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はじめのいっぽ


noteを始めてみます。

ここでは、役者/ダンサーなど何かをしている小野村優ではなく、ただの【小野村さん】として、文を書いていこうと思います。

自分ではそんなつもりはなかったのですが、気づけば割と愉快な人生を歩んできたみたいです。

本人は、ことあるごとに、思い悩んだり、泣き喚いたり、鬱々としたり、爆笑したりしながら、皆さまと同じように至って普通に過ごしてきたつもりなのですが。

昔こんなことがあってさぁ!とか、私はこういう風に思うんだけどさぁ!などと話すと、

………え?!

と、良くも悪くも人様の心に何かしらの滴を落としているような気がしてきました。

新たに何かを身に付けなくても、私は私の人生を切り売りしたらいいんじゃないかと。(言い方)

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1か月、時間を頂いたのです。
あらゆるお仕事をお休みして。

実はここ数年、色々と不調を抱えながらも、誰だってそういうもんだろうと自力であれこれ対策しながら突っ走っていたのですが、今年になっていよいよ心にも身体にも日常生活に支障が出るほどの症状が出てしまいました。

こりゃあかん、と、勇気を出して一度立ち止まることを決めました。

この件に関しては、本当にたくさんの方にご理解やお気遣い、お力添えをいただいていて、人の優しさ、寛容さに、度肝を抜かれている私です。

世界は愛に溢れている。
そこから目を背けているのは私である。
でも背けたい理由があるのだ。
それはなぜ?

ということを知る旅にでも出発したのかもしれません。

そんなわけで少々お暇を頂きまして、故郷の茨城県に帰ることにしました。

とことん何もせず過ごそうと思っていたのですが、ある日、大好きで信頼する役者の先輩から、このnoteを勧めていただきました。

文を書く。

昔から好きだったし、学校の作文ではしょっちゅう表彰されたし、あれ、そっか、私は文が書けるんだ。

やってみたい。

そう思った途端、アイディアがどんどん浮かんできて、久しぶりに未来を思ってわくわくしました。

あぁ、そのために時間を頂いたのか!とさえ思いました。

どこに行き着くのかもわかりませんが、せっかく出てきてくれたこの意欲のままに、書きたいことを書きたいだけ、とにかく自由にやってみます。

そうして、初めて投稿するつもりのこの文章もすっかり準備し終わった頃、私にとって一生の憧れ、と言ってもそんな風にはとても生きられないよ!と最初からお手上げな存在である祖母・堀越靖子が亡くなりました。

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6/4(金)の22時に飛行機で茨城に到着して、その翌朝6/5(土)の6時過ぎには呼吸停止の連絡を受け、病院に駆けつけました。

病院に到着した時には、まだおばあちゃんは全身あたたかかくて。

あの時この手で感じたおばあちゃんのあたたかさを、絶対に忘れない。

さて、このおばあちゃんが先述の通りとんでもなく素晴らしい女性でして!

京都生まれ、神戸・朝鮮育ち、戦争で茨城に疎開してから、教員になり、祖父と結婚、娘を2人育てながらも教職の道を全うし、私含む4人の孫たちのことも大変かわいがってくれ、定年後は数々のボランティア活動に勤しみ、いくつもの会のリーダーを務めながら、主に女性の活動の場を広げ続け、賞も様々戴いていたけれど、文部科学大臣賞なんてどうやって生きたら戴けるんだと。堀越靖子先生を囲む会なんてどうやったら村の会館で盛大に催していただけるんだと。

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ここには書ききれないというか、私の【note始めます。】よりも明らかにインパクトが強すぎてのっとられかけているので、おばあちゃんのことはまた別の記事でご紹介させてください。

そのおばあちゃんと言ったら、幼かった私がいつも見ていたのが、“書き物”をしている光景で。

今思えば、リーダーを務めていた様々な会の会報に載せる文章や、書いて欲しいと頼まれるものが多かったのだと思いますが、とにかくおばあちゃんと言ったら“書き物”なのです。

おばあちゃんの隔世遺伝ばりばりの私は、びっくりするくらいいろんなものをもらっていて、手と爪の形とか、英語とか、これもぜひまたいつか書こうと思うのだけど、それ以外にも無意識のうちにいくつも同じ道を進んでいたりして。

その中でまだしていなかったことが、文を書く、ということでした。

あぁ、もう、とことん、おばあちゃんに導かれているなと。

そんなおばあちゃんの通夜・告別式を終え、無事雲ひとつない青空に見送った翌日の今日6/9(水)、noteを開設しました!

ゆくゆくは、有料記事も利用して、だいぶプライベートなことや本音なども書いていくつもりです。

いえいえ、無料記事もまぎれもない私なんですが。

ただ、有料記事は、子供の頃に突然親から「今日から自分のことを“優ちゃん”と呼んではいけません。“私”と呼びなさい。」と言いつけられたあの時から、私の中で体育座りで拗ねていた【優ちゃん】が、満を辞して登場!という感じでしょうか。

読みたいな、と思ってくださった方にだけ届いてくれたらそれでいい、ちょっと弱気で、すごく大事な文章を、有料記事にできたらなと思っています。

などとも思いつつ、この【小野村さん】の人生を、感性を、どこかのどなたかに1人でも面白がっていただけたなら嬉しいです。

私にとっての大切な第一歩を読んでくださった方、ありがとうございます。

ヘッダーの写真は、そんな大好きなおばあちゃんちへと続くまっすぐな道です。

ここから、また、はじめのいっぽを。

最後までお読みいただきありがとうございます!サポートしていただけた分は、【小野村さんの書き物】がより豊かに、面白くなるよう、大切に遣わせていただきます*