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幼い頃のあだ名は「だらちゃん」ー僕がウェルビーイングxDAOコミュニティに希望を抱く理由。

「ほら、だらだらしてないで、早く、ご飯食べなさい。」
「もう何時だと思ってるの、だらだらしないで、早く服を着替えて!」

僕は、幼稚園から小学校中学年くらいまで、母親から「だらちゃん」と呼ばれていました。

別のストーリーがあります。
お琴の先生をやっていた母は、産後3ヶ月もしたらお稽古を開始したそうですが、僕は静かに座っているか、寝ていて、全く稽古の邪魔になった記憶がないそうです。

3歳になった頃
おばあちゃんは、茶道の教室やお出たけする時にも、まったく騒いだりすることなく、大人しかったそうです。

僕は、小さい頃から泣かないし、騒がないし、どこに連れていっても、手がかからない「おりこうさん」だったというのが今でも両親の自慢です(笑)

幼稚園では
誰よりも昼食を食べるのが遅かったようで、母は、小学校に上がるときに給食をちゃんと食べられるかとても心配していたそうです。

小学校に上がると
びっくりすることに、僕は誰よりも早く給食を食べるようになったそうです。低学年の時は、いつもふざけていて、人の話を全然聞かずに、あるがままに過ごしていました。
通信簿に毎年、「人の話を聞かない」「落ち着きがない」と書かれ続けたので、高学年になってくると「今年こそ、まじめになる」と自分に言い聞かせていたことを覚えています。
先生から「自覚が大事」、と口を酸っぱく言われていたのも覚えています。

中学に入ると
自分で進んで、進学校に入りました。環境をガラリと変えて、いよいよ「本当にまじめになる。俺は勉強しかしない。いい人間になることだけを追求する」と強く決意しました。

今思えば、これがあまりにも強い覚悟で、不自然なことだったので、僕は自然に笑うことができなくなりました。友達との関係性もうまく築けなくなったり、本当の自分と切り離されてしまい、自分が何者かがわからなくなっていきました。「アイデンティティ不在」に陥っていたのだと思います。
しかし、全ては大学にさえ受かってしまえば夢の生活が待っている、それだけを目標に過ごしていました。

大学に入ると
夢の建築学科に入学。遊ぶことなく勉強とスポーツしかしてこなかった僕は、なんとか勉強はできるようになったかもしれませんが、芸術の面では全く経験も才能もなく、優秀な同期たちの中で劣等感に見舞われました。でも、そんな新しい環境に対しても、適応すべく、世界中をバックパックしてまわったりして感性を磨きました。

社会人になると
今度は外資系コンサルティング会社。当時、花形とされる会社に入ることができたのでようやく自信も少しつきました。そこで、いよいよ僕は自己肯定感マックスで、幸せになれるはずだと思ったものの・・・そうでもなかったのです。(詳細は、10万アクセスあった「僕がアクセンチュアをやめた理由」をご参照ください。)
やはりこの新しい環境で、僕は恐るべき適応力を見せ、一生懸命スキルアップし、出世して成果を出し続けました。
しかし、肝心の心が満たされるどころか、30歳前後でいよいよ内面的な限界を迎えたわけです。

こうして振り返ってみると、恐ろしく環境に順応する「適応能力」が高かったのだと思います。このことは、これまでの社会にとって、社会人として立派なことであり、優秀であることを示していたし、生命にとってもダーウイン進化論を信じる社会では、僕だけでなく誰もが良いことであるという信念が社会的にあったのだと思います。

それでも幸せになれなかったのです。
それはなぜか。

環境に適応すればするほど、無意識のなかで起きていたことは
・今はちゃんとできてる。でも、「本当の自分は、だらだらした自分なんだけど」
・今は、まじめにやってる。でも、「本当の自分は、ふざけているんだけど」
・今は、なんとかスキルを身につけて結果を出してる。でも、「本当の自分は、弱い人間だから、いつかそれが暴かれてしまうだろう」
・今は、できてるから評価されてるからこの場所に居られる。でも、「いつか、できなくなってしまった時には、ここにいられなくなるだろう」
・これだけ成長したけど、「本当の生身の自分は、弱くて脆い人間であって、何も変わってないのに・・・」

こうして、環境に適応すればするほど、鎧を身につければつけるほど、本来の自分、生身の自分への不安、それがいつかバレてしまった時に、自分が無価値になって、捨てられてしまうのではないか、という不安や恐怖を強め、「本当は・・できない自分、弱い自分、ダメな自分」という信念をますます強めてしまっていたのです。

じゃあ、この問題はどうしたら解決できるのか?
まるでわからなかった僕は、友達(今となってはHuman Potential Labを共に運営する大切なパートナーのゆり菩薩)に進められて、ネイティブアメリカンの伝統的な子宮回帰のセレモニー「スウェットロッジ」を体験しに行きました。

子宮回帰、死と再生の儀式「スウェットロッジ・セレモニー

120度にもなるとんでもなく暑いサウナに3時間から5時間(外気浴も水風呂も無し!)閉じこもって、皆で祈る儀式です。思考を強制的にシャットアウトして、瞑想状態(変性意識状態)をつくりだし、抑圧してきた感情をデトックスし、無意識下にあった深い痛みや本当の願い・ビジョンを捉え、意識を書き換えることができます。

