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映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』

過去のブログ投稿分から、こちらのnoteへ引っ越し。
配信で観た映画の感想です。




『わたしは、ダニエル・ブレイク』
“I, Daniel Blake”
(2016、イギリス/フランス/ベルギー、100分)


ある意味で救いがないような物語で、フィクションでよかった。いや、こういう話こそフィクションにしなければならないとも思った。

主人公のダニエル・ブレイクは大工として40年勤めてきたが、心臓を悪くし医者から仕事を休むよう言い渡される。その間、傷病手当を受けようとするが、体は動かせるので受給条件からは外されてしまう。仕方なく今度は失業手当をもらおうとするも、働けるわけではないので求職活動をしても結局は就業はできない。先方にとっても無駄足に終わる行動に、実直な彼は苛まれることになる。

社会的制度の狭間に落っこちてしまい、必要な支援を受けることができず、じりじりと追い詰められていく。
この辺りのいかにも官僚的な役所仕事を見るにつけ、若くして失業と貧困に苦しむ隣人の「あいつらは最初から助ける気なんかない」と吐き捨てる台詞が悲しいかな的を得ていると認めざるを得ない。
この国でも「不正受給」と煽り立て、本来受けられるはずの援助をしぶる冷酷な対応があったことが頭をよぎる。

その公的機関所で、同じように壁に立ち塞がれ困惑する若いシングルマザーを思わず擁護したことから知り合いとなり、少しずつ助け合っていくようになる。
手を取り合い現実に立ち向かう姿に、かすかな希望を感じなくもないが、それほど美しい話をまとめているわけではない。

今回、ケン・ローチ監督作品は初めて観たが、映画としての完成度より、今訴えたいことを描き警告する、警鐘を鳴らす方を優先したように感じる。

介護、フードバンク、いじめ、斡旋業…と題材は決して明るくはない。

しかし、人間としての尊厳は何にもまさるものなんだ、私は数字でもなく何か一言でまとめられてしまうような集団の一員でもなく、名前を持った一人の人間なんだというダニエル・ブレイクの命を賭した叫びは、現在のこういう時代だからこそ強く響く。


(2019年1月6日)

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