがクリアになったのは収穫であった。
もっとも、パブコメでも指摘しているとおり、筆者は電気事業法を限界費用玉出しの根拠とするのも無理があると考えており、それは、応答を拝見しても変わらなかった。ガイドラインに「市場支配力を有する可能性の高い事業者においては、余剰電力の全量を限界費用に基づく価格で入札することが特に強く求められる」との記載があるが、これはつまりは「大手電力は完全競争市場におけるプライステイカーのようにふるまうことが特に強く求められる」ということである。競争促進に特化した独禁法でも、およそ実社会では存在しえない完全競争市場を前提としてふるまうことなど求めていない。電気事業法の趣旨は「電気の使用者の利益の保護又は電気事業の健全な発達」と、より一般的、あるいはより曖昧である。これを限界費用玉出しの根拠とするのは相当に無理があると、筆者には思える。

参考文献

経済産業省(2021)『2020 年度版電気事業法の解説
経済産業省(2022)『「適正な電力取引についての指針(改定案)」に対する意見公募手続の結果について
竹内純子(2023)『電力システム改革、残された課題(下) 長期電源計画、国関与強化を』経済教室、2023年5月26日付日本経済新聞
戸田直樹(2021)『容量市場/Energy Only Market と信頼度基準について()』