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映画『アダプション/ある母と娘の記録』

メーサーロシュ・マールタ『アダプション/ある母と娘の記録』(1975、ハンガリー、88分)
英題:Adoption/原題:Örökbefogadás



家族の在り方は多種多様であっていい。
社会の中で選択肢が狭められているのは、いつだって女性の側だ。
顔のクロースアップを中心にした演出で、人物たちのわずかな機微をも映し取っていく。


主人公カタは工場に勤めている。
家具か何かだろうか、木製の部品を紙やすりにかけ、木屑まみれになっている。

まだ43歳だが、夫とは早くに死に別れ、子どももいない。
数年前に母も亡くなり、遺された家に一人で暮らしている。

相手は妻子ある男性と知りつつ、長く不倫関係を続けている。
その彼に、自分一人で育てるから子どもが欲しいと訴えるが、現実的ではないと諭される。

そんなある日、近くにある寄宿学校の生徒アンナが通りかかり、空いている部屋を恋人と会うときに使わせてほしいと頼み込まれる。
寄宿学校とはいえ、育児放棄や虐待を受けていた生徒もいるらしく、実態としては児童養護施設に近いようだ。
アンナも6歳のときに両親に捨てられたという。

最初は断ったものの、気にかけているうちに、カタとアンナはお互い抱えている痛みが想像できるのか、打ち解けていく。
その関係性は、母と娘のようでもあり、親友同士のようでもある。

いま交際している人と結婚して、新しい人生を始めたいと望むアンナ。
カタは親身になり、障壁となっている事態を乗り越えるため自ら協力する。

アンナと出会うことで、カタはアダプション=養子縁組について真剣に検討するようになる。
それこそ最初は、アンナを養子として迎え入れようとも考えていた。


必ずしも、すっきりときれいに終わらせることなく、含みを持たせた描き方に成熟度の深さを感じた。
まだ若すぎるようにも思える新婚夫婦も先行きが危ぶまれるし、1歳ぐらいだろうか、赤ん坊を養子として引き取ったカタの将来もきっと苦労があることだろう。

でも、誰にとっても人生とはそういうものだから。

実の父親と母親がいて子どもは一人か二人で、という「典型的」な構成以外にも、様々なカタチの家族があり得るはず。
2024年の日本でも、ようやくその転換期に差しかかっているのだろう。
家族は血が繋がっていなければならないと思い込むから、その人間関係がひどく悪化してしまったとき、どうにもならなくなる。
他の選択肢がないように見える状況だからこそ「親ガチャ」という言葉も流通するのだろう。
気の通じ合う者同士で緩やかに繋がり、「擬似家族」として社会で生き抜くことはできないだろうか。

働きたい気持ちはあっても、夫の意向で家庭内に閉じ込められ、家事に従事する女性も出てくる。
寄宿学校の特に女性たちは、そこから抜け出す方法が限られているように思える。
主人公カタも、社会的に見ればただの不倫でしかないのかもしれない。しかし孤独な未亡人であるカタの立場からすれば、それは純粋な恋愛感情であり、自分の子どもを産みたいという気持ちそのものは何ら否定されるものではないとも言える。

融通の効かない、特定の力ある男性たちにとってだけ都合の良い「型」に押し込められ苦しむのは、女性たち全員はもちろんのこと、それに馴染むことすらできない弱い男たちにとっても重圧となる。

近すぎるぐらい寄っていくカメラが映す、素の表情としか思えない人々の顔もまた美しい。



2023年5月の特集上映で日本初公開だったようです。
配信で観ました。



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