この時に気づいたことは、今までの人生の生存戦略パターンをつくりだした初めての経験ーつまりそれは僕の生まれ方から始まっているということでした。

僕は、帝王切開で生まれました。このことが自分のトラウマになっているなんて考えたこともありませんでした。

予定日から数週間たっても一向に出てくる気配がなかったのだそうです。
今考えると、おそらく子宮の中で、安心しきっていて、気持ち良すぎて、出てこなかったんだと思います。

そう、僕の本質は、できる自分でも、まじめな自分でもなく「だらちゃん」そのものだったのです。

そして、そこから急にこの世の中に強制的に出されることになって、この世界ではだらだらしていてはいけない、一生懸命適応しなきゃ、と生きてきたんだと思います。

しかも、生命にとって、一番初めの自律的な行動、通過儀礼、それは自分の意志で、とんでもない重圧がかかる産道を通過して出て行こうとする、誰もが経験するその経験を僕はしていないという絶望。自分は他の人よりも自律できてない、挑戦してない人間だという信念となり、その信念を克服するために、自律しなきゃ、挑戦しなきゃ、誰よりも苦労しないといけない、と思い続けてきたのだと思えたのです。

僕は、スウェットロッジの中で、時間にしたらほんの0.5秒くらいの間に、このような気づきと今までの人生が走馬灯のようにつながって回想され、号泣し、涙が止まりませんでした。

この経験から、僕は人の内的成長と潜在能力を高めるためのリテラシー教育を提供するHuman Potential Labを立ち上げるに至りました。

それから3年ほど経ち、今もなお自分の強いBeliefを手放せているかというとまだまだあると思います。

でも、確実にわかってきたことは、今僕は何を実現したいと思って動いているか。それは、厳しい環境の中で苦労したり頑張ったりすることも大事だけど、一番大切なものは「お母さんのお腹の中のように、安心・安全な場」をつくり、そこに居られる場をつくることだと。

お前は弱い、お前は間違ってる、お前はダメだと評価されることなく、お前は変わるべきだと言われることもなく、今のまんまで、ありのままでいいんだ、何もしなくても許されるんだ、それで十分満たされているんだ、そんな価値観が許される場や社会を誰よりもつくりたいんだと。

今までの社会では、このような考え方やあり方は否定されてきました。ちゃんとしないといけない、変わらなければいけない、人に迷惑をかけちゃいけない、と。

確かに、僕がそうであったように、「適応能力」を身につけ、その環境に順応することで、パフォーマンスを上げることができます。環境が安定的な時代に適した生存戦略だったのでしょう。

でも、本当の自分のポテンシャルを最大限に発揮して、本来の自分と自己一致した強さ、源とつながった強さ、自分にしかない個性や天命に気づき、それに裏打ちされたパフォーマンス、自由と創造性をフルに発揮するには全く足りない。
ましてや、このような混沌として変化の激しい社会の中で、「今、すなわち過去」の環境に順応、適応することがどれだけリスキーなことかは計り知れません。

世界の中で最も創造的な営みとは何か?それは、おそらく生命の創造でしょう。その生命誕生プロセスから学べば、今の社会に必要な環境とは何か?は明らかではないでしょうか。

生命は、それだけで美しくかけがえのないものであり、いかなる命も評価されず、全ては完璧で、安心安全な場であるお母さんの子宮という環境で創造され、そこから生み出されていきます。
このことには、どんな例外もありません。
そのような環境があるからこそ、途轍もないチャレンジをする覚悟を持って、人はこの世に創造されてくるのです。

逆説的ですが、この世で最もクリエイティブにパフォーマンス高く生きていくためには、その真逆の、最もだらだらできる環境が不可欠だということではないでしょうか。

だから、僕自身のためにも、僕のような悩みを抱えてきたみんなのために、子宮のような場、スウェットロッジのような世界をつくりたい。

そのような思いを具現化したものが、ウェルビーイング社会を共創するコミュニティ(DAO) Wisdom Commons Labです。

現在300名。僕の願いは、一人でもいい。でも、10人で入るスウェットロッジはもっといい。ならば、1,000人でそのような世界がつくれたら?

分散型自律組織(DAO)が個の時代への大転換の鍵になる

これは、悠一少年が描く、途方もない夢ですが、僕はそんな夢が叶ったら・・・と思うと最高にワクワクするし、感無量です。

古代からの伝統的な叡智を、テクノロジーの力で民主化する。
個人のウェルビーイングーありのままで生きる人が、分散してできるコミュニティ(DAO)の発展からウェルビーイングな社会を共創する。

ぜひ、1,000人で子宮回帰しませんか?
グレートターニングが社会にもたらされるなら、それはひとりひとりの生まれ変わりから起こるのだと思います。
そして、みんなが深い深いところでつながりあえる新たな、地球家族へ。
そんなことを実現したいみなさんをお待ちしています。

ウェルビーイングな社会を共創するコミュニティ(DAO)
Wisdom Commons Lab 新規メンバーシップ募集、説明会実施中!(12月末まで)

だらちゃん
ゆういち より

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