山中貞雄監督「河内山宗俊」雑感
11月×日
テアトル新宿で「河内山宗俊」(山中貞雄監督)
戦前の邦画の特集上映があって、どれも見たかったのだが結局これしか見ることができなかったのは残念。
山中貞雄(1909~1938)
28歳で死ぬまでに26本の映画を撮ったが、フィルムが現存しているのは3本のみ。
「丹下左膳 百萬両の壺」
「河内山宗俊」
「人情紙風船」
の3本。
3本ともかなり昔に観たことがあるのだが、どこで観たのか思い出せない。
大井武蔵野館だったかなー。
30年ぶりくらいに観た「河内山宗俊」について、感想というか雑感をいくつか。
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「河内山宗俊」は1936年の作品。
痛快コメディ「丹下左膳余話 百萬両の壺」(1935)
名作の誉れ高い「人情紙風船」(1937)
の2作にはさまれて、なんとなく3番手評価、みたいな感じがあるがこれはこれで素晴らしい出来。
用心棒家業の男と悪坊主の河内山宗俊。
世の中の汚い部分にまみれて生きてきた二人の男が、純真な一人の少女のために命を懸ける、って感じの話である。
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映画の中盤に雪が降るシーンがあるのだが、このシーンについて30年くらい前、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった映画評論家の蓮實重彦が、
「映画史上最も美しい雪のシーン」
なんて口走ったものだから、こっちも感化されて最初に観た時は、
「こ・・・これがそのシーンか!」
などと感激したものである。
当時の蓮實重彦の無双ぶりというのは今からは想像もつかないほどのもので、彼の癖のある文体や言い回しをまねて映画について語る人間が大量に発生し、さすがにそれは「恥かしいなあ・・・」と思って見ていたのだけれど、そうは言っても自分もやっぱり見る映画の選び方とか、映画の見方に影響を受けたことは間違いない。
それから30年以上経って、あらためてその雪のシーンを見て、たしかに良いシーンだと思ったけれども、何の前情報もなくこのシーンを「発見」したかったな、という気も。
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その雪のシーンで印象的な原節子・・・原節子という女優はちょっと苦手で・・・単純に顔立ちがあんまり好みでない、というごく個人的な趣味の問題なのだが・・・「河内山宗俊」の原節子(当時15歳か16歳)は、たしかに非常に可憐ではあった。
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「七人の侍」などで知られる加東大介も出ている。
「七人の侍」の時は四十代だが、「河内山宗俊」のころは二十代中盤。
しかし、もうこの頃から加東大介は加東大介だなあ、と嬉しくなった。
どの映画に出ていても加東大介は加東大介だ・・・どの映画に出てどんな役を演じても○○でしかない、と言われる俳優はみな名優である。
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奥行きのある画面作りが印象的。
両側に家の建っている狭い路地がずっと、画面の奥まで続いていて誰かが向うに歩いて去って行くようなシーン。
あるいは室内でも、キャメラは一番手前の間から撮っていて、次の間に誰かが座っていて、さらにその奥が土間になっていて、その土間の突き当りの戸は路地に面していてそこから誰かが入って来るとか。
最近の映画ではあんまりああいう奥行きのある画は見ない気がする。
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山中貞雄の残された3作がすべて傑作なのは、山中貞雄の天才を証明するものだが、28歳で亡くなるまでに26本の映画を撮ったということは、当時の日本映画界の活力を証明しているのだろう。
当時二十代かそこらの若い人達が集まってワイワイと何かを作って、それが時代の最先端であるだけでなく、こうやって八十年九十年経った後でも鮮烈な印象を残す、というのは本当に素晴らしく、また羨ましい。
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最初に観た時にラストシーンで、
「え、そこで終わるのか!」
と驚いた。
本来ならそこから最後の盛り上がりがある、というところでぶった切ったように終わってしまうのだ。
今回は二回目だから驚きはしなかったが、やはり斬新だと思った。
最後まで描かない、とは言ってもいわゆる「観客の解釈にゆだねる」みたいな終わり方ではなく、本当に描きたいものはもう描いたからこれでいいでしょ、という感じ。
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この映画、もともとの上映時間は87分で、フィルムの欠損があり現在残っているものは82分だという。
それほど単純なストーリーではなく、登場人物もけっこう多く、笑いあり涙あり、色々盛りだくさんで87分。
これを今リメイクしたら2時間30分は越えるんじゃないかと思う。
最近の映画はどうしてああ無駄に長いのだろう。
この映画とは全く関係がないのだが、先日、萩尾望都のSFマンガ「スターレッド」を再読した。
コミック3巻分の長さで描かれるストーリーの、スケールの壮大さにあらためて驚かされた。
今のマンガだったら30巻くらいになるんじゃないか、などと思った。
もちろん短ければいい、というわけではないだろう。
登場人物の心情をじっくり時間をかけて描くことの良さ、みたいなものもあるかもしれない。
手塚治虫の「地上最大のロボット」よりも浦沢直樹の「PLUTO」の方が面白い、かもしれない。
ただ、
このくらいの物語は87分で語ることができる、
このくらいのスケールの話はコミックス3巻で語ることができる、
ということを知っておく、というのは意味のない事ではないと思う。
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1937年に召集され中国へ出征した山中貞雄は、翌1938年に中国で戦病死する。
戦地で「従軍記」として書き留めていたノートの最後に書かれていたという山中貞雄の言葉、
陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置く事なし
そして映画に関して、
「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。
という言葉はやはりちょっと胸に迫るものがある。
親交が有ったという小津安二郎より6歳年下の山中貞雄がもし生きていたら、戦後どんな映画を撮っただろうか。
小津が「東京物語」を撮った1953年、山中貞雄が生きていればまだ44歳である。
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