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「祖父」と「父」という存在

▼はじめに

こんにちは、ユーイチロー(U1)です。
本日、2020年6月21日(日)は「父の日」ですね。

6月はボクにとって特別な月です。

6月6日(土)は祖父の3周忌の法要をリモート参加。
正直、祖父が亡くなってその3年も経っていることに時の早さを感じております。

↓リモート法要の様子です↓

6月7日(日)は父親の56回目の誕生日でした。
まともに父親の誕生日を祝ったのは僕が小学生まででそれ以降というもののまともに祝えていません。

そんな中、自分にとって祖父や父親がどんな存在かを考えるタイミングが働き出してから考える機会があったのでここで話そうと思います。

↓以前投稿した祖父の話↓

▼「祖父」という人間

祖父は良き相談相手であり、
誰よりも僕の将来を気にかけていた存在。

僕の実家は自営業のため両親が共働きで、
小さい頃から祖父母と関わる時間が長かった。

学校から帰宅すると、公園で近所の友達と日が暮れるまで野球をして、
夕方になると祖父母の部屋にある大きなテレビで祖父と一緒に相撲を観る。
寝るのも自分の部屋にベッドがあるのも関わらず、祖父の布団で寝ていることが日常茶飯事な日々でした。

祖父とは、性格が似ていることもあり、話し続けなくて黙ってテレビを観ているだけでも居心地の良い存在でした。

たまにボクが口を開けたと思えば、祖父がいつの間にか寝ていることも多く(逆も然り)、良い意味で気を遣わないで自分というものを誰よりも出せれていた存在でした。

ボクが中学、高校に上がり、
帰宅時間も部活や塾で遅くなり、
小学校に比べて一緒にいる時間は減っていきました。

それと同時に、思春期ということもあり、両親とはあまり口を聞かない時期がありましたが、唯一話していたのが祖父でした。

祖父は口うるさく何も言わないという性格ということもありますが、
最近思っていることをたらたらと話すボクの話を嫌な顔をひとつもせずに聞いて受け入れてくれました。

そんなボクを受け止めてくれる祖父ですが、
一度だけボクの意見を否定した事がありました。

それはボクの大学進学で、広島で夜間学生になる事でした。

ボクの知らないところで、
祖父は母に広島に行かせる事が納得できず、
「そこまでして遠くの大学行く意味あるのか」と言っていたそうです。

今思うと、祖父の気持ちが少し理解できる部分もありますが、
その当時、ボクは祖父に否定されるとは思っていなく、
それを聞いたときは正直驚きが隠せませんでした。

結局ボクは広島に行くことを決心し、大学4年間広島にいました。

ただ、ボクが広島に行ってから祖父は体調を崩しがちになり、
結局死に目にも会えずにお別れしました。

今思うのは、
祖父はボクと離れることがどこか寂しく、
帰ってこないのではないかという心配があり、
ずっと否定していただろう
と思います。

誰よりもボクの広島行きを反対していたけど、
誰よりもボクの広島での大学生活を
心配で気に留めてくれている存在だったことは間違いありません。

▼「父」という人間

父は、性格が真逆で嫌っていた存在。
ただ誰よりもボクの葛藤や苦しみを知っている存在。

ボクは父親とはずっと反りが合わないとずっと思っていた。
四六時中、誰かと話しており、お喋りな人で笑い声がうるさくて、そんな父を嫌に思うことが多かった。

また、小さい頃から、何か始めようとやりたいと思うと
絶対に父に否定されるという考えが植え付けられていたこともあり、
父には全然心を開かない子供でした。

また、自営業と学校のPTA会長なども務めていたこともあり、
学校に父の姿を観ることが多く、
先生や同級生からも
「お父さんさっき学校にいたよ。お前も将来は実家継ぐんやろ。」
と言われることが多かった。

この言葉を言われる度に
「なんでボクの人生はもう決まっているの?」と思うこともあり、
知らないうちに父の存在や仕事に対して嫌悪感を抱いていました。

そんな関係性ということもあり、
ボクは父とは家でも全く口を聞かず、自営業の手伝いも嫌々行い、
度々父に怒られていた記憶がある。

中学、高校へと年齢が上がるにつれ、
父といる時間を無意識に避けるようになり、
いつしか1日の中で全く会話しない日が続きました。

父とのすれ違いな関係を続けている中で、
ボクにとって父の見方が変わる大きなタイミングありました

大学進学で悩み、
受験生の時期は毎晩両親と夜遅くまで話し合うことが多かった。
センター試験も上手くいかず、
やけくそになりかけていた時にふと父が自分の過去の話をした。

父も昔ボクと同じく受験で苦い体験をし、自分の望んでいた学校に行けず、
東京のコンピュータの専門学校に行った。

野球のビール売りや警備員などのアルバイトをいくつも掛け持ちしながら、
お金をやりくりし、パソコンや電気機器の勉強をし、大手の電機メーカーに就職。

就職する際も、実家の自営業をしていることで
上司や仲間から色々と言われたが、
「負けたくない。見返してやる」という気持ちで這い上がって行った。

働き出して5年近く経った頃、祖父(父の父)が体調を崩し、
自営業の方が苦しくなった時期に、親戚や周りの大人たちから
「長男(父)が帰って来て、自営業を継がないといけないでしょ。」
強く周りから地元に戻るように圧を掛けられた。

父の本心としてはちょうど仕事で結果が出てきて、
自分の力を会社や社会に見せていくと意気込んでいたタイミングでもあり、
正直戻りたくなかった。

ただ、このタイミングで戻らなかった時に
家族や周りに迷惑をかけたくないという「責任感の強さ」
結局実家に戻り、自営業を継ぐことを決意した。

同時に、父の中で
「もし、自分が子供ができた時に、同じ苦しみをして欲しくないから
子供たちには自由になんでも挑戦できるようにさせたい。
」と決心。

この父親の過去を聞いて、
ボクは自分が歩んできた道を
父も同じ境遇で歩んできた
ことを知り、胸がじーんと熱くなった。

ボクの知らなかったところで父親が
どんな思いでボクと接してくれていたか
どんな思いでボクのやりたいと思ったことを
叶えさせる努力をしてきたかを知った。

この頃から父に対しての
嫌悪感から偉大さへと変化していった。

▼最後に

今回は、「祖父」と「父」の存在について書いてみました。
本人たちに面と向かって、伝えるのが
こっぱずかしいこともありnoteで想いを伝えました。

ボク自身2人の歩んできた人生についてもっと知りたいと感じた反面、
知れば知るほど2人の存在がボクの今の人生観や思想に影響を与えている2人だということも改めて気づかされました。

読んでいただいている皆さんも、
是非自分の家族のルーツや過去を紐解いて
自分にとってどんな存在か考えてても楽しいと思います。

最後にボクが好きな番組の1つ「ファミリーヒストリー」を共有します。

↓Twitterやってます↓


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